部誌4 | ナノ


バッテリー切れ携帯電話



俺のしたことといえば、ドアを通っただけだ。ドアを開けた、といえば簡単だが、実際の動作としては、まず、「鍵を開けた」しかも、「サムターンを回した」更に詳細に言うと「タブを摘んで」いや、「腕を伸ばして」それを「右に回し」、それから、「ドアノブを掴んで」「まわして」「押す」そうしてから、「足を踏み出して」そんな風に、当たり前のように当たり前の動作をして、俺は自分の借りているワンルームマンションから外に出たのだ。ドアを後ろ手に締めてから、空を見上げてあれっと思った。さっきまで、綺麗に晴れていたのに。確かに陽光が挿していて、青空が見えていたのに、見上げた空は曇天で、重苦しい灰色の空からは大粒の雨粒が落ちてきて、耳を覆うような不快な音を奏でていた。
これじゃあ、外を歩けやしないじゃないか、と傘を取るために振り返ってまだドアノブに手をかけた。これが二回目、あれっと思った。鍵がかかっていた。いつの間にこのアパートはオートロックになったんだ、なんて思いながら鍵を挿し込もうとして、鍵を室内に忘れたことに気づいた。オマケに携帯も持っていない。財布と免許証はポケットに入っているが、オイオイ、今日は抜け過ぎじゃないのか。なんて、少々焦りながらこれは何かの間違いに違いないとドアノブを数回回す。
そうしていると、「ちょっと君、そこで何をしているんだ」と後ろから声をかけられて振り返ると、そこに制服を着たお巡りさんが立っていた。

「と、言うわけだったんだけれど」
そう、説明すると、俺が知っているよりも少し老けた草薙が頭を抱えた。
「ところでさ、話は変わるんだけど、草薙老けたな」
「……いや、ええんや……アンタに礼とかそないなのをを求めたらアカンことはわかってるんや……」
恐らくは拘置所に入れられた自分を、なんとか手をまわして出してくれたことに対して謝礼を求めているのだと思われたが、そういうことはしない主義なのでスルーしながら、草薙が出したアイスティーに手を付けた。
今は6月で梅雨真っ只中だが、中々の暑さで氷でキンと冷えたアイスティーの冷たさは中々に良かった。
自分の知らないものが随分と増えた店内を見渡しながら、これはきっと十束多々良が持ち込んだものに違いない、と思った。
「……言いにくいんやけどな、なまえ、」
「2012年、だろ。お巡りにしつこく言われてキチガイめって、頭はたかれた。アレは駄目だと思うんだよね俺」
カラン、と氷が崩れて音を立てる。
2012年の、6月。俺が、ドアを開けた日は確かに、2009年の10月だった。幸いにも気候は然程変わらなかったから服に影響はなかったことが救いだろうか、と思いながら連々と考えを巡らせる。
「……なぁ、なまえ、ホンマに……」
「3年、だなぁ」
未だに戸惑っている様子の草薙に、独り事のように言葉を返した。
「3年、すっ飛ばした」
草薙の返事はなかった。その沈黙に耳を傾けながら、拘置所を出た時に見た草薙の顔を思い出す。まるで幽霊を見たみたいな顔だった。ああ、忘れてたなぁなんて思いながら後悔した。後悔するなら何を悔やめばいいのか、それを掬い上げることは出来なかったけれど取り敢えず後悔した。
「……プリン、食い損なったな」
確かあの日、草薙がプリンを作ったから食いに来いとメールがあって、HOMRAに顔を出す予定だったのだ。
「……それだけとちゃうやろ」
「まァな」
でもそれは言ってても仕方ないだろ、と肩を竦めて笑うと、脱力するようにアンタはそういう人やった、と草薙が言った。

その日、俺に取っては「その日」の出来事だから、便宜上その日にしよう。俺は、3年を飛ばして未来に来てしまった。
これがはじめてのことではなかったのだが、何回やっても慣れることはない。今回は3年だったから、知り合いがこうして迎えに来てくれたのが不幸中の幸いだと思う。
10年単位なんかで飛び越えてしまうとまるきりの異邦人になって知り合いを見つけることが困難だったりする。
3年でも失踪届が出されてアパートの契約切れで追い出されていたりする。
今日からまたどうしようか、と思いながら思いついたように草薙に声をかけた。
「……なあ、お前さ、俺の部屋に多分、俺が居なくなったあと入っただろ」
顔を上げた草薙が少し困った表情をして、それから頷いた。
「じゃあ、俺の携帯、持ちだした?」
部屋の中身はそっくりそのまま処分されたりしてしまったことが想像に難くないが、その前に草薙が貴重品諸々をサルベージしていると俺は踏んだ。案の定草薙はそれを肯定し、俺は此処で彼と仲良くしていたことを少しだけ良いことだと思った。
草薙は少し大きめの鞄をバーカウンターの下から取り出した。古びているが、確かにアレは俺が「昨日」まで愛用していた鞄だった。
その鞄を受け取った俺は、中から自分の二つ折りの携帯を取り出してぱかりと開いた。
真っ暗な画面に電源ボタンを長押ししても電源が入らないことを知って、ああ、電池切れか、と鞄の中を探る。案の定草薙は準備がいいから、充電器が入っていて、それをまとめて草薙に差し出すと何も言わなくても彼は充電を開始してくれる。
よく出来たやつだ、と思いながらカウンターに肘をついて、きっと、沢山メールが来ているに違いない。しかも、着信だって多いだろう。と思った。
その中の多くは草薙からで半分くらいが仕事関連かも知れない。
タイムカプセルみたいだ、と思いながら、もう一つ後悔をした。
「……あぁ……、アンナは大きくなったんだろうな」
「ああ」
「……写真、多々良が撮ってるかな」
「……多分な」
「なら、損ばっかりじゃあないか」
草薙は返事をしなかった。それにまた少しだけ笑いながら、一番気になっていることを口にした。
「……尊は、」
「自分で会ってみ」
「ああ、そういうこと」
きっと、怒って、拗ねているのだ、というのは想像に難くなかった。あの王様は、俺を見てなんて言うだろうか、と思いながら彼の心中を想像して、憂鬱になった。
雨の音がする。
契約切れの携帯の充電が終わったら、はやく、王様に会いに行かないと。そう、思った。




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