部誌20 | ナノ


蝉時雨



じゃーわじゃーわと異音が響く。方向感覚すら狂いそうな音声で、セミが鳴いている。人が近づけばひとつ、ふたつ鳴き止むセミはいるものの、如何せん、セミが多すぎて一匹二匹の減少に大した効果はない。
今日は、昨日ほど暑くはないという予報に、外出の予定を組んだのだ。せめて外での待ち合わせではなく、喫茶店などの店内での待ち合わせにすべきだったと、なまえはどこか座ることのできる場所を探して公園の中を見渡した。
木漏れ日は、これはもはや木漏れ日とは呼べないのではないか?と思うほどに鋭い光線を浴びせてくる。照度の差にちらつく視界を片手のスマホでかざすと、真っ黒なスマホがホカホカと熱を持つ。舌打ちをしながら、セミがたわわに実っているだろう木の根元には近づく気になれず、炎天下にさらされたベンチに座る気になれず、なまえはその場に釘付けになった。
今日が暑くない、という予報に嘘はないだろうことは知っている。ただ、昨日がめちゃくちゃに暑かっただけなのだ。
地面は昨日浴びた熱を失わず、なまえを下からも茹であげているような気もしてきた。
真っ黒な服など着ていたら、この中を歩いてくるのは無理だろうな、と知り合いの顔を思い浮かべながら、待ち合わせ相手の色あせた金髪を思い浮かべる。
彼とは、もう長らくあっていない。まだあの派手な髪色をしているのだろうか、と思いながら温くなったペットボトルの蓋をあけた。
帰ろう、という選択肢はなかった。なんらかの理由でキャンセルされたときはその理由に合わせて次に行く予定がある。
セミの鳴き声はうるさくてうるさくて仕方がないだけのはずなのに、気が狂うとは思わない。恐怖というのはこうやって感覚を麻痺させていくのだろうか。
心の底に淀む不安を暑さに浸して薄めながらペットボトルをあおる。生ぬるい水は、心地が悪く、しかし身体は必要とするもので、最後の一滴になるまで、なまえは一気に飲み干した。
もうなくなった中身を惜しむように振りながら、ため息をついた瞬間。
「おい、なまえ!」
大きな声が耳の中に飛び込んできた。肩をグイと掴んで振り仰いだ視界に派手なな色彩が飛び込んでくる。
掴まれた肩が、ひんやりと冷えている。そこから、なだらかに温度が変わっていくような感触になまえは目を白黒させた。
「……のり、」
「あ……、わかった、いいからこれの飲め」
何から話そうか、どう切り出すのが良いか迷うなまえに待ち合わせ相手の滝川が手渡したのは結露で濡れたスポーツドリンクだった。彼の手の中にあったのは一本だけで、それが彼が飲むために買ったばかりのものであることはすぐに分かったが、なまえはそれに従うことにした。
なまえは彼を頼るために連絡したのだから、そうするのが一番正しい気がしたから。
「声、かけてくれたら良かったのに」
「かけたよ、何回も」
耳の中が、キンとしている。何かが詰まっているような感覚に、聞こえなくても無理はないか、と自分を納得させる。
「……セミが、うるさかったからかな」
「この公園、セミ居たか?」
不思議そうに、かつ、からかう様子もない返事に、なまえは息をのんだ。
あれほどうるさかったセミはいつの間にか居なくなっていたから。
顔色をかえたなまえに、彼は大きな大きなため息を吐いた。そのあとに続く、「最近はなかったのにな」というコメントに、なまえはなんとも言えない返事をすることしかできなかった。



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