湿度100%の出会い
雨が降っていないのに服が濡れるほど湿度がある夜の海には『出る』らしい。
宴の席で酔っ払った男たちにそう吹聴されたサッチはその時は笑い飛ばしたというのに、今になって思い出すのは今が丁度、その夜にあたるからだ。
その日のサッチは丁度夜番の日だった。
今までからも何度か夜番の日に当たっていて、その都度仕事を終えてきた。幾度も夜番をこなしていると、遠くで海賊船や海軍の船を見つけることがしばしばあったし、時には難破した船や人を助けたこともある。
それでも今まで『出る』話は聞いたことなかったし、出会ったこともなかった。
もっとも、服が濡れるほどの湿度があるといった条件下での夜番がなかっただけかもしれないが、大の男、それも懸賞金がかけられている海の男たちがそんな話をすることも、信じることもないと思っていた。
けれども、サッチが絶大に信頼しているオヤジですら意味深に笑い、その話を否定することはなかった。
「くっそォ、絶対出てくんなよ!」
「何が?」
「何って、幽霊だよ!幽霊!」
「幽霊?」
「俺、本当は幽霊って苦手で……って、誰だお前!」
サッチが振り返るとそこには男が一人、目を丸くして立っている。
見覚えのない顔にサッチは警戒心を露わにするが、目の前の男は身体が透けていなければ足もきちんとついている。
一先ずサッチは胸を撫でおろし、改めて男に目を向けた。
「酷い!なまえだよ!」
「なまえ…?」
サッチは船に乗っている兄弟の顔は覚えているが、人数が多く連日新入りが入るような海賊団なので全ての兄弟を覚えているかと問われれば、否だ。
兄弟が新たに増える時は必ず顔合わせはあるものの、人数が多ければ多いほど顔と名前が一致しなくなる。特になまえという男は、マルコやサッチようなこだわりのある髪型をしているわけでもビスタやイゾウのように服装を楽しんでいるわけでもなさそうだ。
とはいえ、周りに海賊船は見当たらず、かつ同じ船に乗っているのだから兄弟以外ではないのだろう。
身体もあるし、足もあるみたいだし。
「わり、覚えてねえ」
「もう!次はちゃんと覚えろよ!」
「悪かったって。お詫びにお前の好きな料理作ってやるから」
「本当?じゃあ、塩の使わない料理がいいな」
「はあ?塩?」
「そ、塩。じゃあ、頼むぜ!」
なまえはサッチの肩を軽く叩くとそのままサッチとは別の見張りの場所へと戻っていく。
その後姿を眺めながらサッチの頭には塩を使わないレシピを幾つも浮かばせていた。
夜番は何事もなく終わり、それからさらに数日経った頃。
サッチは船内を探せどもなまえの姿を見つけることはなく、近くに居た兄弟に話しかけた。
「なあ、なまえってどこにいるか知ってるか?」
「なまえ?誰だっけソイツ」
「ほら、この間俺と一緒に夜番してたなまえだよ」
「サッチ、誰のこと言ってるんだよ?この船になまえなんて兄弟いないだろ」
「え……?」
サッチは確かになまえと話をしたはずだった。
身体もあって、足も透けていない。
なにより、一瞬とはいえサッチの肩を叩いたあの手の強さを覚えている。
「サッチ?大丈夫か?」
固まりながら表情が青褪めていくサッチに兄弟が慌てて声を掛ける。
その声は聞こえていたものの、なまえのために考えたレシピがサッチの手からはらりと床に落ちた。
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