部誌3 | ナノ


もしもの話をしよう



たら、れば、なんて。そんなもの。
今更どうしようもないって、知ってる。



故郷の島を飛び出して、どれくらいの時間が流れただろう。宛てもなくふらふらして流れ着いた春島は穏やかで優しくて、涙が出そうになった。そこにたどり着くまでにあった嫌なことや辛いこと全部、帳消しにされるくらい、幸せな島だった。
暖かな日差しの下、小さなナイフでジャガイモの皮を剥いていく。籠いっぱいのジャガイモは今日のノルマだが、焦らなくても構わない。豊かなこの島には、食べるものがたくさんある。

「おーい、なまえー。手が空いてたらこっちも手伝ってくれーい」

「今ジャガイモの皮むきで忙しーい!」

皮むきの手を止めず、視線さえ向けずになまえは声を張って答えた。ふらりとこの島に立ち寄り、居着いてしまったなまえを、島民は優しく受け止めた。適度に仕事をくれては、お駄賃だと小遣いをくれる。子供に戻ったような心地がしてとてもくすぐったい。

この島でのなまえの役割は、護衛だった。幼い頃から学んでいた剣術でちんけな賞金首を狩っては海軍に差し出し、日銭を稼いでいた。この小さな島に定住を決めてからやることがなかったなまえは、島民の善意という名の差し入れで生きていた。何せ平和な島だ。荒事で食べていたなまえの飯の種が存在する訳がない。
これではいけないと一念発起し、なまえは出稼ぎや行商に向かう島民たちの護衛をすることに決めた。賞金稼ぎとしてあっちこっちひとりでふらふらしていたなまえの知識は、島民にとって有り難いものだったらしい。護衛だけでなく、なまえの知識によって善良さ故に騙されていた島民たちが被害を被ることも減って、島は僅かばかり豊かになった。嬉しそうな人々顔を見る度、なまえはあの時の苦労は無駄じゃなかったのだと思えた。

とは言っても、なまえの居着いた島は小さな島である。ある程度の自給自足が成り立っていること島の人々は島の外に出ることは少なく、護衛の仕事がない時には、なまえは島の人々の仕事を手伝った。ジャガイモの皮むきのそのひとつだ。

鼻歌交じりでジャガイモの皮をするする剥いていくと、不意に港の方が騒がしくなった。異変に眉を寄せて立ち上がる。エプロンを脱ぎ捨て、ジャガイモにナイフを突き刺して、代わりに横に足元に転がしていた刀を掴む。“夜闇”の銘を持つその刀は、なまえの相棒。

駆ける。駆ける。大切なものを亡くしたくないと、なまえはひたすらに走った。荒くなる息にも構わず、なまえは走った。
もう亡くすのは、嫌だった。

「海賊だー! 海賊が来たぞー!」

「おい、なまえ呼んでこい!」

ざわざわと島民たちの喧騒を縫ってなまえが港にたどり着いた頃には、ジョリー・ロジャーを掲げた船が船着き場に接舷していた。刀に手を掛けて海賊船に近寄り、掲げられた海賊旗を見て息を呑む。

「麦わら……」

麦わら海賊団。
覚えのある名前だ。最近有名になってきたから、とか、そんなんじゃなくて。
そんなものでは、なくて。

「腹減ったァー! サンジー! 飯ー!」

「うるせえまずは食材の買い出しだよクソゴム! もうちっとばかし待っとけ!」

「いやだー! 我慢できない! 腹減った! 肉!」

騒がしくも邪気のない会話に、島民たちが戸惑っている。なまえは彼らを庇うように先頭に立ちながら、それでも動けずにいた。
“夜闇”を掴む腕が震えた。呆然と船を見上げるなまえの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。
「お前らどっちもうるせぇよ」

そうよ、と同意する少女の声も、はやし立てる少年の声も、なまえには届かない。

どうして。

「―――――なまえ?」

船の上から、緑頭の青年がなまえを見下ろして、なまえの名前を呼んだ。驚きに染まる顔。なまえの知る少年が青年になったなら、そう夢想したものと大差のない、そのひとは。

「ゾロ……」

なまえの、かつての大切なひと、だった。





陽気で害のない麦わら海賊団は、島民たちに好意的に受け入れられた。歓待を受けて喜ぶ船員と、ひたすらに口に食べ物をつめこんでいる船長。可笑しな組み合わせだと微笑みながら、なまえは彼の――ゾロの居場所を見つめた。

「なまえ」

呼びかけられて振り返る。案の定、そこにいたのはゾロだ。知り合いだという二人に船員と島民がおおいに盛り上がり、本人たちそっちのけで宴が始まった。ゾロとまともに会話するのは、再会して初めてのことだ。

「よぉ」

「うん」

軽快な挨拶は二人にとっては当然なものだ。ただ長い時間離れていても、お互いの態度が変わらないことにびっくりしていた。

「こんなところにいたのか」

「ああ、うん、ごめん」

たったひとりの姉が死んで、なまえは逃げ出した。耐えきれなかった。受け止めきれる自信がなかった。
たったひとりの片割れ。同じタマゴじゃなくても、同じ腹から生まれた、自分より少しだけ早く生まれた姉。お姉ちゃんが守ってあげるからね、なんて。叶いもしない嘘を吐いた。

逃げ出して、辛いことも悲しいことも苦しいことも全部味わったが、あの瞬間に比べれば敵わかなかった。
片割れの喪失は、確かになまえを苦しめた。けれどゾロに甘えてしまえば、なまえは立ち上がれないと、そう思ったから。

「元気そうでよかった」

なまえの言葉にゾロは眉を寄せた。不快さを隠しもしないに内心溜め息を吐き、ゾロに酒を差し出す。父が好きだった酒は、今はなまえの好物でもある。

「なんで――」

「愚問だな」

どうして、なんて今更すぎる質問だ。事情を知る者は、理由はすぐにわかるはずだ。

くいなの死を、受け止めきれなかっただけだ。

たら、れば、なんてそんなものに意味はない。けれど思ってしまう。あの瞬間、あの場所に自分がいれば違ったかもしれない、なんて傲慢。だけどそれを捨てきれず、そんな自分が情けなくて大嫌いだった。

「なまえ」

ゾロがなまえを呼ぶ。短すぎるその言葉になまえは小さく首を振り、腰に差していた夜闇を抜き、ゾロに切りかかった。酔っていたのか、ゾロの反応が少し遅れた。頬の皮膚一枚だけを、黒い刀身が傷つける。

「いい仲間を見つけたんだな、ゾロ」

見ればわかる。陽気でひとがよくて、決してゾロを裏切らない。彼らの一員でいるゾロが誇らしく、なまえは優しく微笑んだ。

「おれも、おれだけの場所を見つけたよ。離れる気はない」

穏やかな島で、なまえの力は衰えるばかりかもしれない。それでも構わない。この優しい人間ばかりの島で、なまえはなまえとしてありたいと思った。
くいなのことを、後悔以外で想えた。あのこがどこかで幸せになっていることを祈れ、また信じられた、この島で。なまえは生きていきたいと思ったのだ。

「おれを連れて行きたいと思うなら、おれより強くなってみせろ」

ゾロの行く先に、どんな困難があるのかはわからない。強敵に出会うかもしれない。そのせいで死にかけてしまうかも。もしかしたら、彼が見つけた仲間たちに裏切られてしまう可能性だってあった。

それでも。
彼の進む先に、望むものがあるように。

「世界を一回りして、おれより強くなって。それでおれを、攫ってみせろよ」

世界一の大剣豪になるんだろう?

にやりと笑って見せれば、ゾロはふてくされたように頷いた。薄皮一枚斬って見せたなまえは多分、今のゾロより強いはずだ。無理やり連れて行こうと麦わら海賊団全員でなまえに挑んでも、容易くいなせる。

でも、多分。
そう遠くない未来に。

その時にゾロが、彼らが、なまえを求めるかなんてわからない。けれどいつか訪れるかもしれない未来が来ることを、なまえは少しだけ期待してしまった。
その時を楽しみに、今は彼らを見送ろう。
そして、いつか来る再会を楽しみにしよう。


だから、今は。
もしもの話を肴に、この時間を楽しもう。

短いゾロの頭を犬にするように撫でてやる。止めろ、とあの頃と変わらない拗ねた顔で言うものだから、なまえは久しぶりに声をあげて笑った。




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