これを恋とは認めない
「鉄平が好きなんじゃないの?」
紺色の夜空に星々がきらめく。
世界はこんなにも美しいのに、どうして自分はこんなにも醜いのだろう。
「そういうんじゃない」
返す言葉は震えていた。横から視線を感じても見返すことはできなかった。うまく笑えている自信も、なかった。
「そういうんじゃないんだ、きっと」
じゃあどういうものなの?
無言の質問に、答える術はなかった。
みょうじなまえにとって、木吉鉄平は仲のいい友人のひとりにすぎない。幼なじみの相田リコを通して何となく仲良くなった、同じクラスの同級生。接点といえばそんなものだった、はずだ。
それなのにどうしてだろう、隣にいることが当たり前になった。バスケ部の面々を通じなくても、そばにいることが自然になった。
木吉が、怪我をした時も。バスケ部への復帰を決意した時も。みょうじはいつだって木吉のそばにいた。
怪我をした時、みょうじも病院に付き添った。将来を諦めて、高校生活に賭けると決めた時もそばにいた。
――お前、ほんとうにそれでいいの。
みょうじの確認に、木吉は笑った。夕日が眩しくて、どんな顔をしているのかわからなかった。それでも木吉が、笑っていることはわかった。
きっと泣きそうな顔で、笑っているんだろうと思った。
木吉にとって、きっとみょうじという人間は『一番近い他人』だろう。知人でも友人でもない、他人。木吉とみょうじはとても近くて遠い場所にいる。寄り添っていても離れている。
距離が近くても、心は遠い。
立ち入りを許さぬ一本のラインの存在に、みょうじは気づいていた。
そのラインの存在に気づいているのは少数だ。明確に引かれたラインの中に立ち入れるのは極一部で、許された人間だって、片足一つ程度しか侵入できない。
ラインの存在に気づいても、木吉のそばを離れる気にはならなかった。どうしてかは判らない。けれどいなければと、思ってしまったから。
みょうじは昔から、寂しがりに弱かった。寂しそうな様子を見せられると、そばにいてやりたくなってしまうのだ。飼い犬が寂しそうにキュンキュン鳴くので学校を休み、相田に怒られたのは一度や二度じゃない。
そんなみょうじが木吉のそばから離れないということは、木吉は随分と寂しがりなんだろうと思う。端から見れば木吉は寂しそうには見えないし、寂しがり屋にも見えない。けれどみょうじが離れる気にならないということは、そういうことなのだろう。
感覚的なものなので、言葉にはできない。けれど木吉が寂しがっていることは、みょうじには理解できた。
みょうじに何かできる訳じゃない。出来るのは寄り添うことだけだ。木吉の力になりたいとか、そんな大それたことは考えていない。ただみょうじにできることがあるならばしてやりたいと思っただけだ。それがどうしてなのか、考えたことはなかった。
「あんたたちってよくわからないわ」
そう呆れた様子で告げるのは幼なじみの相田リコだ。きっとみょうじよりも木吉に近い、バスケ部の監督。彼女の言葉に苦笑しか返せないのは、自分にだってよくわからないからだ。
みょうじが近くにいることを木吉は許容し、木吉が近くにいることをみょうじは許した。二人の関係は曖昧で、自分たちですら言葉にすることはできない。
二年の時にウィンターカップが終わって、木吉はバスケ部にあまり顔を出さなくなった。たまに顔を出してはコーチさながら下級生にアドバイスしたりして。それ以外は、みょうじとだらだら遊んだり、塾に通ったり、――彼女を作ったりしていた。
ボケ男と評される木吉ではあるが、モテない訳ではない。告白されて、付き合って、別れて、また告白されて。女たらしさながらのループを繰り返し、その隙間隙間にバスケ部に顔をだしたりみょうじと遊んだりしている。
木吉の世界は狭い。バスケ部と、家族と、彼女と、みょうじ。あとはその他大勢だ。
狭い世界の中のひとりになれている。それでも木吉にとってのみょうじは、まだ『一番近い他人』なのだろう。
木吉はみょうじがそばにいることを許している。だから今はそれでいいのだ。いつか木吉がみょうじを拒絶しても、みょうじは構わない。木吉が気になるからそばにいただけで、特別木吉である必要はない。
みょうじは己が卑怯な人間だと自覚している。寂しい人間の近くにいて、求められているのだと思いたい、そういう浅ましい人間なのだ。一番の寂しがりがたまたま木吉で、都合がいいからそばにいただけだ。それだけなのだ。
だから木吉が彼女と連れ添って帰っても何も思わないし、ねだられて口づけを交わす恋人たちを見ても、何も思わない。思うはずがない。
「なまえくんは意地っ張りね」
「酷いなぁ……」
「認めるのが、そんなに怖いの?」
「だから、そんなんじゃないんだって」
だって、どうでもいいのだ。木吉じゃなくたって構わない。みょうじを求めてくれるのであれば、誰だって構わない。だからみょうじは、今日された告白を受け入れた。
笑顔が可愛い子だった気がする。好きです、と顔を赤くしているのが可愛かった。瞳の奥に光った熱が、欲が、みょうじを満たした。だから付き合うことに決めた。
「告白してくれた子が可哀想よ」
「リコちゃん」
「だってなまえくん、その子の名前すらわからないんだもの」
まああたしには関係ないし、いいけど、と相田は話をそこで打ち切った。そのことにほっとしながら、足を進める。
「好きになるかも、しれないじゃないか」
「どうかしらね」
悪あがきのように呟いた一言に相田が返答をくれる。
それを苦々しく思いながら、みょうじは再び夜空を見上げた。
恋じゃない。
恋なんていう可愛らしくて綺麗なものではないのだ。
薄汚いこの感情を恋と認めるには、みょうじには難しすぎるのだった。
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