最近の流行りに疎いので
ずっと、黒い服を着ている男がいる。
忍田真史の後輩で、かつての先輩だった最上宗一の一番弟子だった男だ。
ずっと最上の喪に服しているのだと思っていた。
ずっと、ずっと。
彼が憧れの先輩を想い続けている間は、ずっと。
彼が黒を着続けて、もう五年ほどになるだろうか。今日も今日とて、彼──みょうじなまえは全身真っ黒の格好で忍田の前に現れた。
「忍田さん、こんにちは」
「ああ……こんにちは、なまえ。なんだかおまえの顔を見るのは久しぶりだな」
細身のブラックジーンズに、オーバーサイズの黒いニット、ごつめの黒いスニーカーと、徹底されている。ファッションに疎い忍田には分かりかねるが、似合っているのでみょうじのセンスはいいのだろう。黒一色で纏められた格好は、忍田の補佐を務める沢村から見てもオシャレらしい。
それでも、忍田は彼の姿を見るたびに思うのだ。
彼が、みょうじが、黒以外の服を身につける日は、果たして来るのだろうか、と。
「おれも日の光を浴びたのは久しぶりな気がする……鬼怒田さんが離してくれなくてさ」
「気色の悪いことを言うなみょうじ! おまえがあーだこーだとうるさかったから付き合ってやったというのに、なんて言いぶりだ!」
「うわ、地獄耳……今の鬼怒田さんの声のがうるさいからね、そんな声で怒鳴ってたら娘さんに嫌われちゃうよ?」
「怒鳴らせているのはお前だろうが……!」
後ろを歩いていた鬼怒田の苛烈な怒鳴り声にも怯まずに、みょうじはけたけたと笑う。二人のやりとりはいつものことで、なんだかんだで本気の喧嘩をしたことはないはずので、仲はいいと思われる。怒鳴り声をあげている鬼怒田とて、本気で怒ってはいまい。多分。
みょうじが戦闘員から技術者へと転身した際には、様々な引き止めがあった。忍田がノーマルトリガー最強の男というのであれば、その次を担っていたのがみょうじだからだ。年下ながらトリッキーな行動で翻弄してくるみょうじと戦うのは楽しく、忍田は彼の成長を楽しみにしている時期もあった。
今のみょうじは、技術者として名が知れていて、彼が戦闘員だった頃のことを知る人間はあまり多くない。寺島雷蔵の師匠を自称していて、彼にトリガー技術のノウハウを叩き込んだという話だ。
もしかして、と考えたことがある。
みょうじが技術者へと転身したのは、トリガーの技術を学ぶことで、黒トリガーとなった最上を元の姿に戻そうとしているのでは、と。
転身したタイミングから見て、忍田にはそうとしか思えなかった。今や開発室長補佐となったみょうじは、既存のトリガーの改良や開発には手をつけず、新しい技術の確立をメインとしている。近界から持ち寄られた技術を元に、どう我々に転用できるかといった様々な開発にも携わってはいるが、鬼怒田と二人で何やら話し込んでいる時間の方が多く、機密性の高い話ばかりだからと、開発室奥の電波も通らない密室で籠もりがちだという。みょうじに連絡を取りたい場合、本人は噂の密室で連絡がつかないため、専ら鬼怒田に連絡が行く。日の光を久しぶりに浴びたというのも、案外嘘ではないのかもしれない。
「日光を浴びないとビタミンDが生成されないらしいぞ。もっと外に出るべきだな。そもそも今だって屋内で、日の光は浴びてないだろう?」
「うーん、わかってはいるんだけどなぁ。まあ一応サプリ飲んでるし、ほどほどで許してよ」
「許す許さないの問題ではないと思うが……」
それでもサプリを飲んでいるだけマシなのだろう。開発が楽しすぎて、なんて理由で本部に居着いたみょうじは、勤務時間を超過しまくって開発室に滞在している。自室にいる時間の方が少ないくらいで、よっぽど開発が楽しいんだな、なんて太刀川辺りは笑っていた。しかし果たして本当にそうなのか、忍田にはわからない。
彼の哀しみを知っている。慟哭を聞いた。あの時の泣き顔が、声が、忍田の中から消えることはない。
どうして、という嘆きの声は、涙は、弟弟子である迅の前では決して見せなかった姿で。恐らくは、忍田だけが知る彼の本当の姿だ。
「いい機会だ、みょうじ! 今日明日は休め! 室長命令だ! 開発室に入ることを禁ずる!」
「えっ、なんで! いきなり!? ひどくないですか鬼怒田さん!」
「酷いわけあるか! 開発室に居座りおって……わし以外の人間からも、いつ開発室を訪ねてもお前がいると聞いとるぞ。そんなことだから考えが煮詰まるんだ。たまには脳みそ休ませてこい」
「えー……」
フン、と鼻息を鳴らして去っていく鬼怒田の背中を情けない顔で見つめるみょうじに思わず笑みが溢れる。なんだかんだ、優しい鬼怒田はみょうじの体調を気遣っている。張り詰めたような、どこか暗い印象だったあの頃との違いに、安堵する。
忍田はあの時、みょうじの哀しみに寄り添うことはできなかった。忍田とて、同様に自分の哀しみで手一杯だったからだ。けれどみょうじも、忍田と同じように、苦しみながらもここまでやってきたのだ。
たとえ、その身に纏う色が未だ黒のままでも。
「……別の色は、着ないのか?」
不意に、口から零れたのはそんな言葉だった。ずっと考えていて、けれど口には出すまいと、決めていた問いかけだった。
まだ、彼を想っているのかと、そう問いかけることはきっと、残酷なことなのだろう、と。
「色?」
「いや、いつも黒ばかり着ているから……」
「服? あー、たまには自分で買いに行くか……本部にいたら怒られそうな感じするし」
めんどくさぁ、と嫌そうに吐き出すみょうじの言葉に、忍田はぱちりと瞬いた。
「……自分で買っていないのか?」
「そー。おれ、オシャレってのがてんでわからなくてさぁ。大体迅とかにスマホ渡してネットで適当に買ってもらってる。色彩センスも死んでるらしくて何着てもおかしなことになりそうだから、黒で統一してんの。そしたら何着ても変なことにはならないから」
思わぬ回答に絶句する。
そうして、思い出す。最上の弟子をしていた頃、彼は常に換装していて、私服の姿を見たことがなかった、気がする。
「はじめのうちは色々悩んで決めた服を最上さんにクソミソ言われたりしてたんだけど。最上さんが……死んじゃって。なんとなく黒を着るようになったらこれがまあ楽ちんで……ちなみに全身白でもありじゃん!?って着たことあったけど、体操服とか死装束とかクソミソ言われたしカレーうどん食って汚して二度と着んな服への冒涜だって小南に叱られたからあれ以来着てない」
だから、大丈夫だよとみょうじが笑う。
後輩を気遣ったつもりが逆に気遣われている事実に苦笑するしかない。
それが本当かどうかはわからない。けれどみょうじがそう口にするのであれば、本当になるのだろう。
「でも全身真っ黒だったら夜とかどうするんだ? 本部でたまに話題になる幽霊っておまえのことじゃないよな?」
「えっ!? いや、どうだろ、否めないな」
「否めないのか。まあたまには黒以外も着てみてくれ。どんな服を選ぶのか気になるから」
「めちゃくちゃ気軽に言うじゃん……忍田さんだってスーツ以外の服絶対微妙じゃね!?」
「うっ……」
何も言えない。そもそもスーツ以外の服を着て外に出る機会が少ない忍田としては、正直みょうじとトントンなとこはあるだろう。何せクローゼットの中に何が入っているか、すぐに思い出せないのだから。
「私はもうおじさんだからな……」
「それ、他の人に聞かれたら怒られると思うからやめたほうがいいと思うよ……。店員さんのアドバイス通りに買っても他の服との組み合わせわかんねえからいつも同じ服着てるって言われちゃうんだよなぁ。でも流行り廃りもわかんないし、他の組み合わせ方もわかんないし、頑張って考えてもクソミソに言われるから嫌だ……」
「まあ、気が向いたらでいい。楽しみにしている」
「ええ……はぁい」
溜息混じりのみょうじが、肩を落としながら本部の外へと足を向ける。その背中を見送りながら、忍田は長年のつかえがとれたような、そんな気持ちになったのだった。
「忍田さーん! これなら真っ黒じゃないし最近の流行りじゃね!?」
この数時間後、何故か服を新調することなく、髪を黒からピンクゴールドに変えてきたみょうじに度肝を抜かれ、何か余計なことを言ったのかと、みょうじと二人、鬼怒田に叱られることになるのだが、この時の忍田がそんな自分の未来を知ることはもちろんなかった。
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