夏の音
快適な温度を保っている校内でも外に出れば夏の日差しが燦々と降り注ぎ、じりじりと肌を焼いてくる。遠くではマジフト部の怒声が鳴り響き、体育館ではボールが跳ねる音が休む間もなく続いている。
そんな暑さの中でも快適に過ごせるはずの植物園でさえ汗が噴き出てくるのだから、妖精の力をもってしても今年はいつにも増して暑いらしい。
運が悪いことにこの暑さの中で授業に使う植物の世話係にあたったエースと俺はさっさと水やりを終わらせて、木陰で一休みをしている時だった。
「スートがよれかけてる」
木陰に入ったせいか照り付けるような日差しからは逃れたものの、室温が変わることはない。
隣をみれば暑いと呻きながらエースが慰み程度に手で空を仰いでいる。
額から流れた大粒の汗がいつもは綺麗に描かれたハートを滲ませていて、珍しさから思わずなまえはエースのハートに手を伸ばした。
体育やマジフトに汗をかくことがあっても、エースのスートがよれるのを一度もみたことがない。
一緒に過ごすことが多いデュースは優等生っぽく振舞っている割にがさつなところがあって目をこすってはよく滲ませているが、その度に指摘しては描き直しているのを眺めることが多い。
赤いハートが滲んでいるのは見たことがあっただろうか?記憶を遡ってみても思い出すことが出来ない。
「きちんと直しておかないと寮長に首を刎ねられるぞ」
規律に厳しい寮長にほどなく慣れてきたとはいえ、わざわざ首を刎ねられたい者なんてこの学校に居やしない。魔法と共に生きてきた者にとって、魔法が使えないのは不便どころではないからだ。
指についた赤い塗料を見遣りながら指先をこすり合わせると、特殊な塗料だと思っていたそれはただの赤い化粧品のようで、なまえの指先を大きく汚す。
ハンカチもタオルもなく汚れた指先を落とすには洗うしかなくて、仕方なしに腰を浮かせるとエースがなまえの腕を掴んだ。
「エース?」
「なまえ、顔は反則だって」
頬を赤く染めたエースが掴んだ腕を滑らせてなまえの手を覆う。
向けられた目に熱が灯られ、伝染するかのようになまえの頬を染め上げた。
「ご、ごめん、そんなつもりじゃ」
「もう遅いし」
告げられたと同時に重なった唇とぼやけるほどに近いエースの顔を直視できなくてぎゅっと目を瞑った。
エースと触れるだけのキスをするのは初めてじゃないのに、未だに俺もエースも慣れることはない。いつだって緊張するし、いつだってドキドキする。それでも触れ合うだけで満足で、心がじわりじわりと満たされていく。
ただ今日だけは外の気温が気になって、暑くて、熱くて、どうにかなってしまいそうだった。
蒸せるような外の暑さも、汗をかいた手の平も、早鐘を打つ心臓も。
何より唇が触れる体温が熱くて眩暈を起こしそうなほどくらくらしている。
ちゅ、と可愛いリップ音と共に離れたエースの顔も真っ赤になっていて、きっと俺の顔も似たような感じになっている。恥ずかしいし、逃げ出したい。お互い汗まみれで繋いでる手がそれを許すはずがなく、逃げそうになった俺の手をエースが強く握りしめる。
「なまえ、もう一回」
顔を近付けて俺の唇を強請る余裕のなさが新鮮で思わずじっと見つめていると、焦れたエースが口を寄せてきた。柔らかくて薄い唇が、ひどく気持ちいい。離れてほしくないけど、離れてほしくて、身体を後ろに引かせたらエースが追いかけるように身体を詰めてくる。
よれたスートと同じように冷静さが欠けたエースに飲み込まれそうになっていて、俺は咄嗟にエースを引き剥がして声を出した。
「え、エース!待って!」
「なに?」
「……ここ、外だから」
夢中で忘れかけていたのか、エースは俺から少しだけ離れると、勢いよく立ち上がる。
お互い顔を赤くしたまま手を繋ぎ、寮に戻るまでの間は何も話さなかった。恥ずかしすぎて、話せなかった、ともいう。
手を引かれて歩いていると、さっきまで聞こえなかったマジフト部の怒声と体育館から響くボールの音がやけに大きく聞こえた気がした。
なんでだろうと、考えるまでもない。
エースに夢中で聞こえなかっただけだった。
そのことに気づいてしまって、やっぱり俺は恥ずかしさから誰にも顔を見られたくなくて、俯くことしかできなかった。
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