部誌3 | ナノ


越えられない壁



最初にその姿を見たとき、一瞬、何かの絵か写真の光景かのように錯覚をした。
開け放った窓、揺れるカーテン、オレンジ色に染まる教室、窓の外を見つめて佇むみょうじ。
時計の秒針が刻む音が、やけに響いていた。

「みょうじ…?」
「っ、あ、若本…」

しばらくみょうじを眺めてから声をかければ、そこでようやく俺が居ることに気付いたらしいみょうじは弾かれたように振り返り、何かを誤魔化すように笑おうとして、失敗していた。

「そろそろ教室締める時間だと思うけど、みょうじは帰らないの」
「え……あ、」

みょうじの机の上には、筆記用具が広げられているのを見てから、教室にある時計に視線を向ければ、それに釣られたようにみょうじも時計に視線を向け、小さく声を上げた。

「もう、こんな時間、だったんだ…」
「外見てたのに気付かなかったの」
「確かに言われてみればそうだよねぇ…。…若本はどしたの。忘れ物?」
「そんなとこ」

慌てたように帰り支度を始めたみょうじを眺め、自分の机の中に入れっぱなしだった文庫本を取り出し、鞄にしまう。
すぐに帰り支度が出来たらしいみょうじとなんとなく一緒に教室を出て、なんでもない話をしながら校舎の外に出た。

「…あ、俺、グラウンド寄ってくから」
「へぇ?」

じゃ、と手を挙げて小走りに去っていくみょうじの後ろ姿を、何をしに行くのだろうとぼんやりと考えながら眺め、その日は終わった。





移動教室から戻りながら、前にみょうじが居るなとぼんやり考えながら、のんびりと櫻井や関と話をしながら歩いていた。
教室目前でみょうじは何かを見つけたように小走りになり、「ちうちゃん!」と誰かを呼んだ。

「ちうちゃん……じゃなかった、早見先輩、どうしたの?」
「あ、なまえくん。ちょっと人を探してて。移動教室だったの?」
「うん。終わって戻ってきたところ」
「そうなんだ。じゃあ、そろそろ――あ、櫻井君!」

後ろから見ても相当にこやかに笑っていることがうかがえるような、普段聞くことのないような弾んだ声に、少しだけ胸の奥がざわめいた。
みょうじが話していた相手、早見先輩はみょうじの後からやってきた櫻井に気がつくとみょうじからぱっと離れ、櫻井に駆け寄ってきた。
そんな彼女から視線を外してみょうじを見れば、きゅっと唇を噛み締め、少し震える手を握り込むようにすると教室へ逃げるように入っていった。
なんとなく追いかけるように教室に入り、みょうじを見れば机に突っ伏している。
あぁ、声を掛けない方がいいなと瞬時に思い、何でもなかったように自分の席に座る。
その時も、それだけで、そのあとは何もなかった。





「また、クラス一緒だな」
「みたいだな」
「櫻井とかじゃなくて残念?」
「まさか」

二年になり、櫻井や関とはクラスが離れたが、みょうじとは一緒になった。
元々同じ部活だったのもあって、普段は特に話すわけでもなんでもないが、クラスで動くときに一緒に行動することが多くなった。
だから、俺が自然とみょうじを視線で追うことも増え、みょうじが早見先輩を視線で追い、相変わらず早見先輩が櫻井を追い掛けるのを見つけるたびに、あの時のようにきゅっと唇を噛み締めるのを何回も見ていた。
ある日は、櫻井を追い掛けている最中に早見先輩がいろんな人にもみくちゃにされていると、たまらず彼女を助け出し、ぼさぼさになった彼女の髪を整えてやり、俺が櫻井との相性の悪さの指摘をすると櫻井を振り向かせる決意をしたらしい彼女が立ち去るのをぼんやりと見つめていた。
早見先輩とみょうじ。接点も、関係性もよくわからず、ただ漠然とみょうじは早見先輩が好きらしいという事だけは、わかった。
なんとなく、自分の心に小さなささくれが出来たような気分になった。

「みょうじと早見先輩って、なんなの」
「へ、」

ある日の放課後、部活に提出するのだと原稿用紙のマス目を少し癖のある字で埋めていくみょうじを眺めながら、ふと気になったことを尋ねてみれば、みょうじはぽかんとした表情で俺を見つめ、笑おうとして失敗した。

「いきなり、何?」
「この前、早見先輩のこと、『ちうちゃん』って呼んでたのと、距離感」
「あぁ…。…そうだなぁ。幼馴染、かな。学校では『早見先輩』って呼ぶように気をつけてはいるんだけど、ついつい、ね」
「ふぅん」
「家が、近所でさ。幼稚園も、小学校も、中学校も、一緒だったんだ。で、『ちうちゃん』って呼んでると、ちうちゃんのこと好きな人にいろいろ言われたりしてさ…。やんなっちゃうよね、呼び方一つで、さ」

いくつか原稿用紙のマスを埋めてからみょうじは持っていたシャーペンを置き、まっさらな原稿用紙を広げた。

「……恋愛ものでさ」
「ん?」
「よくある恋愛パターンっていうか、よくある組み合わせって、あるじゃん?」
「あぁ」

マス目を無視して文字を書き出したみょうじの手元を眺め、言おうとしていることがなんとなくわかった気がした。

「部活のマネージャーとエースとか、委員会の先輩と後輩とか、クラスメートとか」
「そうだな」
「例えばその組み合わせに、その片方を好きな幼馴染が出てきてもさ、結ばれない…よな。結局、幼馴染っていう認識しかなくて、恋愛対象にも入れないこともある。ほかのただのクラスメートでさえ、恋愛対象になりうるのに。小さい頃から知っているってだけで、そこに、なんか、大きな、越えられない壁が、あるような」

関係図のようなものを書きながらだんだんと声が小さくなり、視線を上げる様子のないみょうじの手元を見つめていた。

「つまり、みょうじはこういう状況が悔しい、と」
「あぁ、もう、書くなよ。若本のいけず」

みょうじの手からシャーペンを奪い、空いているスペースに「櫻井>>>>>(越えられない壁)>>>>>みょうじ」と書いてやれば、みょうじは視線を上げ、ちょっとだけ笑ってからくしゃりと顔を歪めた。

「……笑っていいよ?」
「笑わねーよ」

消え入りそうな声で言うみょうじにちょっと笑えば、「笑ってんじゃん」とみょうじも笑った。

「幼馴染じゃなくてもさ、」
「なに」
「お前に対して、自分の立場をこう思っている奴もいるかもしれないとか思わないの」

空いているスペースにさらに「早見先輩>>>>>(越えられない壁)>>>>>??」と書いてやれば、しばらくまじまじとそれを見つめていたみょうじが笑った。

「まさか」
「どうして」
「ないよ、そんなこと」
「目の前に居るって言ったら、どうする?」
「そんな、冗談――」

笑うみょうじをじっと見つめれば、みょうじはそのままの表情で固まり、「うそ」と呟いた。

「若本ー、行こうぜー」
「お前が俺を待たせてたのになんなの、その言い草」

相変わらず空気を読まないタイミングの関に呼ばれ、教室を出ようと立ち上がれば、もう一度みょうじは「うそ」と呟いた。

「嘘じゃないから」
「早く行こうぜ、若本ー!」
「じゃあ、みょうじ。また明日」

開け放った窓、揺れるカーテン、オレンジ色に染まる教室、こっちを見つめて座っているみょうじ。
最後に振り返って見たみょうじは、俺との間の壁を壊されたような顔をしていた。




prev / next

[ back to top ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -