部誌19 | ナノ


紫陽花の夢



好きな人がいた。
雨が好きだなんて奇特なひとだった。梅雨の季節なんかはご機嫌で、こっちは頭痛や蒸し暑さや髪の毛膨らむわで機嫌が悪いってのに、そっちのけで部屋の中から雨を眺めたり、夜中に雨音を楽しみながら眠りについたり、お気に入りの傘をさしたりするようなひとだった。

「紫陽花がきれいだね」

そう、服が濡れようと構わずに、雨に濡れた紫陽花の花に手を伸ばすような、そんなひとだった。
闘いなんて向いてなかった。穏やかで平和な世界でほやほや笑ってるのが似合ってたのに。どうしてボーダーなんかに所属してしまったのか。トリオン量が多かったからだろうけど、前線に立たなくてもきっとよかったのに。
今より少しだけ、前の話だ。まだボーダーに協力してくれる近界の同盟国少なかった頃の。
技術も何もかもが拙い中で、あのひとは死んでしまった。
雨の中、黒い瞳から光が消えていった様を覚えている。腕の中で冷えていく肌のぬくもりも、何もかも全てが鮮明で。

だから、雨は嫌いだ。


ぶるりと寒さに震えて目を覚ます。少し開いたカーテンの向こうでは、まだ明けきらない夜が見えた。枕元の携帯を見れば早朝ではあるが、朝日が出てもおかしくない時間帯だった。
ぼんやりと画面を見ていると、しとしとと雨の音がした。自然に眉間に皺がよる。雨のせいだろう、嫌な夢を見てしまった。
命を奪われたというのに、穏やかな死だった。こっちが必死に叫ぶように話しかけているというのに、微笑んでさえいたと思う。結構なトリオン量だったというのに黒トリガーにさえならなかったのは、その死に満足していたからなのか、今となってはわからない。

なんて、微笑んでいたかどうかさえ、もはや曖昧だ。記憶は上書きされていく。もしかしたら、苦しい顔をしていたのかもしれない。苦しまないでいてくれたら、なんて希望のせいで本来の死に顔を忘れてしまったのかもしれない。あのひとの最期を知るのは自分だけだというのに、薄情なことだ。

「なに、もー起きてんの……はやくね?」

寝ぼけた声と共に、長く鍛えられた腕が後ろから伸びてくる。抱き寄せられて背中をぬくもりが包み込む。手の中の携帯が取り上げられて、無造作に放り出された。

「今日休みってゆってたじゃん……ゆっくりねよ」

「ん」

ぎゅうぎゅうと力任せに抱き締められて苦しい。けれどもその暖かさと苦しさに安心した。生きてるって、そう思えるから。
うわ、ひえひえじゃん、なんてうわ言とともに、冷えた体を暖めるように長い腕と足が体を絡めとる。じんわりと熱が移動してくるようで、思わず擦り寄ってしまう。

「めずらし……そういうのはちゃんと起きてからして」

「うるさい」

ぽかぽかと暖かくなってくると、瞼も自然に重くなってくる。いつのまにか腕枕なんかされていたが、そのぬくもりも心地よかった。

思えば、薄情なものだ。
あれだけ好きだったのに。あんなにも全力で恋していたのに。喪って心が壊れそうになって、ボロボロになっていたというのに。
今、こうして新しい恋人の腕の中で眠ろうとしている。

あのひとに恋していたけど、片想いだった。想いを伝える勇気はなくて、でも構われたくて必死に後ろ姿を追いかけていた。恋人ではなかったけど、それに近い関係であったと、思っていた。
今、あのひとと同じ年齢になって、あの時の自分と同じ年齢の恋人がいる。追われる立場になって、必死すぎる様に絆されたのだ。

自分とは違い、アプローチはあからさまで、告白は一度や二度ではなかった。そこそこの年齢差があるし、相手は未成年だしではじめのうちは断っていたのだが、何度断っても諦めず、しまいには人目も気にせず告白してきたせいで、周囲からと諭されるようになってしまった。若干押し切られた感もあるが、それでもこうして部屋に招いて同じベッドで眠るのを許すくらいには立派に絆されていたし、好きになっていた。

これが恋なのかはわからない。あの頃のような情熱があるかと問われれば首を傾げてしまう。
それでも、今、寄り添う体温に安心する自分がいる。
きっと誰でもいいわけではない。彼だからこそ、安心できるのだ。
あれだけの愛情を示してくれた彼──米屋陽介だからこそ。

「なまえさん」

「ん」

「好きだよ」

「……うん」

振り向こうと体を捩ると、米屋が腕の力を緩めた。正面から抱きつけば、先ほどと同じくらいの力で抱きしめてくれる。瞼に落ちる唇の感触を感じながら、みょうじなまえは再度の眠りに落ちようとしていた。

きっともう、紫陽花の夢は見ない。
見たとしてもそれは、悲しいものではなくて、隣に米屋がいるに違いない。
そんな核心が、確かにあった。



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