もう一度、君に、溺れるような恋をする
夏が始まる前の少しばかり肌寒い雨の日に、わたしは人類の未来へ心臓を捧げた。
調査兵団に入団し、十三度目の壁外調査だったろうか。
相手が奇行種だったとか雨に足を掬われたとか、まあ言い訳を並べればその通りなのだけど、仲間を奪われ血気に盛ったわたしの愚行が自らの最期を招いたのは言うまでもない。
体勢を立て直すより早く立体機動の動線を阻まれ、巨人の手がわたしを払う。
凄まじい衝撃。内腑がもんどりをうち、込み上げたものに耐えきれず口から赤色を吐く。
視界がくらりと揺れたのは痛みの為もあったが、物理的に天地が逆さになっているのだと知れた。
悲鳴のような音が耳に届くと同時、両足にぬめる感触と気を失うには充分な鈍い痛みが全身を駆け抜けた。
そこから幾らの時間が経過した頃か、ぽかりと瞼を開くとどうにも身体が軽いように感じた。
それでいて重くもあり、とりあえず四肢は微動だにしない。ただし自信に残された猶予が僅かである事も面白いほどに理解していた。
参ったな、巨人はどうなったのだろう。わたしが生きているという事は兵団の誰かが仕留めてくれたのか。
そうでなければ絶命していないわたしを奴らが放置するはずもない。
「なまえ! 私が分かるかなまえ!」
未だ薄れたままの視界を右隣に向けた途端、よく聞き覚えのある声がわたしの名を呼んだ。
良かった、視力は心許ないが聴力は死ななかったらしい。だが「ハンジ」と返そうにも声帯が上手く機能せず、喉がヒュウと空を切った。
それでも同期には充分だったのか、忙しない様子で大きく何度も頷いて見せる。
「逝ってしまう前に聴いてくれなまえ。私はね、ずっと君が好きだったんだ」
そして当然投下される告白に再び思考が止まりかける。
何を言っているハンジ、死を控えた友を前に気でも狂ったか。こんな光景、お前もわたしも何度だって見てきたじゃないか。
瞬きをひとつ返しゴホリと咳をする。小さく吹き出したナニかが頬を垂れていく気配があった。
「私の押し付けだけどねなまえ。どうか知りおいてほしい。願わくは気に留めて逝ってくれ。そうしたら憶万が一、君の来世は私の傍に生まれるかもしれない」
無神論かと思いきやどういう嗜好か。
そんな信仰を持っていたとは気付かなかったよハンジ。笑うにせよ頬の筋はぴくりとも動かず、意思の有無は瞬きを繰り返す他にない。
とはいえ長く連れ添った相棒だからか、やはりハンジはこちらの意思を汲み取るように首肯した。
「これまでは、だったらいいなと安易に思っていたけどね。なまえを看取る内に気が変わったよ。必ず見つける。だからどうか、私ともう一度逢ってくれ」
そうすれば私は君を――その先の言葉は届かない。聴こえていたはずの耳がここまでだと音を上げたようだ。
瞼も重い。このまま逝けば半目で阿呆を晒すぞと自嘲して、ふわりとした唇への感触にやれやれと肩を竦める。
分かったよ、覚えて逝くよ。どうなるかなんて未知の域を越えているが、そうまで想ってくれるなら悪くない。
今日が雨でよかった。最期に垣間見た光景が相棒の笑みでよかった。次があると仮定すれば、ハンジの心変わりも成る程得心がいく。
そうだな、今より素直に向かうのも有りだろう。似たり寄ったりの二人なら、わたしの思いも今の君と同じだろうか。来世があるとするのなら、願わくは――
「……おやすみ、なまえ」
――もう一度、君に、溺れるような恋をしよう。
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