部誌2 | ナノ


もう一度、君に、溺れるような恋をする



時々、夢を見る。
水の底に沈んでいて、上を見上げている夢を。
自分の遥か上をキラキラと光りながら長い髪の何かが泳いでいくのをひたすら見上げている夢を。
自分の遥か上を泳いでいくその存在に、ひたすら焦がれて見つめている夢を。





「お前、泳げるか?」
「無理っす」
「そうか」

大学に通いながら出来る住み込みのバイトという情報以外、詳しいことも聞かずに、前にもいろいろとお世話になった先輩の持ってきた話だったからということもあって引き受けたバイトだった。
多くもない私物とともに、なんとか財閥とかなんとかコンツェルンとかのお子様であられる先輩に連れてこられた馬鹿みたいに大きなお屋敷、先輩曰く別邸兼妖異局に貸し出してる建物、で過ごすこと数日。
仕事らしい仕事も何もなく、自分の部屋で本を読んでいた俺に、突然部屋にやってきた先輩はさっきみたいな疑問を投げかけて、俺の答えを聞くと小さく頷いてどこかへ行ってしまった。
今のは一体なんだったのだろう。





結局その日はその後何もなく一日が終わり、次の日、部屋でのんびりと過ごしていたら突然呼び出され、玄関ホールに向かえば、どこか疲れたような表情の先輩と水が滴り落ちているタオルに包まれた何かをいわゆるお姫様抱っこの要領で抱えている先輩の相方さんが立っていた。

「よし。来い」
「はい」

俺が来たのに気付いた先輩がゆるりとこちらに視線を向け、きりっとした表情になると頷いて歩き出し、俺と相方さんはその後ろを追いかけるように歩いた。
ちらりと相方さんに視線を向ければ微笑みだけを返されたから、多分向かってる場所でなんか説明があるんだろう。

「入れ」
「…あ、ごめん。扉押さえててもらえるかな?」
「あ、はい。いいっすよ」

一つの部屋の扉の鍵を開け、中に入っていった先輩の後を追いかけようとしたら相方さんに申し訳なさそうに頼まれ、扉を押さえる。
なんか、今、タオルの中身がもぞもぞ動いた気がするけど、気のせいだよな…。

「早く扉を閉めろ」
「ういっす」

不機嫌そうな先輩の言葉に大人しく返事を返しといて、そっと扉を閉める。
なんだか妙な造りだなと思いながら振り返れば、そこはプールだった。
というか、ここはスポーツセンターのプールかと思う程度に大きいし、多分、かなり深い。
なんというか、正直、怖い。
そもそも、昨日、泳げるかどうか聞いておいて、泳げないと答えた相手をプールに連れてくるってどういうことだ。

「おい、こっちに早く来い」
「え、あ、はい」
「あ、ちょ、こら、出てくんなって!」
「いい。好きにさせてやれ」

扉のそばに突っ立っている俺に先輩は手招きをし、相方さんはタオルにくるまれた何かを床に下ろして、もぞもぞと動くそれに戸惑ったようにし、先輩はそれを一瞥するとタオルをめくった。
なんなのだろうと視線を向ければ、タオルの下から現れたのはぼさぼさの頭と澄んだ色をしているのにどこか虚ろな目だった。

「お前に頼むと言っていた仕事は、コイツの世話だ」
「世話って……え?えぇっと、これは……」
「妖異局が保護したアヤカシだ。登録されている名前は“美雨”」

てきぱきと先輩がタオルを剥いていくとぺたんこの胸が見えたから男だと思ったのに、下までタオルが剥かれたのにナニもなくてそのまま取り敢えず凝視してたら、突然相方さんが床をバンバン叩きながら笑い始めた。
床、硬いから痛いと思うんだけどなぁ。

「なんすか」
「アヤカシに性別は関係ないよ。というか、むしろ性別がはっきりしている方が少ないぐらいだし」
「はぁ…」
「だからこそ問題が多いんだけどな」

そぉいと謎の掛け声と共にタオルから出した美雨をプールの中に相方さんは投げ入れ、投げられた方の美雨は相変わらず虚ろな目なのに怯えたように体を震わせた。
ばしゃーん、と勢いよく水の中に落ちた美雨はそのまま泳いでいったようで、姿が見えなかった。

「何をしている」
「おわっ」

やりきった表情でプールサイドに立っていた相方さんを先輩は後ろから蹴りを入れ、相方さんを先輩は後ろから蹴りを入れ、相方さんはそのままプールの中に沈んでいった。

「大丈夫なんですか」
「大丈夫だ。あれぐらいどうってことない。そのうち上がってくる。あれでくたばるくらいの相方なら、必要ない」
「はぁ…」

相方さんが沈んでいった辺りをしばらく眺めている先輩に声を掛ければ、先輩はあっさりと言い切り、広げたままのタオルをてきぱきと畳み始めた。

「美雨は個体数が少ないアヤカシの系統が混ざっててな。妖異局に登録されていたんだ」
「でも、保護って…」
「美雨と同居してた人間が死亡して、その身内が美雨を闇競りに出そうとした。だから、そうなる前に保護した、というところだな」
「そっすか…」
「アレは髪だけでも高値で取引されてるらしいからな。髪はあんな調子だ」
「なるほど」

ひょこりと水面から顔を出した美雨を指差して先輩は言う。
ぱくぱくと何かを伝えようとするように口を動かしているが、何も聞こえず、じっと見ていると、美雨は何かを掴んでいる手を挙げ、勢いよくこっちに投げてきた。
その勢いに俺も先輩もよければ、びしょ濡れの相方さんが床に転がる。

「……。先輩、美雨って喋れないんすか」
「少しなら喋ることができるはずだが、どうやら今はできないらしいな。まぁ、簡単にこのプールの造りの説明をするが――」
「お前ら少しは心配してくれてもいいと思うんだけどな!!」
「あれぐらいでくたばるお前じゃないだろう」
「意外と平気そうだったんで」
「この先輩ありにして、この後輩ありか!!」

怒ったように言葉をまくし立て、思い出したように苦しそうにむせ、びしょ濡れの髪をかきあげながら息を吐き出す相方さんを見て、先輩に視線を戻せばまじまじと相方さんを見ていて、どうするのかなと様子をうかがっていれば相方さんの首根っこを掴んだ。

「え、ちょ、」
「悪いな。用事ができた。これが詳しい概要をまとめた書類だ。目を通しておけ。わからないことがあったらまとめておけ、それについての説明はまた後でする。書類を読み終わったら取り敢えず美雨とコミュニケーションを取ってみろ」
「ういっす」
「ちょっと待て!こら!引きずるな!止まれ!身長差考えろ!立つから!おい!足!削れる!!」

いきなり首根っこを掴まれて戸惑う相方さんをそのまま先輩は引きずって部屋をいき、なんとなく相方さんに申し訳なく思いながらも取り敢えず渡された書類に視線を落とす。
文字がびっしり書き込まれていて、なんだか読むのがめんどくさいな、と思っていたら、不意に後ろから服の裾を引かれ、振り返ると美雨がじぃっとこっちを見ていた。

「なんすか?」
「……」

美雨が何かを伝えようとしてぱくぱくと口を動かしているけど、残念ながら読唇術を身につけていない俺は、とりあえず首を傾げてみる。
少し顔をしかめた美雨はぺたんと床に座り込み、三つ指をついて頭を下げた。

「…よろしくお願いします、ってとこ?」

しばらくそれを見下ろしていてふと思いついたことを尋ねれば、顔をあげて美雨はこくこくと頷く。
まぁ、別にそれは、よろしくしないということもないけれど。





「ねぇ、美雨。お前なんで喋れないの?」
『誓約したから』
「ふぅん」

美雨の世話を始めてしばらくして、何だかんだ言って打ち解けてきた気がするから今なら答えてくれるかと思って聞いてみたら、まぁ予想通りの答えでとりあえず報告書に書いておこうと頷いておく。
相方さんは喋れない美雨に何を思ったのか、最初の頃はいろいろな筆記用具を与えたがり、今、美雨はその中の一つの水でお絵かきする子供用おもちゃに文字を書いている。
小さくて可愛らしい見た目の割にものすごい達筆で、意外だなぁって毎度のように思いながら並んだ文字を眺める。

「美雨、なんで服着ないの?」
『服って水分取られてうっとおしいから』
「じゃあ、最初にここに連れてこられたときにタオルに簀巻きされて運ばれて大変だったんだ?」
『大変どころじゃなくて、最低最悪の行為。それに、水の中に投げ入れられたし。どうしてそんな扱いするかな。私、あの人嫌い』
「なるほど」

相方さんがなんだかんだ美雨に世話をやきたがるのに、その度に相方さんが持ってきたアヒル隊長とか投げつけてるのはそれが原因だったのか。
いつも思ってたけど、やっぱり相方さんってやることが裏目に出やすいんだなぁ…。

「ていうか、服が嫌いって割には俺の膝の上座ってる理由は聞いても?」
『察しろ』
「言ってくれなきゃわかんないって」

まぁ、嫌われてないってことなんだろうけど。
美雨の世話を任されたけど泳げないし、世話という世話が必要なわけじゃないから、基本的にこうやってプールサイドに腰掛けて、美雨と話をするのが日課になっていた。

「美雨たーん、お元気ですかー!」

勢いよく部屋のドアが開いて、相方さんが現れる。聞こえてきた声に思いっきり美雨は顔をしかめて、舌打ちをした。
綺麗な見た目のやつのこういう表情って、ほんと迫力あるよなぁ。

「今日は何持ってきたんすか」
「まぁまぁ、それは開けてからのお楽しみ」

ぴょんと俺の膝から降りて水の中に潜っていった美雨を見送ってから相方さんに視線を向ければ、楽しそうに笑っている。
悪い人じゃないんだろうけどなぁとさっき教えてもらった美雨の言葉を思い出しながら相方さんを見れば、何を持ってきたのかは皆目見当がつかなかったけれど、箱から何かを出そうとして悪戦苦闘している。

「手伝いますか?」
「あぁ、うん。ありがとう」

相方さんに近づこうとしてプールサイドに立とうとしてついた手が、踏ん張ろうとした足が、濡れて滑った。

「あ、」

思わず声を上げたけれど、相方さんは箱の中身を出すことに夢中でこっちに気付いてないし、美雨は離れた位置で相方さんに警戒心むき出しの視線を向けている。
これはまずいと思いながらも、倒れた体勢は戻せずそのままプールの中に落ちていく。
慌ててどうにかしようともがいたのが間違いで、プールサイドからは離れるし、泳ぐことができない俺はどんどん沈んでしまう。ついでに、水とは相性最悪なのにさっきまで足が水に浸かっていたせいで、余計に体に力が入らない。
このまま沈むのかな、と思って見上げたら、美雨がこちらに泳いで来ていた。

「  」

水の中で広がる髪。白い肌。その、瞳。
不意に自分の中でいくつもの光景が駆け抜けていき、ひとつの名前が思わず口をついて出たけれど、ごぼりと空気が抜けただけで、自分でもなんて言ったのか、わからない。
けれど、俺ははっきりと確信した。
夢の中で焦がれていたのは、この存在だったのだ、と。
また、この存在に巡り合えたのだ、と。

あぁ、そうだ。多分俺は、この想いを繰り返す。
そしてまた、俺は――




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