部誌18 | ナノ


さよならはいわないで



柊刀麻というヤクザは、なまえにとって恩人だった。恩人と呼べるほどなにかをしてもらったわけではない。柊刀麻という人間の大半は暴力で構成されていて、決して善良な人間ではなかった。
体が大きくて、力が強いことだけを暴力と呼ぶわけではない。柊刀麻は風貌からは想像できないほどに、判断力に優れて、社会性があったが、そのどれもが、ヤクザとして必要な素養だった。暴力的な方向に発揮されるそれらが、どれほどに恐ろしいものなのか、柊刀麻は体現する。
そんな柊刀麻がなまえの恩人となったのは、ただ、ただ、偶然が偶然に重なった末のことだ。そうして、ただ、ほんの少しばかりなまえという人間が生きながらえるきっかけになった。
自分が恵まれた人間でないことをなまえは知っている。生まれの親の顔は知らない。育ての親は、ろくでなしだった。気がつけば暴力が支配する世界の中で搾取されるだけのモノとして生きていた。
その中で最底辺でなかったことをなまえは誇りはしない。なぜなら、最底辺というのは明日明後日に死んでしまう人間のことだから。自分よりも弱い人間を踏み台にして、この世界で生きていくことを誇れはしないから。抜け出そうとは思わなかった。狡くて、何もかもが妬ましくて仕方ない人間には、日の当たる場所は歩けないことをよく知っていたから。
自分の誕生日も知らない溝鼠を、柊刀麻は足のつかない使い捨ての駒にするために手元においた。
そして、思ったよりもガリガリで落ち窪んだ目をギョロギョロと彷徨わせることしかできない子供に肉を焼いて、振る舞った。
目の前で焼かれていく肉を喉が詰まるほどに食べてから、なまえの恩人は柊刀麻になった。
柊刀麻は、別の浮浪者を使い捨ての駒に使って、なまえは余り物になった。そうしてなまえは生き延びて、彼についていくために、身なりを整えて、体力をつければ、あっという間になまえは搾取される側から搾取する側になった。
転機があった。
柊刀麻が《煉獄舎》に所属した。
《煉獄舎》というのは、業界では異形を意味した。破壊と破滅を意味する怪物たちの名が《煉獄舎》だった。
なまえの居た組織は炎に飲まれて消滅したけれど、柊刀麻は《煉獄舎》となることで残った。
柊刀麻を追いかけていたなまえは当然、《煉獄舎》に入ることになるだろう。背中に彫り込まれた入れ墨から火を噴いて、迦具都玄示という男について語る柊刀麻を眺めながら、偶然にも《煉獄舎》の襲撃から免れた。
なまえは、柊刀麻のまとう炎を、怖いと思う。
《煉獄舎》に入るためには、あの炎を受け入れる必要があるのだと、柊刀麻は言った。
ここで、やめることができないのだと、なまえは知っている。
柊刀麻の炎よりも、より恐ろしい炎が近くにあって、顔見知りが炎を噴いて倒れていく。火だるまになった中から、生きて帰ることができたら《煉獄舎》そうでなければ、さようなら。そういうシステムなのだ。
なまえは、勘が鋭い方だ。それだけで、生きてきた。生き延びてきた。その勘が、自分がさようならの方だと教えてくれた。そして、逃げることができないということも、柊刀麻から逃げるという選択肢がないことも、わかっていた。
柊刀麻へのなまえの思いは、ひどく一方的なものだ。柊刀麻にとってなまえがその他大勢であることはよく知っている。それ以上になろうと、思ったことはない。ただ、その後ろを歩いていければいいと思っていた。
貴方を追いかけて、自分は死ぬのだと、そういえば少しは記憶に残るだろうか。
終わったら焼き肉に行こう、と柊刀麻が言っている。
なまえはさようならをのみ込んで、柊に背を押された。



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