部誌3 | ナノ


クリスマス中止のお知らせ



鏑木・T・虎徹は考える。
クリスマスとは恋人たちにとっての一大イベントではなかったか?

「なあ、クリスマスもずっと仕事って本当か?」
目の前で書類を作成している女性に問う。みょうじなまえ。ワイルドタイガーとバーナビーのマネジメント兼広報担当。虎徹がトップマグから移籍されるまで彼女はアポロンメディア経理部のホープだったらしい。ロイズ直々に指名されただけあるその高い能力はヒーロー事業部でも如何なく発揮されており、バーナビーすらなまえに異を唱えることはほとんど無かった。
「先週もお伝えした通りです。10時より社内会議、1時半にフォートレスタワービル入りして2時から5時までトークショー、これは出動要請があればそのまま生中継に切り替えます、トークショーが終わり次第直帰。ミスタ・ブルックスはその後8時から会社主催のパーティーに……」
「もういい、もういい!あー、えっと俺たちが仕事ってことはお前も付いてなきゃいけない訳だろ。一日ぎっちり」
「そうですね。クリスマス休暇もないなんてまったく酷いブラック企業です」
記入箇所にチェックを入れた申請書を虎徹に渡しながらなまえは真顔で呟く。
「その、なんだ、お節介なのは分かってんだけどよ。折紙は知ってんのか」
「仕事で1日潰れる旨は伝えました」若くして虎徹曰くバリバリのキャリアウーマン(死語)であるところのなまえは折紙サイクロンことイワン・カレリンの恋人であった。
「日中はあちらもイベントに出演するそうです」
申請書を返しつつ虎徹はなまえの顔色を窺うが、感情は読めない。
「24日も仕事ですし、まあ今年はクリスマスらしく甘い時間を共有する、なんてことはありえないでしょうね」
「お前らさ、それでいいの」折角のクリスマスなのに、大切な人と過ごすことができない。ヒーローとして活動してきた年月には幾度と無くあった事だ。それでも虎徹は慣れることはできなかった。最近の若者は淡白なのだろうか。口には出さず頬杖をつく。
「私は自他共に認めるワーカホリックですが、やはりこれだけ立て込んでくると辛いですね。正直イワン君に癒されたくて堪りません」
ここにスペルミスがあるので訂正のサインをお願いします。虎徹に申請書を付き返しつつもキーボードを打つ手は止まらない。
「そもそも貴方がたがビルや公共物を壊しまくっていなければ事務仕事は大分軽くなっていたと思います」それに、となまえは続ける。
「ミスタ・タイガー。1月1日から3日までオリエンタル・タウンへ里帰りできるよう手配したのは誰だとお思いですか」
「そりゃお前のお陰だけどさー…バニーも一緒だし仕事なんだろ?」
「当然です。各地のニューイヤーの祝い方をヒーローが紹介する番組です。宣伝も兼ねていますし、何よりコンビの方が視聴率が高いので」
なまえはPCから目線を外さずに言い放つ。
「2部リーグにおいては視聴率も重要なファクターなんです。ほぼ丸3日、出動要請に応えられません。ミスタ・タイガーのポリシーに反することは十分承知していますが帰郷の対価として我慢して下さい。あと、」
なまえはようやく手を止めて虎徹を見た。
「私は4日から7日まで休暇を取ります」



バーナビー・ブルックスJr.は戸惑った。
ここは葬儀場ではなくトレーニングルームのはず。

少し奥で他の1部ヒーローたちが小声でなにやら話している。
「何かあったんですか」
「あれ見て」ブルーローズが指差した先に視線を遣ると、ベンチプレスに腰掛けた折紙サイクロンだった。ヒーロースーツ非着用時の彼は猫背で俯き気味だが、今日は輪を掛けて酷い。目が死んだ魚のように澱んでいる。
「アタシが来たときはもうあんな感じよ」ファイヤーエンブレムが溜息をついた。
「調子が悪いなら怪我する前に止めとけ、とは言ったんだけどよ」ロックバイソンは頭を掻いた。
「何かあったの?って訊いてもなんでもないって言うんだ」ドラゴンキッドがタオルを弄りながら眉を曇らせる。「ボクたち仲間なのに」
スカイハイだけは何事もなかったかのようにランニングをしている。
「アンタなんか知ってる?」
バーナビーは思わず応えそうになったが咄嗟に言葉を飲み込んだ。ここにいる者たちは折紙先輩となまえさんの関係を知っているのだったか?それ以前に他人のプライベートな事柄を軽はずみに口にするのは自分の主義に反する。虎徹を追って2部リーグに移った後もここを使えるのはなまえが上層部を説得してくれたからだ。
「さあ……。家族や恋人がクリスマスも仕事だった、とかそんなところじゃないですか」
「折紙って不運だもんね。ありえる」
ブルーローズの言葉に頷きながら、バーナビーは心の中で謝った。
折紙先輩、すみません。でも悪いことばかりじゃないですよ。



イワン・カレリンは落ち込んでいた。

お互い、というか主になまえがクリスマスも忙しいことが判明したとき、とても残念だと思った。なまえが何度も謝るので逆に申し訳なくなった。新年を迎える瞬間は一緒に過ごそう、と約束を取り付けたものの、上手く気持ちを切り替えられない。彼女は今日も仕事に明け暮れている。自分ばかり引きずっているようでトレーニングもやる気が出ず、空ろな心情が漏れ出ていたのか今日もブログが炎上した。



みょうじなまえは企んだ。

イワンの母とはメールをやりとりする仲だ。勿論イワンには内緒である。彼女からロシアではクリスマスを1月7日に祝う事を聞いた。世間のイベントがイコールで書き入れ時になる職種だ。あまり期待はしていなかったがイワンのまさに「しょんぼり」という言葉がぴったりな背中を見て、どうにかしなくてはと思った瞬間にその話を思い出し、仕事のスケジュールをどうにかやりくりして1月7日の休みをもぎ取った。イワンには当日まで知らない振りをするつもりだ。彼の泣きそうな顔が好きなことも、その日まで秘密にしようと決めている。



『世界が始まって以来、男はつねに泣かされている……。おとぎ話や歌の中で、女と悪魔を同じものに扱っているが、これは決して無理なことでも、意味のないことでもない』
―A.P.チェーホフ




prev / next

[ back to top ]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -