部誌5 | ナノ

言の葉の色



例えるなら、海の色だ。珊瑚礁の、遠浅の海。アクアマリンのような透き通った海の色。さざ波で揺れる、ブルー。
目を瞑ると、君の声が今でも思い出せる。誰だっただろう、人の記憶で一番最初になくなるのは声だって言ったのは。そんなのは嘘だ。だって、こんなにもはっきり思い出せるんだから。
『ねえ、俺はさ、』
揺れる声。哀しいんだ。今ならわかる。君はとても哀しかった。
『アンタが、そんな顔して生きるのは、御免なんだよ』
僕はそのとき、どんな顔をしていただろうか。君はどんな顔をしていたんだろうか。
ああ、君の顔が、わからない。なんでだろう、君の顔が見えなくなった。思い出せないんだ。
君は僕の顔を見て、だからさ、と言った。その続きに、耳を澄ませる。響くのは、静寂だ。

ねえ、君の声が聞こえない。


目を開けた。簡易な木組みの天井が見える。そこに、木の皮だか葉だかが敷かれてあって、隙間から淡い陽光が差し込んでいた。
こりゃあ、雨の日に泊まると偉い目を見るに違いない、と思いながら、なまえは溜息を吐く。
さっきの夢の原因はこれだろう。ここは、波の音が聞こえる。だって、海の上に建っているのだから当然だ。
被っていたシーツを剥いで、ベッドから降りる。ひとつ欠伸をしながら、立ち上がって、ああ、服はどうしようか、と首を捻った。
どうして服を着てないのか、それまで着ていた服をどうしていたのか思い出せない。曖昧にここが何処かくらいはわかるのに、それが思い出せないというのは少したちが悪い。何故なら、こういう時は大抵、アイツが絡んでいるのだ。
「……やあ◇遅いお目覚めだね◇」
「やっぱりお前か」
「やっぱり記憶が無いわけだね◇」
そう言って笑ったヒソカはなまえにミネラルウォーターを投げてよこした。それを受け取りながら、なまえは自分の身体を検分する。
多分、楽しんだに違いない。そして、起きてすぐになまえが気づかないくらいに綺麗に片付けたのは、この男に違いない、という結論をなまえが得た頃に、ヒソカは満足そうにくくっと喉で笑った。
「なんでこういうことになるかな」
なまえは頭を振って、シーツを肩にかけた。服はきっとこの部屋のどこかにあるだろうが、それを探すまで全裸でいられるほどに図太い神経をしていなかった。
なまえは、人を探している。それを知っているらしい人がヒソカで、なまえはヒソカに近づいた。
危険なやつだということは聞いていたし、それなりに覚悟も準備もしていたのだけれど、彼とあって気がつけばなまえはこうして、ヒソカと寝て、記憶が無いままに朝を迎える。
こんなことをしている場合ではないのに、と思いながら、理解できない現象になまえは頭を抱える。
なまえは、男と寝る趣味はない。特に、自分が挿れられる側だなんて考えたこともなかった。最中の記憶が無いことが幸いだったが、何かのペテンにかかっているに違いないとなまえは思う。
「……言っておくけれど◆合意だからね◇」
それもそれであり得ない、と思いながらなまえは目頭に親指を当てた。
服は綺麗に畳まれてクローゼットにしまわれていた。下着が新調されていて、これは彼が買ったんだろうと思うと、非常にバツが悪い。
「なまえが知りたがってる男のことだけどどね◇」
ぎょっとして振り返ったなまえは、ヒソカと真正面から目があって、プレッシャーに押されるように一歩下がった。
「……俺が、言ったのか」
「……全部聞いたよ◆」
はあ、と大きく溜息を吐く。なんて伝えたのかとか、もう少し、自然な流れで聞き出せなかったのかとかを思いながら、それも今更かもしれない、となまえは思う。
「彼は死んだよ◆」
「……アンタが殺したの」
「いや、彼は勝手に死んだ◇ボクとは無関係だよ◆」
そう言ったヒソカになまえは、そう、とだけ言った。それに少し不服そうにしたヒソカは、ウソだと思わないわけ、と聞いた。
「……さぁな。信じて無いかもしれないだろ」
「じゃあ、詳しく聞かないのは何故?」
「そりゃあ、聞きたくないからに決まってんだろ」
ぶっきらぼうにそう言って、なまえは溜息を吐いた。
「ああ、君は彼を愛していたんだね◇」
そんな風に、単純な言葉で片付けて、ヒソカは笑った。それになまえは何を答える気にもなれなかった。
彼が小馬鹿にしたそれは、もっと複雑怪奇で、もっと、入り組んでいて、もっと、大切なものだった。そんなことをヒソカに言っても何にもならないことを知っていたし、それから、それをヒソカに打ち明けるのは癪に障った。
「そんなもんかな」
なまえの返事にまた不服そうなヒソカは、膝を抱えてそっぽを向く。なんでコイツはなまえを殺し合おうとか言い出さないのかを、なまえはイマイチ理解しきれて居なかったが、その関係もこれで終わると思うと、少しスッキリした。
「……次、いつ会おうか◇」
ヒソカが聞く。それになまえは、いいや、と首を左右に振った。
「これで、アンタにあうのは、最後だよ」
ヒソカが驚いたような顔をしているのが、意外だと、なまえは思った。だから、なまえは意趣返しのつもりで言った。
「……もしかして、アンタは俺を、愛しているのか?」
そう言われたヒソカは、妙に神妙な顔をして、首を傾げる。その仕草が、少しだけ愛らしい気がして、気の迷いだと自分を笑う。
「……伝えてなかったかい?」
「何を?」
「キミを愛してるってこと◇」
呆気にとられたようになまえは息を飲んで、それから、いいや、と首を振った。
「初耳」
ヒソカが困ったような顔をしているのが可笑しかった。
「何がおかしいの?」
ヒソカの声。さざ波の隙間に溶けこむような声。嘘つきの声。その色はプリズムを通したみたいに変化する。
それが、妙に、なまえの好きな青色に見えた気がして、可笑しかった。




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