部誌3 | ナノ


虚構が崩れる音がした



黄瀬涼太の幼なじみは完璧だ。
すらりとした体躯、中性的な美しい顔、人当たりがよく優しい性格。誰が見ても彼を美しいと思うし、誰が会話しても彼は理知的で聡明で賢いと思うだろう。栗色の髪は柔らかくてふわふわしていて、少し猫っ毛なことを気にしている、そんなところも、彼の魅力であると黄瀬は考えている。

「涼太くん」

そう呼ばれる度、胸がギュッとなった。並大抵の人間じゃ彼の隣には立てないと思った。だから、黄瀬は自分磨きに力を入れた。どう頑張っても成績はよくならなかったから、まずは外見に力を入れた。母さんオレをイケメンに産んでくれてありがとう。そう何度感謝したか。
姉によって勝手に送られた履歴書がモデル事務所の目に留まった時、認められた気がした。彼の隣にいてもいいのだと。
自分磨きと平行して、黄瀬は運動にも力を入れた。出来ることはなんでもした。なまじ器用だったものだから、どの部活に入っても活躍できた。簡単に活躍出来すぎて、黄瀬を飽きさせもしたけれど。

周囲に認められれば認められるほど、黄瀬は自信に満ち溢れていった。オンナノコたちからの歓声が、黄瀬の自信に繋がる。だから黄瀬はオンナノコたちに優しくする。

でも、一番は、たったひとり。
幼なじみの、みょうじなまえだけ。

どれだけオンナノコたちに囲まれていても、なまえの姿を見れば駆けつけた。試合中だろうと何だろうと、なまえの気配を感じればなまえを探し、駆けつけられなければ手を振った。困ったように笑うなまえの笑顔が、黄瀬は好きだった。まあ、なまえの笑顔なら、どんなものでも好きだったけれど。

「なまえ、なまえ」

にょきにょきと身長が伸びたために、なまえより頭一つ分大きい黄瀬にとって、170をいくらか越えたくらいのなまえは抱きしめやすい大きさだった。何かあるたびに黄瀬はなまえに抱きつき、なまえは宥めるように黄瀬の背中を叩いてくれた。

尊敬するひとの名前には「〜っち」をつける。
それは黄瀬の決めた、黄瀬の中のルールだ。そのルールを、黄瀬はなまえには適用させなかったし、させたくなかった。
なまえは尊敬に値する人物だ。けれど黄瀬にとって唯一無二のひとでもある。他のひとたちと一緒にしたくなかったし、そうした線引きをしてしまうことで、何かが変わってしまいそうで怖かった。黄瀬にとって昔から、なまえはなまえだった。

綺麗で、美しくて、格好良くて可愛いなまえ。
黄瀬の自慢の幼なじみ。黄瀬の大切なひと。

黄瀬の今までの努力はなまえのためだった。なまえの隣に立つに相応しい人間になる、そのためだけに頑張ってきた。大好きななまえに、さすが僕の幼なじみだと、誇ってもらうために。ずっと一緒にいたいと、そう思ってもらえるような人間になる、それだけのために。

その、はずだったのだ。





「げっ」


黄瀬となまえは幼なじみだ。家が隣というテンプレート中のテンプレート。成長するにつれお互いの家に遊びに行くことは減ってしまった。黄瀬がなまえを家に呼ぶことはあっても、なまえが黄瀬を部屋に呼ぶことはなくなった。そのことを寂しく思っても、黄瀬からねだることはできなかった。わがままを言って嫌われたくなかったからだ。
部活に入っては辞めるのを繰り返す黄瀬は、よくなまえと登下校を共にする。それだけで充分だと、そう自分を納得させていた。なまえは忙しい。なまじ有能なために、先生や同級生から引っ張りだこで。生徒会に一年生から所属しているから、生徒会の面々だって何かあればなまえに頼る。だから黄瀬くらいは頼らないでいようと、そう、思って、いた。

「なまえ……?」

これは、誰だ。
いつもの優等生然としたなまえではなかった。だらしない黒のスウェットには毛玉が出来ているし、髪はボサボサ。前髪はよくわからないキャラもののヘアゴムで留めてあるし、黒縁眼鏡に、口元にパイポ。煙草じゃないだけマシなのかわからない。わからないが、そこにいるのはいつも完璧ななまえではなかった。そこらへんにいる休日のだらしないオッサンのようなスタイルだ。

「あー……涼太にもとうとうバレたかー」

パイポをがじがじ噛みながら、うなじあたりをボリボリ掻いている。もう片方の手は何故かスウェットのズボンの中に突っ込まれていて、たまに尻を掻いているからなんかもう、もう。

ほんと、誰だよこいつ。

手に持った回覧板を抱き締めながら、黄瀬は後ずさった。こんな奴知らない。オレの知ってるなまえじゃない。こんなのなまえじゃない。
涙目になっているのが自分でもわかる。わなわなと唇が震えて止まらない。やばいマジ泣きしそう。

「つーかタイミング悪すぎ。せっかく卒業くらいまでもつって賭けてたのによ」

舌打ちされてびくりと体が震えた。
認めたくない。認めたくないと思いつつも、視線はどうしてもなまえから離れない。離せない。
黄瀬の知るなまえは、清楚という言葉が似合った。守ってやらなきゃ、と思うくらいには儚く思えた。
目の前のなまえは、怠惰でどこか淫靡だ。だらしないながらもどこか色気があって、目を向けずにはいられない、そんな魅力があった。

「な、なんで……」

「んん? なんでってそりゃあ、りょーたくんがヒンコーホーセーな俺が大好きだからでしょ」

にこ。
微笑むその笑顔、黄瀬のよく知るなまえの顔で。だけどその格好はいつものなまえではなくて。いやむしろ、黄瀬の知るなまえが、いつものなまえではないのだろう。黄瀬の慕う、黄瀬の好きななまえは、作られたなまえだ。

「お、オレのこと、だまし、て」

「は? ちげーよ、お前の期待に沿ってただーけ」

パイポを揺らしながらなまえが答える。優等生なスタイルとはかけ離れた、チンピラのような仕草。

「だっ、だって、さっき賭けって言ってた」

「お前の姉ちゃんがいつバレるかって賭け持ち出したから賭けただけであって、その前から俺はお前のために優等生やってたし」

さすがに高校生になったら現実見せてやんなきゃなって思ってたけど、中学生くらいは夢見させてやりてえじゃん?
首を傾げながらそう言うなまえに黄瀬は思わず肩を落とした。それはなまえの優しさかもしれないが、全然優しさに溢れた行動ではない。まだ現実を見せてくれた方がよかった。なまえに夢を見すぎていたのは確かだが、だからって後から事実を知らされる方がショックだ。
なまえは、小さい頃からなまえだった。黄瀬の知る品行方正な優等生だったのだ。いつからこうなってしまったのかはわからないが、相当前から猫被っていたことは確かのようで。

「まー今更変えらんねえから学校ではオボッチャマやるけど、もうりょーたくんの前でやんなくていいのは楽っちゃあ楽かなあ」

気ぃ抜けないってしんどいしな、とズボンに突っ込んでいた手を今度は腹に差し込んでボリボリ掻いているなまえに、黄瀬はヒッと小さく悲鳴を上げた。なんでそんなに掻いてんだよ風呂入ってんのかよ、とかそんな真っ当なツッコミよりも先に、声が漏れた。
スポーツ万能ともてはやされた黄瀬のそれよりもバッキバキに割れた腹筋が、そこにあった。

なまえは成績優秀で、体育に置いてもそれは例外ではなかった。ちょっと球技が苦手かな、と苦笑いしていたくらいで。運動よりも勉強の方が得意だと、黄瀬はそう思っていたのだが。
帝光の水泳の授業は選択式だ。水泳か陸上か選べる。なまえはいつも陸上を選択していたが、それもこれもこの腹筋を隠すためだったのかもしれない。この腹筋の前には優等生のイメージは薄れる。それくらい綺麗に割れた腹筋だった。

なんで、なんで気づけなかったんだろう。
とても自然体ななまえの姿に、黄瀬は唇を噛み締めた。偽りのなまえばかり追って、本当のなまえに気づけなかった。その隣に立てるように努力していたが、見当違いにもほどがある。
騙されていた。そう思わなくもないが、それでもやっぱり、黄瀬はなまえを悪くは思えなかった。黄瀬のために優等生を演じていたという言葉はきっと嘘ではない。黄瀬にとってなまえは絶対にも近く、なまえは黄瀬に嘘をついたことは今まで一度だってなかったから。

ただ、なまえの手を煩わせてしまった、その事実が辛い。

「ごめん……」

「なんでお前が謝るんだよ。ここは怒っていいところだぞ?」

苦笑するなまえの笑顔は、黄瀬の知る笑顔だ。黄瀬の好きな笑顔だ。
今の黄瀬は、自分のことを誇れる自分だ。勉強は出来ないけれど、それ以外のことはそれなりに出来る。そのための努力を惜しまなかったのはなまえのためでもあり、自分のためでもあった。黄瀬は、なまえがいたから頑張れた。なまえがいたから、今の自分を誇れるのだ。

なまえの言葉に力なく首を振る。抱き締めた回覧板で顔を隠しながら、それでも黄瀬は首を振り続けた。
結局はどんななまえだって、黄瀬は好きなのだ。自分に向けられた優しさは変わらないのだと、なまえの笑顔を見てわかるから。

例え見続けていたのが自分の理想を象られていた偽物のなまえだったとしても。
その本質までは、きっと、絶対。変わらないから。

黄瀬のよく知る、作られたなまえとは違うなまえが、もっとたくさんいるはずだ。少しずつでも、知らないところを知っていけたら嬉しい。
そう、素直に思えるから。

「なまえは、オレの大事な幼なじみで、オレの大好きなひとで……ぜったい、それだけは変わらない、から」

変えたくたって変えられない。今更そんなのは無理だ。だってずっと、なまえだけを見てきたのだ。
顔を隠していた回覧板から、少しだけ視線を上げる。そこには黄瀬が見たことがない、とても嬉しそうに目を細めて笑うなまえがいて。
何故か顔が赤くなるのを抑えられずに、黄瀬はなまえの笑顔を見つめ続けた。


崩れたものは構築し直せばいい。
これからなまえと今までとは違う関係が築ける。そう思えば、黄瀬の鼓動は高らかに鳴り続けるのだった。




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