部誌3 | ナノ


この夜が明ければ



そこを通った時に、「そういえば、ここに『いた』んだった」と、的場静司は思いだした。かすかな記憶。はるかな記憶。確か、そこに棲まうものも、かすかだったと思い出した。
期待をしていたわけではない。未だいる、という確信はなかった。

古い小学校の校舎の、プール。そこに、「それ」はいた。
この小学校は、的場が本当に小学生だった時に一時期通っていたもので、それ以来ということだから結構昔のことになる。
昔は大きく感じたものだけれど、意外と小さいものだな、と思いながら的場はフェンスをよじ登った。人が来れば、術で誤魔化せば良い。そう思いながら暗い水面に目をやる。何かが潜んでいそうだ。よくこんなところに、小学生だった時の自分は近づいたものだ、と思いながら、的場は頭を巡らせて、そして、目当ての「もの」を見つけた。

「……そんなところに隠れていないで、出てきたらどうかな」
そっと、声をかける。「それ」はビクリと一瞬飛び上がり、それからそろそろそろっと顔をのぞかせて、的場を指さすと、叫び声を上げた。
「ふ、ふしんしゃだー!!!!」
「……」
不審者ではないことはないので、敢えてそれには答えないことにしながら、姿を見せた「それ」をまとばは観察した。
スラリと長い足には、白いタイツ。ふわりと白いフリルに、黒のスカート。それに似合う、白いエプロン。首元はリボンで留めてある。しかし、小学校高学年ほどの「それ」は確実に少年だった。
「どうしてそんな格好をしているのかな」
「おっおっ、」
「お?」
「おれ!知ってるもんね!お兄さんみたいなのへんしつしゃって云うんだもんね!」
「いや、変質者ではないよ」
不審者ではあるが、変質者のつもりはない的場は、即座に否定する。
「うそだー!!だって、長い髪!あやしい眼帯!ださいパーカー!!これはオタクの符牒!!オタクだ!!へんしつしゃだ!!おまわりさーん!!誰かきてええええ」
酷い言い様もあったものだ、と閉口しながら、的場はため息を吐いた。彼が叫んだところで、誰にも聞こえないのだから、問題はないものの、うるさくて仕方がない。
「……で、キミはどうしてここにいるのかな?」
少年は、きょとんとした表情を浮かべてから、小首を傾げて、さぁ?と言った。
「起きたらここで寝てたんだよね。服は起きた時に着てたよ」
「……それでいいのか?それでも男だろう」
「……はっ!? お兄さんはどうしておれがお、お、おとこだって、知ってるんだ?! もしかして、お兄さんがおれをここにさらってきて……着替えさせたのでは!? 見たんだろ!? えっち!!」
「それはない」
「ええええええ信用出来ないよおおオタクのいうことだもの!」
「……オタクじゃない」
「しんじないもーん」
少年は完全に的場のことを信用していない。それにため息をつきながら、無駄足だったか、と、的場は思った。

確かに、的場は、少年が服を脱ぐところを見たことがあった。それは、ずっと前、的場が少年と同い年位だった頃で、そうだ、少年だった的場はなにかに追われて、フェンスを越えて、プールに落ちた。
それを助けたのが、少年だった。
『きみ〜!夜のプールサイドなんかに来ちゃダメなんだぞ』
そう言いながら少年は濡れた服を脱いで、熱帯夜のせいでまだまだ熱いコンクリートの上に並べた。
まっ平らな少年の胸に何故かどぎまぎしながら的場も言われるままに服を脱いで少年の服のそばに並べた。
『きみ、なんてなまえなの?』
『まとば、まとばせいじ』
『ふうん。おれはねぇ、……あれ、なんて名前だったっけ? きみ、しってる?』
初対面の少年のことを、的場が知るわけがない。そう言うと、少年はそっかーといいながら首を傾げた。少年のことを的場は、学校で一度も見たことがなかった。
何故こんな時間にこんなところにいるのか。ひしひしと嫌な予感が押し寄せてくる。
『どうして、こんなところにいるの?』
『ん〜……さっき気がついたらここにいたんだよねぇ……わかんないや』
少年はそう言いながら、でもさ、ほら、とプールを指さした。
『見てみて、すごいよ!プールが星空みたいだ!』
少年のいうように、風のない水面には星の小さな光が反射して、きらきらきらきらと、瞬いていた。それはとても不思議な光景で、それに見惚れながら、的場は本当だ、と言った。
『たぶんね、きっとおれは、これを見るためにここにいるんだよ。他のことはわすれちゃったけどさ』
少年はそう、笑った。

次の日も、少年はそこに居た。的場が声をかけると、少年はきょとんとした顔をして、『きみ、おれの知り合い?』と聞いた。

少年には、前の日の記憶が、ひとつもなかった。
それから何度か的場は少年に会いに行ったが、毎日毎日、少年の記憶はまっさらになっていた。そうして、的場は、毎日のように少年に出会って、話をした。
転校が決まる、その日まで。

賑やかに騒ぎ立てる少年を見ながら、こんなにやかましかっただろうか、と思い返す。そうか、昔は同い年位だったから、彼も大人ぶっていたのかもしれない。今日は、的場だけが大人だから。
そう思いながら目をやったプールが、いつかのように星空を反射して輝いていた。
「……綺麗だな」
そう、つぶやく。
「おにいさんも、そうおもう?」
少年はそう言いながらニコニコと笑い、的場の近くまで寄ってきた。そして、的場の隣に立って後ろで手を組んで、プールに向かう。
「おれさ、これをみるために、ここに来たんだとおもうんだ」
少年は笑う。
その横顔を見ながら、的場は「自分もだよ」と言った。
満点の星空がささやくように瞬いて、さざめいて、ゆらめいて、降ってくる。それは、昔も今も変わらずに美しかった。
「おにいさんも?……うれしいなぁ」
少年はそう言いながらぺたんとコンクリートの上に座った。的場もその隣に座った。

そうしている間に、東の空が明らむ。朝日が昇ってくるのだ。朝になると、少年は消えてしまう。そのことを的場は十分に知っていた。
長居しすぎただろうかと薄くなった星空から目を逸らして、立ち上がる。少年もそれに釣られて立ち上がる。
「行っちゃうの?」
それに、ああ、と答えながら、的場はズボンに付いた土を払った。
「もう二度と来ないよ」
そう言いながら踵を返す。そっか、と少年は言った。
「ねぇ、的場、的場」
やけに馴れ馴れしく呼ばれたものだ、と振り返った。そして、その瞬間、自分は今日、彼に名前を告げただろうか、と、思った。
「会いに来てくれて、ありがとね」
少年は笑う。
「まっ、」
的場が伸ばした手の先で、少年の笑顔は、霞のように掻き消えた。
明い空が、汚い水面に映し出されていく。それは、まるで、一夜の幻を解き明かすかのように。
それを、的場は見たくない、と思った。

『あいに、これない』
少年は言葉を復唱しながら、そっかぁ、と唇を尖らせた。
『また、あいにくるよ、いつか、かならず』
『ほんと?』
『ほんと』
『そっか。的場、なんかはじめて会った気がしないから、うれしいな』
少年はそう言って笑う。はじめてじゃないのだけれど、と思いながら的場はじゃあ、と言った。朝日が差し込んでくる。
山際が明るくなったら、彼は霞になって消えてしまう。的場はそれを見送ろうと思った。
『きっとだよ』
少年は、笑った。

恐らく、少年は的場を待っていた。約束を果たすためだけに、そこに居た。そんなことにも気づかなかった。

ああ、もう二度と会えないのだと、信じたくなかった。




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