部誌3 | ナノ


お察しください



カンツォーネが聞こえてきた。
透き通るようなソプラノの音色は何処が不思議な響きがあって、ついつい耳をそばだててしまう。
たぷん、と船の腹を叩く水音に、ゴンドラが流されていることに気づいて灯里は我に返った。
「はっ!つい聞きいってしまいましたっ!」
そう、ゴンドラの客席に乗っている青い目をした火星猫のアリア社長に話しかける。人間並みの知能を持つといわれている火星猫は灯里の言葉に素振りで返事をする。嬉しそうな顔をする社長もきっとさっきの歌声に聞き入って居たのだと思うと灯里はなんだかうれしくなる。
今日は灯里は個人練習をしていた。灯里は火星の観光街、ネオ・ヴェネツィアの片手袋(シングル)の見習い水先案内人(ウンディーネ)だった。一人で客をのせて運転することは許されていないが、
そして、何かを企む時と同じ気持でヒソヒソ声で囁いてみる。
「いって、みませんか?」
「にゅっ!」
ぷにぷにしろくて丸いアリア社長が肉球を見せて同意を示す。それに、むくむくと嬉しい気持ちがこみ上げて来て、オールを持つ手に思わず力が入る。
「出発しますっ!」
「にゅっ!」
乗り気のアリア社長と、一緒に灯里は、あの歌声の持ち主に会いに行くことにした。

どこからとも無く響いてくる声に誘われて迷い込んだところは船通りの少ない街外れだった。廃屋コンクリートが積み重なって出来たような水路を渡りながら歌声を追っていたのだが、近くなった、とおもったところで歌声が聞こえなくなってしまった。
大きな水路に出れば帰る分には問題はないのだが、歌声の主を探しにきた灯里としては残念な部分がある。
「……この辺り、だったと思ったんですが、」
アリア社長もぐりぐりと頭を巡らせているが、人影は見えない。
諦めて帰ろうかと思った時だった。

「そこのお嬢さん」

頭の上から、声が降ってきた。
「はひっ!」
思わずびっくりした声を出してしまいながら、灯里は上を見た。
「あぁ、シングルか。練習中か?」
優しい声音の男性が、コンクリートの上から覗きこんでいた。その彼に灯里は思わず見惚れてしまう。その男性は一言で言えばとても綺麗な人だった。
女性的な美貌とは違い、ひと目で男性だと分かるのだが、光を弾く淡い金の髪の毛と相まって、とても美しい。
「……口が開いてるぞ?」
怪訝そうに指摘されて、われにかえった灯里は、ハッと口を閉じて、それから何を問われていたっけ、と思い起こしながら弁明をする。
「お、思わず見とれてしまっていましたっ! 練習中です!」
「君は正直者だな」
くつくつ、と笑いながら男はそうか、練習中か、とひとりごちた。
「お兄さんは、此処で何をしているのですか?」
こんな人気のない場所で、と付け加えて灯里は質問をする。男はそうだなぁ、と顎に手をやりながらよっと、と身体を起こし、コンクリートの上にあぐらをかく。
「今日は休みだから、散歩をしていたんだ。そうしたら、この猫が此処で気持よさそうに寝ていたものだから、降りてみたんだよな」
そう言いながら、男性は隣に居たグレーの猫を抱き上げる。グレーの猫はなぁ、と鳴いて、空に目をやった。
灯里も釣られて空を見上げる。男性も一緒に空を見上げた。
真っ青な空が広がっていた。
「……そしたらまァ……、すんげぇ居心地が良かったんだよな」
「そうですか」
それから、灯里はふっと、この人もあの歌声を聞いていただろうか、という気がした。
「しかしだな」
「はい?」
男は困ったようにして、後頭部をかく。
「……ここ、降りたはいいんだけど、登れなくなっちまって」
「えっ」
「まァ、なんとかなるだろうと思ってたんだけど、」
と言いながら男性は灯里を見た。
その意図を掴みかねて、灯里は首を傾げる。
「要するに、だ。俺を、近くまで乗せて行ってもらいたいんだ」
「で、でもですね……」
シングルは指導員なしで客を乗せることは出来ない。できれば助けたいが、と思いながらどうしようか、とアリア社長を見る。アリア社長も困ったように首を傾げた。
「客じゃないってことで、練習だと思ってさ、人助けってことで」
良いだろ?と男は首を傾げる。
アリア社長をもう一度見る。アリア社長が頷くのを見ながら、灯里は後押しされた気になって、もう一度、男の顔を見た。
「近くまで、乗って行ってください!」
「ありがとう、ホント助かったよ。あぁ、自己紹介がまだだったな。俺はなまえ・みょうじ。お嬢さんは?」
そう言いながら、なまえはすっくと立ち上がった。長い綺麗な薄い金の髪が煽られて蒼穹に舞う。それが、灯里はとても綺麗だと思った。



アリアカンパニーについてから、灯里はそう言えば彼に歌のことを聞くのを忘れた、と思いだした。またいつか会えるだろう、と思いながら、アリシアさんにただいまです、と声をかける。おかえりなさい、灯里ちゃんとアリシアさんは笑って、それから、ねぇ灯里ちゃん、と言った。
「今ね、なまえさんから電話があってね、今日はありがとうって伝えてくれって言っていたわよ」
「アリシアさん、なまえさんとお知り合いなんですか?」
偶然の出会いがなんだかとってもすごい符合のように思えてきて、灯里は少しうれしくなる。そんな灯里に更にアリシアさんは言った。
「それでね、明日お礼がしたいそうなの」
アリシアさんは、行ってらっしゃい、きっと勉強になるから、と意味深に言った。



私服で、と言っていたアリシアさんの言葉にしたがって待ち合わせ場所に灯里は制服を着て立っていた。
人の多い港は、待ち合わせ場所に使われたりするところで、少しそわそわする。こうして待っていると、デートみたいで、どきどきする、と灯里は思う。
「歌のこと、聞いてみないといけませんね」
隣にいるアリア社長に声をかける。アリア社長はにゅっと鳴いて灯里に同意をしてみせた。
キラキラ光る、水面。それを船先で割って滑るように走るゴンドラ。優雅なオールさばきに、灯里は思わず見惚れる。見たことのない制服の水先案内人(ウンディーネ)が乗っている。
驚くことに、そのゴンドラは灯里の目の前で停止した。
「灯里ちゃん」
その声に、弾かれたように顔をあげる。目の前に立っているのは、なまえで、そして、水先案内人だった。

「水先案内人さんだったのですか!?」
「あれ? アリシアから聞いてなかった?」
そう言って帽子を被った後頭部に手を置くのは確かになまえだったが、制服を着ているとまるで印象が違う。彼の着ている制服は、灯里たちが着ているものとは少し違う。ズボンなのだろう。だが、布が多めになっていて、遠目にみるとそうとはわからない。
すらりと身長の高い彼に、とても良く似合っていると灯里は思った。
ぐりぐりっと首を左右に振った灯里に、なまえは、そっか、それじゃ、と言った。
「改めまして。昨日はどうもありがとう。お陰で助かったよ。お礼に、今日は俺が灯里ちゃんを観光案内しようかと思うんだ。地球(マンホーム)の出身だって言っていたからね」
「はい!」
なまえはそう言いながら、綺麗に微笑んで手を差し出した。昨日の快活な笑い方とは異なる笑みで、それは彼の水先案内人としての微笑みなのだろう。
「では、今日一日、私のお客様になってください。プリンセス」
お姫様、という呼びかけと、優雅な仕草に、灯里はついつい顔が赤くなるのを感じる。同時に足元からわくわくが駆け上がってくる。
灯里は、彼が差し出した手に、自分の手をのせることで、それに答えた。


水流がある、危険だと言われている水路をゴンドラは安定した動きでぐんぐんと駆け上っていく。
その操舵の技術はアリシアさんのものとは違うすごさがあって、それに灯里はなるほど、アリシアさんが言っていた「勉強になるから」の意味を悟った。
それから、聞かなければいけないことがあった、と灯里は思い出す。
「あのっ、聞きたいことがあるんですけれど」
「なんでも聞いてくれていいよ」
「じゃあ、昨日のことなんですけど、私に会った時、少し前に歌が聞こえませんでしたか?」
そう訊ねると、彼は訳知り顔でアァ、と言った。それから、昨日のような、少しイタズラっぽい顔をして笑う。
「お客様、カンツォーネを一曲、聞いて行きませんか?」
その答えに、灯里は一拍後、目を丸くする。
「え、って、ことは」
灯里の返事を待たずに、なまえは息を吸い込む。

彼が歌ったのは、昨日のあの、カンツォーネだった。


その感嘆は、お察しください。




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