部誌2 | ナノ


言葉通りの、



自分にとっても、相手にとっても、とても大きな分岐点だったはずなのに、相手のせいでその雰囲気がどこかに消えてしまったように感じる。
自分も、相手も、それこそ、命を掛けた誓約だったはずなのに。さっきまでのやりとりは、一体なんだったというのだろうか。
それなのに、何事もなかったように「またね」と言って去っていった相手の背中をぼんやりと見つめていた翠は思わずその場に座り込み、両手で顔を覆った。

少しして聞こえてきたこつこつと石畳を歩く足音が自分のすぐそばで止まり、それに気付いた翠は顔を上げ、ゆっくりとつま先から視線を登らせるように足音の主を見た。

「……なんだ、朱華か」
「なんだとはお言葉ね」

そんなに太陽の光が強いわけでもないのに、朱華は日傘をさし、少し拗ねたような表情を浮かべて翠を見下ろしている。

「なんであんな誓約をしたの?あの誓約の意味がわからないわけじゃないでしょ?お馬鹿さんね」
「あんなってどんなだよ。ていうか、見てたのかよ」
「そりゃ、知り合いがこんな所で誓約交わしてたら気になるから見るに決まってるし、どんなのって言葉通りの、意味――ってやだ、アンタ、なんて顔してるの」
「は?」

目を丸くする朱華に翠は不機嫌そうに自分の顔を触り、朱華はそれを眺めて小さくため息をつく。
まるで、自分は全部わかっていて、何も理解していない相手に呆れているかのように。

「ていうかさぁ…」
「ん?」
「朱華、起きてて平気なわけ?」
「どうして?」
「まだ明るいのに」
「何言ってるの。明るくても、逢魔が時はとっくに過ぎてるわよ?」
「うっそ。マジで?」
「うん。マジ」

なんとなく朱華の視線が嫌で話題をそらせば、今度は朱華は少しだけ馬鹿にしたような笑みを浮かべてくるくると日傘を回した。
ひらひらと揺れるレースを思わず目で追いながら、もうそんな時間だっけとレースから視線を外して太陽を探すが、そう高くもないはずの建物たちに遮られて、かすかにどこかから反射して差し込んでいるらしい赤い光しかわからない。
よくよく空を見れば、薄藍色に染まり始めている。

「……ちょっと待って、翠」
「何?」
「アンタ、時間も分からずにこんな……帝都の往来で、よりにもよって彼と、あんな誓約したの?」
「うん。ていうか、そもそも帝都の中だって忘れてた」
「……呆れた。だからあんな誓約を言い出せたのね」

きょろきょろと太陽を探す翠に朱華はこめかみを揉みながら溜息混じりに言葉を紡ぐ。
その姿を見上げ、翠は少し首を傾げた。

「朱華、」
「なぁに?」
「アイツのこと、知ってるのか?」
「彼が働いてるお屋敷の執事さんとちょっと……ね」
「節操無いねぇ」
「ちょっと、やめて。そんなんじゃないわよ。あのお屋敷のご主人が、居候しているところのお得意様なのよ」
「……ふぅん」

意味ありげに微笑んだ朱華に呆れたように返せば、怒ったように睨まれ、翠は小さく肩を竦めて視線を逸らした。

「新作を着て、マネキンと店番兼ねて店に居てくれって言われて、店に居たのよ。で、その時に執事さんが注文してたものを取りに来た、っていうのが最初のはず。それから何回か彼が店に来て、何回か話ししてって感じかな」
「その言い方だと、割りと好みだったのか?」
「そうねぇ…。でも、彼、お屋敷のご主人のお手つきだったからなぁ…」
「ふぅん」
「それに、さっきの彼もご主人のお手つきでしょ。私だったら嫌だなぁ」
「……は?」

そうじゃなかったら良かったのになぁとぼやく朱華を見上げ、翠はゆっくりと瞬きをした。
今、朱華はなんと言った。
きぃんと耳の奥で嫌な音がする。

「アイツが、なんだって…?」
「いやぁね。やっぱり気付いてなかったの?いくら綺麗だからって、蝶々の鱗粉に騙されちゃだめよ?」
「は?蝶々?」
「わかんないならいいわ。彼と誓約してしまったんだから、そのうち嫌でもわかるでしょうし」
「おい、朱華。待て」
「帝都の中での誓約は絶対よ?誓約を破ったら……言わなくてもわかってるわよね?」
「待て、朱華。どういうことだ」
「言葉通りの、意味よ」

呆れたように溜息をついて小首を傾げて翠を見つめる朱華に問い返す自分の声がみっともないぐらいに震えているのに翠は気付き、視線を伏せて誤魔化すように微笑んで見せた朱華に、背筋を嫌な汗が伝い落ちていく。

「――じゃあ、私は行くわ。約束していた食事の時間に遅れちゃうから」
「おい、朱華、っ」
「またね、翠。会えるなら、だけど」

石畳に座り込んだまま立ち上がることも出来ない翠に綺麗な笑みを浮かべて朱華は手を振り、くるりと向きを変えると振り返りもせずにコツコツと石畳を踏みしめながら去っていき、そのうちその姿も見えなくなった。

「どういう、意味だよ…」

小さく呟いた翠の声は、誰に聞かれる訳でもなく、いつの間にか広がっていた夕闇の中に溶けて消えていった。




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