部誌17 | ナノ


運命のくそったれ



 部屋に入って真っ先に感じたのは消毒液の匂いだった。嗅覚の優れたキバナにはその消毒液のきつい匂いが鼻に障って顔を顰める。昔からこの匂いは好きではなかった。消毒液の利用法など限られている。
 脚を一歩踏み出して部屋に入れば白を基調にしたベッドが並んでいる。一番奥のベッドにはカーテンが仕切られており、窓からの日差しでカーテン越しのシルエットが映った。そのシルエットを見た瞬間、すぐにカーテンを開けて怒鳴ってやりたい衝動に駆られた。だが、場所が場所のため、大声を出せばどれだけ周囲に迷惑がかかるか分かっている。自身の立場なども考えた結果、自身を怒りを鎮めるしかなかった。だが場所が場所のため、眉間に指を当ててぐいぐいと横に引っ張る。カーテン越しの相手に気付かれぬように深く息を吸って吐き出す。
 表情から怒りを消せたのを自覚して、再び一歩足を踏み入れた。キバナの長い脚ならものの数歩で着いてしまう。その場で立ち止まるのも不自然な気がして、覚悟を決めて一気にカーテンを引いた。

「あれキバナ、試合もう終わったの?」

 最初に目が入ったのは体中に巻かれた包帯であった。額のみならず腕、脚、そして入院着から覗かせる胸部に至るところまで包帯がぐるぐると巻かれている、右頬にはガーゼが張られており、左頬に比べて腫れてしまっていて痛々しい。
 満身創痍という言葉にふさわしい重傷っぷりだというのに、ベッドの住人はキバナの姿を捉えると朗らかに笑って迎え入れた。まるで自分の家に招き入れるかのような軽い調子にキバナの体温が一気に上がり、同時に鼻の奥がツンと痛くなる。それでも、キバナはなんとか笑顔を作った。もう慣れたことだ。
「今回の挑戦者弱すぎて秒殺だったわ、早めに終わったから様子見にきたぜー」
「ええ、大丈夫なのそれ……またSNS荒れるんじゃないか……」
「大丈夫大丈夫、炎上なんていつものことだから」
「そんなお家芸みたいな……」
 本当はバトルなんてとっくに終わっていて、連絡が入ってすぐにフライゴンに跨がって超特急で飛んできた。だがそれはこの男走らなくていい。
 惚れた男の命を軽く扱うやつに、教える義理なんてない。


「もう無理、あいつホントなんなの。もう俺様が養うから仕事辞めて専業主夫になってほしい」
 お気に入りのパブにて、キバナは空になったグラスを片手に延々と愚痴っていた。被害者は先日妹に席を譲って悠々自適に音楽活動を行っている元スパイクタウンジムリーダー・ネズだ。
 ネズはキバナのうめき声を冷めた目で眺めながらグラスを傾ける。
「……で、今回はどれくらいいるんですか」
「1ヶ月」
「ああ、今回は軽めだったんですね」
「いや本当は全治三ヶ月だったんだけどあいつの脅威の回復力で一ヶ月まで縮まったの」
「……相変わらず不死身の称号は伊達じゃねえんですね」
 感心した台詞ではあるが実際は呆れ果てているのが分かる。キバナだって同じ気持ちだ。
 カクテルを置いてそのままテーブルに頬を押しつける。体の大きいキバナには狭いテーブルと椅子であるが今は身を縮ませてしまいたかった。
「毎回あいつが入院するたび死にそうになるの勘弁してほしい……」
 恋人の仕事はいつだって命の危機が付きまとう。ワイルドエリアという過酷な場所でつねに野生のポケモンたちからトレーナーを守るために身を挺して守るのだ。そのたびに怪我をし、酷いときにはああして入院する。
 一番最初にその知らせを聞いたとき、キバナは信じていない神様に祈りを捧げた。だが、実際会ってみればケロッとキバナを迎えたときはさすがに怒鳴ってしまった。
 そして同時にキバナは悟った。あ、こいつ俺が養わないといつか死ぬな。と、その予感は当たる自信があった。キバナの勘はいつだって当たるから。現にその勘は当たってしまい、毎度毎度恋人は怪我が尽きることはない。
 そんなキバナの恋人の危険性を知っているのはキバナと愚痴に付き合ってくれるネズだけ。キバナが恋人がいることは恋人からのお願いで未だ公言していないからだ。
「話を聞く限り、彼そういう性質だから直すなんて無理でしょ」
「直せとはいわねえよ、せめてもう少し自分を守ることを覚えてほしいだけなんだよ……」
「できると?」
「……はああああ、どうして俺様あんな男に惚れちまったんだろ……」
 大げさに溜息を吐き出してうめき声を上げる。その嘆きにネズはハッと鼻で笑い飛ばした。
「そういうヤバイやつに弱いんでしょお前は、恨むならそういう運命迎える男に惚れちまう自分の最低な気質を恨み」
 ネズもそれなりに寄っているのか珍しく訛りが出ていた。だが、慰めを全く感じられない労いの言葉にキバナは無言で中指を立てた。



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