星に願いを
生徒会室で自分を見ながらにこにことしているなまえにジンはとうとうため息をついた。
「なんだ」
「え?」
自分の問いかけに首を傾げたなまえに、おそらく冷たく見えるであろう眼差しをなまえに向ける。
「そのにやけた顔で僕を見ている理由を聞いている」
「んー、いや、ジンとこうして毎日一緒にいられて良かったなって思ってね」
脈絡のない話に、なまえがこのままおしゃべりを続ける気だと察して、仕事をする手を止めると仕方なしになまえに向き直る。
その様子を見て、なまえはまた微笑むと、手元でくるりとペンを回し、口を開いた。
「七夕を知ってる?」
「七夕?あぁ、7月7日の行事か」
キサラギの家では、毎年慣習と言う名の行事が行われていたのを覚えている。
今は残っていない国の行事を引き継ぐなどと、馬鹿馬鹿しいと思っていた。
「ほら、七夕伝説って一年に一度しか織姫と彦星は会えないでしょ?」
「くだらない妄想をしている暇があったら、その書類をさっさと仕上げろ」
ようやくなまえの言いたい事を察して、なまえがその話を続ける前に話をとぎらせる。
するとなまえは不満そうな顔をすると、大真面目な調子で言った。
「ジン、俺らは学生なんだから、もう少し余裕と遊び心を持った方がいいよ」
「余計な世話だ」
そんな事をしている暇など自分にはない。
キサラギ家の当主と、実質トリフネを取り仕切る生徒会長の役目を担っていれば、日々の私事の時間は消えせる。
そもそも、こうして二人きりで過ごせる時間も貴重なものだ。
甘い言葉など自分には吐けないし、行動で示してやることもできない。
我ながらよくこんな人間となまえは付き合う気になったものだと思いながら、また仕事を再開したなまえを見、自分も目の前の書類に取り掛かった。
「なまえ」
「ん?」
廊下でようやくその姿を見つけ、ジンはなまえを呼びとめる。
女性に優しくをモットーにしている彼は、その実力も拍車をかけるようにして、学園の中でも飛びぬけて女生徒に人気がある。
いつも通り周囲を女性に囲まれているその姿に眉をひそめつつ、ジンはそれを指摘せずに、要件を口にした。
「話がある。今すぐ来い」
「仕事?仕方ないなあ」
じゃあね、と1人1人に手を振るなまえにきゃあきゃあと騒ぎながら答える女生徒の声を背後にさっさと歩き始めた。
「ちょっと、待ってよジン」
すぐに追いついてきたなまえを無言でちらりと視線を送り、ジンは時計を確認する。
学園の外に出るには、もう時間が遅すぎるが、ジンは足を止めなかった。
「外出許可を取ってない。見つからないようにしろ」
「え?仕事じゃないの?」
ジンが校則違反なんて、明日は雪かな。などとからかう様に言う言葉も無視して、足早に夕暮れの朱色の日差しの中、説明もせずに歩き続けた。
「ここだ」
それから一時間ほど。
すっかり暗くなった周囲を照らす術式を手にし、同じく黙ってついてきたなまえに、足を止めてその先を指し示した。
「………小川?」
「違う。生えている植物を見ろ」
期待と違う間の抜けた言葉を即座に否定して、更にその先を示す。
流れている数歩でわたれてしまうような小川の先に、あるのは。
「笹?」
「…………」
問いかけには答えずに、懐から一枚の紙とペンを取りだした。
「短冊?」
「…………あぁ」
それを受け取って尋ねてきたなまえに、少し躊躇いながら頷くと、なまえは堪え切れないといったばかりに吹き出した。
「ジンが、わざわざ笹と短冊を」
「いいから、早く願い事を書け」
「もっと情緒を重んじようよ」
「僕にそんなものを期待するな」
冷たい返事を返しても、なまえは気にする様子はない。
受け取った短冊を手に、可笑しそうに笑っている姿に何か文句をつけたいが、わざわざこんな場所を探して連れてきた時点で自分の意図は明らかだ。
「全く、ロマンチストでもない癖に、俺の為にわざわざ探してくれるなんて」
言いながらなまえは悩む様子もなく、さらりと短冊にペンを走らせる。
「ジンのそう言う所が、俺は好きだよ」
真面目な顔でそう言ってから、なまえは顔を上げ、ジンを見て微笑む。
穏やかなその微笑に、ジンはそっぽを向いた。
「早く結べ。タロとアカネには言ってあるが、抜けだしたのがばれると困る」
「困るどころじゃないでしょ?無理をしちゃって」
「余裕と遊び心を持てと言ったのは貴様だ」
「覚えててくれたんだ?」
また嬉しそうに笑うなまえに、下手な反論は自滅を呼ぶと学習しているためそれ以上口を開かない。
出来るだけ高い位置にと術式まで使って短冊を結んだなまえが、ふわりと地面に着地するのを見て、すぐに身を翻した。
「帰るぞ」
「はーい」
満足した様子で自分の隣に追いついてきたなまえは、自分の顔を見つめてくる。
「言いたい事があるなら言え」
「え?何書いたのかとか聞かないのかなって」
「貴様が書くことなんか知れてるだろう」
そう?と首を傾げて、じゃあ当ててみて、と言うなまえに、口を開いた。
「『ずっとジンと一緒にいられますように』」
「…………」
沈黙したなまえはそしてため息をつく。
「そんなに俺単純かな?」
「僕に関する事にはな」
日頃思っている事をそのまま返すと、いつも平然と自分をからかうなまえは珍しく頬を染めていて、その口元を押さえた。
「うわ、恥ずかしい。今回のジンの思い切ったデートよりも恥ずかしい」
「氷漬けにされたいのか貴様」
「ごめんって」
言いながら、なまえはぐ、と腕を絡めてきた。
思わず払いのけようとして、ここは学園の外だったと思い返し、好きなようにさせてやる。
「ありがと、ジン」
囁くように言ったなまえに、あぁ、と端的に返した。
「でもね、ジン」
「なんだ」
「俺が書いたのは『ジンが幸せになれますように』だよ」
「っなまえ、」
予想していなかった言葉に、なまえの顔を見つめた。
「ごめん。そこまで欲張りになれなくて」
書きたかったんだけどね。
俺には無理だった。
そう続けたなまえに、しょうがない奴だとため息をつく。
なまえはいつも自分についてくるが、その実、いつでも離れる準備をしていることに気付いていた。
確かに自分は十二宗家の人間で、将来も確約されている身だ。
没落した家の出で、この世界における社会階級のことをよく理解しているなまえは、時代錯誤と言えない『身分違い』と何より『男同士』であることからいずれ迎えるだろう別れを予感しているのだ。
「心配ない」
「え?」
それでも。
絡んだ腕を自分から引き寄せて、前を見る。
「下見に来た時に、僕がもう書いておいた」
「…………ジン、君って人は」
少し呆けた様な声音に、転ぶからしっかり歩け。とだけ言って足を進める。
「好きだよ。ジン」
「知っている。僕もだ」
こんな時しか応えてもやれないが、なまえはそれでもついてくる。
ぎゅ、と力を込められた腕の感触を感じながらも、見えてきた学園の影に、今は、とそっとその腕を離したのだった。
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