部誌18 | ナノ


さよならはいわないで



「いいですか岡田君、紳士たるもの礼節を重んじなければなりませんよ」
 それが岡田以蔵のマスターの口癖だった。
 
 以蔵を召喚したマスターは以蔵とは正反対の男で、とても変わった男であった。
 以蔵が死んだ年齢よりも二回り近くは年上であろう初老の男は以蔵が初めて見る『スーツ』と呼ばれる召し物を纏い、オールバックという髪型と黒縁眼鏡といったなんとも見ていて堅苦しそうな印象を受けた。以蔵は初対面でこの男に対して苦手意識を持つのは致し方ない話だ。こうした真面目くさった男ほど自分を見下す輩ばかりだというのは生前から嫌というほど知っている。
 今回の聖杯戦争はハズレだと、舌打ちさえ隠そうとはしなかった。案の定、その以蔵の態度に男は窘める。

『いけませんよ岡田君、紳士が舌打ちだなんてマナー違反です』

 馬鹿にされたのだけは分かった。瞬間的な怒りが沸き上がり、相手がマスターだというのも忘れて刀に手を掛ける。それをいち早く止めたのは此度の主であった。

『紳士はつねに冷静であるべきです、そうしてすぐに手を出すのは己の愚を晒すようなもの』

 そういっていつの間にか距離を詰めていた男はそのまま手刀で以蔵の手から刀を叩き落としたのだった。
 以蔵の目でさえ追えない初老らしからぬ動きに唖然としていると、動いて少しずれた眼鏡を直しながら、男は変わらぬ態度で以蔵にいう。

『いいですか岡田君、紳士たるもの礼節を重んじなければなりませんよ。それではまずはその身なりから整えましょう。私と戦うからには私のスタイルに合わせてもらいます』

 だからシンシとはなんなんだ。そんな以蔵のツッコミさえも与えずに、男はすぐさま踵を返して歩いて行ってしまう。その見た目に反してゆっくりとした足取りに以蔵はハッと我に返って追いかけるしかできなかった。


 
「相変わらず君はなにを着てもチンピラに見えるから不思議ですねぇ」
 しみじみと自分の姿を眺めながら発した第一声にカチンとくる。
「しわいわ! じゃからわしはこんながは似合わないちいうちょるがろ!!」
 沸点が一気に上がって場所を忘れて大声で怒鳴る。だが、それに怯むどころか自身の唇に人差し指を当てる。
「シィ、岡田君こういう場所で大声を上げるのはマナー違反だといったでしょう」
「っ……チッ…」
 子供にするみたいに窘め方にまた大声を上げそうになるが、またそれで子供扱いされるのも癪に障ったので口を噤むのを選ぶ。それに対して「よろしい」とまた子供扱いをされたから結局変わらなかった。
 いま以蔵と主がいるのは紳士服専門店、しかも自分のサイズに合わせたオーダーメイドができる店だ。もう以蔵はここに何度も通っている。というのも、主が顕現された以蔵をまず連れてきたのはこの紳士服の店だったからだ。
『まずは見た目から変わりなさい、そうすれば誰も君が岡田以蔵≠セと気づきませんから』
 そういって主は以蔵にスーツをプレゼントした。
 スーツだけではない、主は以蔵に様々なことを教えてきた。
 食事のマナー、紳士としての立ち振る舞い、レディーへの扱い、そして必要か分からないダンスまで、世間一般でいう教養を以蔵に教えた。
 仏蘭西語なんて教えてきたときはさすがに拒否したけれど、『フランス語を覚えておけば君が見惚れていた美女を口説くことができますよ』なんていわれてしまえば学ぶしかない。
 頭は悪いが人をまねるのが得意だったおかげでそうした立ち振る舞いはすぐに覚えた。一つ一つ覚えるごとに、主は満足げに微笑んだ。最初は鬱陶しさを感じたけれど、いつしかそれに悪い気がしなくなったのはそう時間がかからなかった。
 だが、どうして主が自分に教えるのか、以蔵にはまったく分からない。
 だって自分はサーヴァントで、座に還ればすべてなくなってしまうというのに。座に持ち帰れるのは記録だけであって、記憶はすべて消去される。こんなもの無意味だというのに、それでも主は以蔵に教えようとする。


「……にゃあマスター、わしにはこんなん必要ないちや」
「なぜです?」
「わしはサーヴァントやき、覚えたところでこの戦いが終わればぜぇんぶのうなる。いましちゅうことも、忘れるち……無駄な時間じゃ」
 いま自分が身につけているスーツを指先でつまんで吐き捨てる。自分の金では到底買えない上等な召し物、自分がそれを身につける資格などない気がした。
 与えられたところで、教えられたところですべてを忘れる。それがサーヴァントだ。
 そんな以蔵を主はじっと見つめる。以蔵の心情を見透かすような、その瞳に気まずさを覚えて視線を外した。
「……さよならだけが人生だ」
「は?」
「とある詩人の一節ですよ、本当はその前にもあるのですが……私は君たちサーヴァントがその詩のようだと思ってるんです」
 さよならだけが人生だ。なるほど、確かに間違ってはいない。
 だが、どうしてそんなことを言い出したのだろう。以蔵が指摘をする前に主が話を続ける。
「だとしても、さよならだけの人生なんてつまらないでしょう。一度死んだ身なのだから、さよならで終わらずに今を楽しむのも一興じゃありませんか」
 さらりとさも当たり前のような口ぶりで話す主のむちゃくちゃ過ぎる理論に以蔵はあんぐりと開けた。
「忘れるから無意味というのなら、一つくらい覚えて還ってください。人斬りなら己の座に傷一つくらい残せるんじゃありませんか」
「む、無茶いいなやっ!おまん紳士らしゅうないこといいなや!」
「おや失礼ですね、私は自他共に認める紳士ですよ」
 心外だといわんばかりにやれやれと首を振る。その発想が紳士らしくないというのをいい加減自覚して欲しい。まるで自分のいっていることが間違っているという口ぶりに主にバレないように舌打ちをする。

(一つくらい覚えろじゃと? そんなもん……できるわけないろ…)
 サーヴァントは座に還れば記録になり、記憶は抹消される。だからきっと、いまこのときだって主のいう『さよならだけの人生』なのだ。
 それでも、このときを楽しめというのだけは同意はできた。それをどう楽しむかはまだ分からないけれど。



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