きみにおはようを言わせて
夜と呼ぶには空が明るく、朝と呼ぶには静かすぎる時間を一緒に過ごしたのはもう何度目だろうか。
規則正しい寝息をBGMになまえは床に散らばった制服を一つ一つ掬いあげ、この部屋に入った時と同じように身に着けていく。ネクタイ、シャツ、ズボンに下着。
身に着けていたもの全てをぎ取りぎ取られてお互いの熱を奪い合いながら一夜を過ごす、とでもいえば聞こえはいいが、現実はそんなものとは程遠い。
お互い飽きるまでを前提にした男同士のセックスなんてものは期限付きでしかなく、ましてや男しかいない学園ではよくある話の一つでしかない。
ましてや男との関係は「慰める」だけの関係だった。
どちらかが拒否すれば簡単に終わってしまうような関係は、簡単に壊れるほどに脆い。
自室に戻るだけとはいえ身についた習慣が抜けることなく、脱ぎ捨てたものを全て身に着けて仕上げのネクタイまで締め上げる。
あとはいつものように、この部屋から出て何事もなかったかのように自室へ帰るだけ。
彼と過ごした夜は、彼が起き出す前に部屋に帰る。
それがなまえが勝手に決めた、なまえだけの規則(ルール)だった。
ふと、いつも聞こえていた筈のBGMが途切れていたことに気付いて慌てて手を止める。
焦る気持ちを抑えながら彼が起き出す前に部屋から出ようと慌てて扉の柄を掴んだものの、なまえは扉を開けることは出来なかった。
ふわりと香る嗅ぎ慣れた男の匂いとチラリと見えた滲んだハートのスート。
背中からシャツ越しにじわじわと伝わってくる体温と身動きが取れないように回された腕になまえの心臓がどきりと跳ねる。
「なんで、いつもすぐに帰んの」
小さく呟かれた声は低く、少しばかり掠れていた。
思わず身体を強張らせたのが伝わったのか、腕の力が強まって抜け出すことは難しい。
言葉を返そうと口を開けると、顎を掴まれて口を無理やり塞がれる。
「んぅ……、う」
柔らかい舌が入り込みなまえの言葉を奪っていく。
好き勝手に口の中を荒らしまわり、お互いの唾を飲み込みながら息も絶え絶えになった頃。
顔が離れて初めて見たエースの表情は、なんとも情けない顔だった。
どうしてそんな表情をするのだろう。
何度身体を重ねても恋人といった甘い関係になるはずがなくて男に向けた燻ぶった気持ちは、名前だけが抱えていたものだったのに。
エースがなまえと寝た回数を数えるのをやめたのは、両の手で足りなくなった頃だった。
都合のいい時にだけ擦り寄ってくる猫みたいな気まぐれさでなまえはエースを翻弄し、もっとと手を伸ばしたところで離れてしまう男に心を奪われたのはなまえと寝るよりずっと前。
あの手この手を使っても落ちることのなかったなまえは、エースが零した「慰めてよ」の一言で簡単に落ちた。
それはエースの紛れもない本心で、想い続けてきたなまえへ相手にされず少しばかり疲れた心をよりにもよって本人に零したことから始まった。
想いが通じたとは、思ってはいない。
けれどもどんな手を使っても落ちなかったなまえを独り占めできる嬉しさに舞い上がったのも束の間でなまえに「慰めて」もらった後、空になった隣のスペースはいつだってエースを虚しくさせた。
優しくしたし、お互い気持ちよかったはずなのに散らばった衣服は一人分しかなく、なまえがいた後が一つもない。
それでもようやく落ちてきたなまえを手放すのが惜しくて、エースは何度も「慰めて」もらった。
好きだと言葉にすることなく、けれども口にするのは憚られて何度も「慰めて」くれるなまえとの関係は、恋人だなんて甘い関係とは程遠い。
口にせず、けれども身体を重ねるだけの関係は薄っぺらくて寂しくなるばかりだった。
それでも一度手にした男を手放せず、だからといって踏み出す勇気のない意気地が情けない。
格好悪いと、自分でも思うのだから救いようのない馬鹿だったのだろう。
始め方を間違えたのはエースだ。
そして、間違えたのはなまえもだ。
「慰めて」くれるばかりの、なまえはきっと知らない。
「俺は」
びくりと跳ねたなまえの身体に気付きつつも離すつもりはない。
ネクタイまできっちりと着込んだなまえはいつだってエースの気付かないうちに部屋を出ていく。
そして、今日もそのつもりだったのだろう。
本当は、最初の朝からなまえがベッドを下りた時から気付いていた。
「慰めて」くれただけのなまえを引き留める術がなくて、いつだって着込んだ名前の背中を見送るしかなかっただけだ。
「朝起きたら、なまえにおはようって言いたい」
夜だけを「慰めて」くれるばかりのなまえはきっと知らない。
朝に好きな子が隣にいない虚しさも、時間が経ったシーツの冷たさも。
「なあ、なまえ。お前は?」
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