部誌18 | ナノ


きみにおはようを言わせて



その日、氷帝学園の生徒は学外のコンサートホールに集合していた。
残念ながらコンサート鑑賞ではない。全校集会のようなものだ。学生たちだけなら学園内の講堂を使用するが、今回は来賓に保護者と卒業生が多数参加し、今後の学園としての展望、新理事の紹介など、様々な発表のための場を設けることとなったのだった。
同じ学生服を着た生徒たちがコンサートホールからぞろぞろと溢れ出ているのは圧巻の一言に尽きる。何より制服が氷帝学園のものなのだ。周囲からの注目度も高い。

ほとんどの学生が保護者と合流して帰途につくなか、樺地崇弘はいつものように氷帝学園テニス部部長、跡部景吾の後ろにいた。今日は平日であり、多忙な両親は今回の集会に参加していない。跡部の両親は集会のあとも理事の集まりがあるらしく、近くのホテルのラウンジで昼食でも、と跡部から誘いを受けたのである。
尊敬する先輩であり幼馴染でもある彼の誘いを断る樺地ではない。もちろん快諾した。その場には集会をサボる気満々でいたため、跡部に捕獲され強制参加させられたみょうじなまえと芥川慈郎もいて、もれなく二人も共に行くことになったのだった。

「腹減った

コンサートホールからほど近いホテルは、わざわざ車で移動するほどでもない。歩いて移動するのは跡部と樺地の共通認識で、相談することもなく決定された。それによろよろと力なくついてきていた芥川が、腹に手を当てながら呟く。その様子に眉を顰めたのはもちろん、跡部である。

「アーン? 集会でいびきをかいて寝てただけのお前がなんで腹なんか空かすんだよ」

「寝るのも体力いるC……ホテルのラウンジって何があるのかなーハンバーガーの気分なんだけどなーねえマックにしようよー」

「却下だ却下。もう予約してあんだから似たようなもん食っとけ」

「せちがらい……」

ジャンクな気分だったのに、と唇を尖らせる芥川だが、きっとラウンジで何かを食べればおいしいと目を輝かせるはずだ。樺地も利用したことのあるラウンジの食事は美味しいし、何より芥川と跡部の会話は、過去何度か繰り返されたものだからだ。同じやりとりに跡部は呆れているが、芥川がこの会話を覚えているかは怪しい。跡部の利用するレストランがまずいはずもないのに、学習しないのである。
二人のやりとりを見守りながら、樺地はなまえに視線を向けた。普段から無口かつ無表情ななまえは、樺地同様会話に参加することが少ない。いびきをかいてはないなかったが、芥川同様集会のほとんどを寝て過ごしたなまえはまだ眠いのか、うとうとしていて危なっかしい。

「みょうじ、さん」

「ん、おきてる、おきてるからだいじょぶ」

どう見ても大丈夫そうではない。ふらふらとあらぬところに行きそうになるなまえの手をとり誘導してやると、なまえは樺地の腕にもたれるようにしてなんとか歩いた。抱き上げてやりたいところではあるが、ここは学園ではない。うかつに目立つようなことは避けた方がよさそうだと、樺地は誘導するだけに勤める。
そもそも跡部の美貌と樺地の長身、何より氷帝学園の制服を着ている時点で十分に目立っていたが、樺地がそれに気づく由もない。

「あ」

千鳥足一歩手前の状態で歩いていたなまえが、不意に足を止めた。眠たげだったなまえの瞳がキラキラと輝いた。朝焼けを浴びたかのような輝きに、樺地の呼吸が数瞬止まる。

「あとべ! ピアノ!」

「あ? 街中にピアノ……珍しいじゃねえの」

なまえが指さしたのは、最近テレビで何度か見かける街ピアノというやつだ。青空の下に設置された剥き出しのピアノは整備されているのか、状態がいいのかどうかも謎だが、なまえは気にしないらしい。まあ室外でピアノを弾く経験なんて滅多にできないだろうから、なまえにとって千載一遇のチャンスではあるのかもしれない。

「ひきたい! ひいていい!?」

「ダメに決まってんだろ。お前の音楽はこんなところで大盤振る舞いするようなもんじゃねえだろうが」

「えー! 今ひきたい! 今!」

やだやだやだやだ今がいい! 今!
中学生にはあるまじきものすごい駄々に、跡部は若干の引いていた。言葉もなくばたつくなまえを見守っている。樺地も樺地で、いつになく興奮したなまえが腕を繋いだ状態で駄々をこねるものだから、どう対処していいかわからない。

なまえの音楽を認めている跡部からすれば、おそらく街中に置かれたピアノよりも、先ほどのコンサートホールのような場所で弾いてほしいところだろう。しかしなまえは恐らくは、格式ばった場所で歌うのも弾くのも好きではないし得意でもない。楽器の揃う音楽室ではなく、屋上や裏庭でばかり歌っているのだから、恐らく樺地の認識に間違いはない。
そもそもあまり意思表示をしないなまえからのわがままである。その時点で跡部は絆されそうになっているのが、長年そばにいる樺地には容易に理解できた。

「おれも聞きたい! いいでしょ跡部!」

ついでに芥川からの援護射撃に、跡部はすぐに撃沈した。もとより跡部だってなまえの音楽が好きなのだ。聴けるチャンスがあるなら決して逃して来なかった跡部が最後まで拒絶できるはずもない。

「予約もあんだからな! 五分だけだぞ!」

「やった! あとべありがとうだいすき! 行こうかばじ!」

「ウス」

腕を引かれるままになまえの後を追い、ピアノの前に着席したなまえの後ろに立つ。離された指先が少し寂しく、けれどこのあと待ち受けるなまえの音楽に期待で胸が逸った。跡部と芥川もすぐに追いつき、ピアノのそばに立つ。
指慣らしとばかりに白くて長い指先を鍵盤に滑らせ、ちょっと残念な顔をしたなまえは、それでもキラキラした顔のまま気を取り直して音を紡ぐ。

なまえが奏でるのはいつだって既存のものではない。その時の気分によって左右される音楽は、一度たりとも同じものはなかった。室外でのピアノにわくわくしているのか、キラキラした顔のなまえが紡ぐ音楽は、なまえの心情と同じように煌めいていた。縦横無尽に動く細い指先が、樺地の知らない音楽を響かせる。いつだってなまえの音楽は、樺地の心をこれでもかと騒がせる。
ピアノの音に、なまえの声が重なる。いつものように歌詞のないメロディーが楽しげな声に乗って樺地の耳に届く。それは、とても幸福な瞬間だ。

五分という時間は、長いようで短い。ひとしきり歌い上げたなまえが、満足げな息を吐く。なまえの音楽に浸っていた樺地は、その吐息の音で現実に戻ってきてしまった。もう少し、聴き入っていたかった。そんな贅沢な悩みを表に出すことはなく、ポケットからハンカチを取り出してなまえに差し出す。なまえは興奮しか頬は赤く染まり、つやつやしていると同時に、汗もかいたようだったから。

「……おはようございます、みょうじさん」

「かばじにはばればれだ。おはよ」

ピアノを弾いたことできちんと目が覚めたらしいなまえは、照れたように笑った。
珍しいなまえの笑みに感動する間もなく、周囲からの万感の拍手が響き渡る。驚いたなまえが動物のように飛び上がり、その場から樺地の手を取って逃げ出すものだから、跡部と芥川が笑いながら追いかけてきた。

「逃避行決めてんじゃねーよ馬鹿!」

「かけおちやめてよねー!」

ちなみにホテルのランチには間に合った。
跡部様々である。



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