部誌4 | ナノ


そうしてきみはわらった



美しいものを美しいと思える、純粋さが欲しかった。
僕の心は醜い。苛立ちや蔑み、妬み、嫉み、優越感。誰かを下に見ることで心の安定を得ている。
嫌悪感を微笑みに隠しながら、僕は生きてきた。

世界は美しいのだと思いたかった。キラキラしたもので満ち溢れている、そんな世界だと実感したかった。
だというのに、足元は醜く汚い黒い沼。美しいものとは無縁な世界。誰でもなく、僕自身のせいだ。

僕は、僕が嫌いだった。



「キレー……」

ふわりと聞こえた声に思わず顔を上げた。
幼さの残る響き。けれど声は青年のそれだ。手の中の文庫本を握り締め、声の主を捜す。
図書室のカウンターから、ひとりの男子生徒が見えた。上半身を机の上に預け、半分寝そべりながら何か透明な石を光に翳していた。そのひとが石を揺らす度、チカチカと光が反射して眩しい。

眩しいだけのそれを綺麗だと感じる心。僕にはないもの。
肩越しで彼が誰なのか、どんな顔をしているのかは分からない。けれども純粋さを備えた彼が羨ましく、妬ましかった。

ああ、やはり僕は醜い。
ないものねだりばかりで、欲しがってばかり。何かを得ようとしても、手に入るものは僅かだ。バスケすら止めてしまった今、僕には何もなかった。
唯一頑張ってきたものすら捨ててしまった。
誇れるものは、何もない。

絶望すら感じる。悪あがきで選んだ高校が本当に正しい選択だったのか、今でもわからない。迷いと後悔。憎しみと哀しみ。慰めを拒絶しているのに、誰かに優しくされたがっていた。
自分の求めるものすら分からないのに。

陰鬱とした思考の中、気づけば彼はいなくなっていた。彼がいた机には透明な石がひとつ。

これを持っていれば。
彼のように純粋に、美しいものを感じられるだろうか。

ただの石だ。わかってはいても、誘惑には勝てなかった。透明な石は彼の純粋さのように思えた。取り込むように手のひらに握りしめて抱え込んだ。
彼が取りに戻るかもしれない。そう思っても石を手放せなかった。

醜い。僕はとても醜い。自分の意志すら貫けず、大事な友人が傷ついても何もできない。無力さを噛みしめながら、最善を尽くせずただ佇んでいるだけの、卑怯で愚かな人間だ。

どうすればいいんだろう。どうすればよかったんだろう。考えても考えても答えは出ず、底なしの沼に落ち続けているような錯覚すら覚えた。

気づけば涙が零れていた。僕の、無力の証。息苦しくて呼吸がうまくできない。ひゅう、と吸った息は痛かった。
石を握り締めた拳を額に押し当てる。苦しさを吸い取ってはくれないだろうか。そるな浅はかな願いを抱いた。

握った石はほんのりと暖かかった。



石を手にしてから、ひと月が過ぎた。
僕はあの石を手放せずにいた。よすがのように、彼の石を頼りにしていた。

ひと月の間にわかったことがある。彼のことだ。
名前はみょうじなまえ、同級生、2つ隣のクラス所属。部活には入っていなかったようだ。明るく前向きで、誰からも慕われるリーダータイプ。いつもにこやかな、心根の美しいひと。僕とは正反対の人間だ。

みょうじなまえという人間を認識してからというもの、彼を意識せずにはいられなかった。ブレザーの胸ポケットに入ったままの透明な石。話しかけることすらできない僕は、やはり臆病で愚かで、卑怯だった。
いつの間にか何か辛いことや苦しいことがあると、胸ポケットに触れるようになっていた。悪いものを吸収してくれるような、そんか感じがしていた。些細なことでも今の僕には苦しく、つらかったから。
胸ポケット越しに石に触れ、深呼吸すれば、頭の中に爽やかな風が吹いたような心地さえした。だから石を手放すことができずに時を過ごし、いつの間にか、卒業を目の前にしていた。

このままではいけない。そうは思っても踏ん切りがつかず、僕は石を返せないまま、卒業式を迎えてしまった。


石はまだ、ポケットの中に入ったまま。



誰かの泣き声が聞こえる。卒業生を送る言葉と、在校生へ送る言葉、捧げられる歌声。
帝光中学を、ようやく僕は卒業する。

一番に思ったのは、安堵だ。
ようやく離れられる。あの辛かった空間から、仲間から、思い出から。そのことを確かに僕は喜んでいた。ようやくほんとうに、あれらの出来事を過去にできるのだ。

涙は零れなかった。
けれどもいつの間にか、胸ポケット越しに、石に触れていた。

「結局これも、返せてない」

胸ポケットから石を取り出す。みょうじくんの透明な石。
一方的に借りっぱなしのこの石に、僕は頼りきりだった。みょうじくんに石を返すこともできなかった。
何の変哲もない石だ。特別なものは何もないはずだ。それでも僕は石に頼った。

今日、僕は卒業する。
新しく踏み出すために、石に頼りきりではいけないと思った。いい機会じゃないか、いい加減どうにかしなければ。

式が終わってざわつく卒業生たちの間をすり抜け、目的の人物を捜す。
みょうじくん。みょうじくん。どこにいますか。
今、捕まえられなければ、二度とみょうじくんには会えない気がした。

 ―――――いた。

視界の隅に映ったみょうじくんに視点を合わせる。友人と笑い合いながら、手を振りひとりでどこかへ歩いていく。その背中を追いかけた。久しぶりの全力疾走は苦しく、運動不足を思い知る。

「みょうじ、くん!」

いつの間にか、図書室に来ていた。卒業式のこの日に生徒は勿論いない。みょうじくんと僕の、2人だけだった。

「ええ、と」

僕のことを知らないのだろう、訝しげな表情を浮かべるみょうじくんの前で、僕はまず息を整えた。みょうじくんは焦らずに僕を待ってくれていた。
ようやく普通に喋れるくらいには呼吸が落ち着き、ブレザーのポケットから、透明な石を取り出す。

「これ、を」

「え? あれ」

「すいません、ずっと借りていました」

手のひらに乗せた透明な石を、みょうじくんは見つめた。差し出した石に手を伸ばすことはなく、じっと見つめるだけ。

「そうか、あんたが持ってくれてたのか」

浮かんだのは寂しげな微笑み。よければ貰ってくれ、とみょうじくんは言った。

「でも」

「いらなかったら捨てていい。ただのガラス玉だし」

大したものじゃないんだ、とみょうじくんは笑った。思い入れも何もなくて、ただ何となく手放せなかっただけだから、と。

みょうじくんも、僕と同じだったのだろうか。同じように透明な石に、このガラス玉に、思いを託したのだろうか。正反対だと思っていた彼との共通点は、何故か僕の心を浮つかせた。

「みょうじくん」

「うん?」


この感情を、どう伝えればいいのだろう。
よくわからない。けれど、この瞬間にできた彼との接点を、僕は失いたくないと思った。彼と、この先も繋がっていたいと思ってしまった。

声が震える。押し出した僕の言葉に、彼は優しく微笑んだ。




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