部誌18 | ナノ


最近の流行りに疎いので



「ねぇ、これなんてどうかな?」
小綺麗ではあるものの、小さくて古いスナックの6席しかないカウンターの真ん中に近い位置に陣取った男が腕時計のカタログを広げて店主に見せた。
猥雑な街では夕暮れ時はまだはやい時間であるために、店内にいる客はカウンターに冊子を積み上げる男だけだ。はっきり言って、営業時間前だ。
店主は煙草を深く吸いながら「どうかなって、どういうこと?」と素っ気なく返した。カタログの隅に小さく書かれた印字のゼロを数えて、口元を歪める。
久しぶりに見る顔だった。サユリがこの『花菫』のマスターになる前、ただの従業員だった頃の常連の男。
それなりの年齢のはずが、当時と同じく年月を感じさせない肌ツヤと美貌の、年齢不詳の男。昔の店を知る常連を前に久しぶり、と店内に招き入れてしまったが、注文もそこそこに男物のカタログを広げて、プレゼントの相談をしはじめた男にサユリは少し困っていた。
この『二番街』にやってくるのは、よくいえば玄人であり、この男のような如何にも身なりの良くて、高給取りだとわかる人間はいささか目立つ。何か性癖にこの街でしか賄えないものがあるわけでもなく、彼はただ『花菫』やその他いくつかの馴染みの店で酒を飲んで、去っていく。そういう客だった。
誰かが、どういった人間なのか探りをいれたことはあるけれど、のらりくらりとはぐらかすばかりで語らない、不思議な客。
どこかのタレントやモデルのような容姿から、興味を惹かれる人は多かったけれども、どのアプローチもきれいに躱して、誰とも深い関係になることなく、いつの間にか居なくなっていた客。
「相手は男の人ってこと?」
もうそろそろ、紫が帰ってくる頃だろうか、と時計に視線をやりながらサユリは聞いた。答えを期待していたわけではなく、ただ、聞いてみただけ。
「ああ、言ってなかったか。ごめんね、ちょっと舞い上がってて」
頬を染めながら彼が事情を話し始める様子にサユリはぽかん、と口をあけた。

なまえ曰く。──サユリは、彼の名前をはじめて知った。適当な呼び名は彼の名前にひとつも被っていなかった。
運命の出会いがあったらしい。

バーのマスターをしていれば、人の恋話を聞くことは多い。ただ、『二番街』に転がっている恋話は、『花菫』であっても少し下世話であったり、少し縺れたような話の頭と尾がわからない話であることが多い。

初恋だといって頬を染める男の話に相槌をうちながらサユリは沸き立つ好奇心のまま、「それで」と前のめりになった。
「その人の名前は聞いた?」
なまえの話の中では非常に際立った美貌の、物腰が洗練された高貴な男性のようだ。どこの誰なのだろうか、知っている人間なのだろうか。カタログの高級時計が似合うスーツの男を思い浮かべる。
「そう、それを君に確かめようと思って」
「あたしの知り合いってこと?」
「そうだと思うよ。この店の前のマスターの子と一緒にいたから」
「紫ちゃんが?」
自分をお姉さまと呼び慕う子の姿を思い浮かべながら、サユリは首をかしげる。紫はきれいな子だ。中学生になった紫は最近、弟子入りをした。部活のような、スポーツや趣味ではない、実践的な剣術を習っている。
何事にも如才なく、器用にこなす紫が、切望したことだけれども。サユリはどこか不安を感じている。彼の師となった長谷一心が気に入らないわけではない。どこか『二番街』に馴染む“負け犬”の雰囲気はあるものの、芯の通った人柄に好感を抱いている。紫が店の手伝い以外に余暇をつかうことも、良い変化になった。
そう、紫は最近、放課後はいつも一心に師事している。
「……まさか」
サユリはパッと口を手で覆った。
「剣を教えているのかな。どこの流派だろうか。姿勢がいいのはそのせいかな」
間違えようがない。あの人である。最近『二番街』の用心棒のようなことをし始めた、紫の師。長谷一心。
間違っても彼が言うような高貴な男性ではない。剣を振るう姿は姿勢が良いが、酒を飲んだりものを食べる姿はどうだろうか。
「長谷一心……」
サユリからその名前を聞いてうっとりと頬を染めるなまえと高級時計のカタログを見比べながら、サユリは迷った。
言ったほうが良いだろうか。多分いいはずだ。
紫から聞く長谷一心はあまり、身につけるものに頓着しない。物持ちが良いといえば聞こえはいいが、洗濯は滅多にしないらしい。間違っても車が買えるかな、という値段の時計をつけるような人間ではない。
「その、一心さんに、それを?」
「そう、……なにか、贈り物がしたいんだ。指輪というのも考えたけれど、まだはやい気がしてね。どんなものを喜んでくれるかわからないのだけれど」
受け取らないのではないだろうか、と思いながらサユリはそれをどうやって伝えようか考える。
「ここしばらく、人里を離れていたからね……流行りにも疎くて」
そういう問題だろうか? 距離感が掴めないまま、サユリは時計を睨む。開店時間がくれば、この客を別の人間に任せられるか。
しっかりしているようで、一心に対して子供っぽくなる紫にこの男の話を聞かせたくないような気がして、サユリはできれば、常連がいい、とドアの向こうに耳を済ませる。

かわいい養い子の心を惹く男が、この怪しげな男に頓珍漢な贈り物をされるところは楽しそうではあるが、それが紫に与える影響が未知数で。

積み上げた冊子の中から高級車のカタログを指でつまみ上げて、あの人は免許を持っているのだろうか?と考えた。



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