部誌2 | ナノ


瞬きの夢



試験の成績の悪さに渡された大量の課題。
数分で投げ出して訪れた生徒会室では、あの人は珍しく一人で仕事をしていた。
ここに来た理由を問いかけられ、素直に課題に飽きたと言えば、自分の前の席に移動してきて、見てくれると言う。
正直みてくれないかと期待はしていたのだが、本当に見てもらえると喜んだ。のもつかの間、彼は途中で手を休める容赦などくれなかった。



「俺とこうしている瞬間って、会長にはどれくらいの長さなんすかね」
「ん?」

ようやく区切りがついて、丁寧に採点してするその人に、思い浮かんだままの事を問いかければ、首を傾げられる。

「どういう意味だ?」
「えーっと、だからなんていうか……。人生って長いじゃないっスか。しかも俺ら中学生っスよ?その中のこの1時間って会長にはどれくらいの長さなのかなって」

頭の中では言いたい事があるのにまとまらず、そんな取り留めのない表現になってしまった言葉を彼は真面目に受け止めたらしい。
意味を把握しようとしているのか、手を止めて自分を見ながら考え込むその人は、そして口を開いた。

「はっきりと意味が掴めなかったが、つまりこの一時間が俺の人生にとってどれくらいの割合を占めるのか、というような話でよかっただろうか」
「あ、多分そんな感じっス」

そう頷くと、会長は笑う。

モデルをやっている俺から見ても、下手な同業者より顔は整っているから、笑うととても綺麗だ。
だけれど、その表情にこんなにも心が惹かれるのは、整っているから、とかそういうのとは何かが違う。
なんというか、その人の心が表れているような、笑顔。
性格も心も在り方も、なにもかもが眩しくて憧れるこの人の、笑顔。
自分には真似できない生き方をしているこの人が好きでたまらない。
ソレが敬愛なのか恋愛なのかなんて区別がつけられない程、焦がれてしまう。

「黄瀬?」
「は、はいっス!」

思わず見惚れていたのがばれたのか、不思議そうに名前を呼ばれて慌てて姿勢を正した。

「答えるとすれば、1時間以上、だろうな」
「へ?」

自分を見ながらそう答えた彼の言葉がまた意味不明で、こちらもそんな疑問の反応を返す。

「つまり、体感にして一時間以上。俺の人生はまだ終わっていないし、換算するのは不可能だが、時間として刻まれる一時間より多くのものを俺は得ているよ」
「一時間費やす価値があるって事っスか?」
「君と過ごす価値は時間には代えられない。という事だ」

そんな事を、言われたら。

「ずるいっス……。反則!反則っスよそんなの!」
「何がだ。人が真面目に答えたのに」
「そんなの、」

自分が特別なように感じてしまうじゃないか。

でもそれは違うと知っている。
彼にとっては、全ての他人が特別なのだ。

今の帝光中のすべての生徒を牽引する生徒会長として。
課題を手伝ってくれているのだって、来たのが自分じゃなくたって彼は真面目に対応しただろう。
きっと過ごす時間の価値を問いかけたのが自分じゃなくても、同じ返事を返しただろう。

ただ、彼に直接何かを頼んだり、関わろうとしたりする人間が限られているだけだ。
彼が眩しすぎて、自分から関ろうとするのは、ある程度自分に自信を持つ者だけだ。


ああ、でも。


いまここにいるのは自分で、問いかけたのは自分で、その笑みを向けられたのは自分だということは本当だ。

すぐに消えてしまいそうな夢の時間。
光が煌めくのは瞬きの間だけだと知っている。

「俺は、そんな風に客観的に見る事なんかできないっス」

うつむいた自分の頭の方で、紙の擦れる音がした。
視界の端に、課題の用紙が置かれたのが見える。

「あんたといると、本当に時間が一瞬で過ぎてくんスよ……」
「楽しくて?」
「最高っス」
「それは嬉しい」

声音がやわらかい。
きっと嬉しそうに笑っているのだと思う。

この人にはどうやっても届かないのだろうか。
その心には。

「あ」

ふと思いついたことに、顔を上げる。

「そうだ!これから会長じゃなくて、なまえ先輩って呼んでもいいっスか?」
「ん?」

そう言ってみると少し驚いたような顔で自分を見返してきた。
驚くことなんてあるんだ、と思いながら答えを待つ。

「いいとも。みんな生徒会長って呼ぶんだけど、堅苦しくて、本当は好きじゃないんだ」

その言葉の内容に、思った以上に自分の提案が響いたのじゃないかと思って舞い上がる。

「じゃあ、俺の事は涼太って呼んでくださいっス!」
「わかった―――涼太」

自分の名前を呼ぶ彼は案の定笑っていた。
楽しげな顔。
彼の表情に嘘はない。
そしてその笑顔のまま、彼は言った。

「で、この課題の出来が最悪だ。時間もないし、一気に片付けるぞ涼太」
「はいっス!って、えええええ」

一気に現実に引き戻される。
だけど、解説の間に時折呼ばれる自分の名前に感じる、ささやかな幸福。

それだけで、その瞬きの夢の先、確かな未来が見えた。




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