部誌16 | ナノ


秋のすすめ



けほ、と軽く咳をした。いまは痛くないはずの喉がまだまだイガイガしているような気がしてもう一度咳をした。
目のほうも、まだまだ痛い気がする。しばしばと何度もまばたきをして、視界の不良に首を傾げながら手にした団扇を動かしてみる。
「……しっぱい、したかも」
「ははは、全然前が見えないな!」
隣で菜箸を持っているはずの男の声がする。しかし、その姿はもうもうと立ち上がる煙でよく見えない。
「換気の仕方、わかる?」
「まったく」
「いつも餅を焼いてるときどうしてるの?」
「いつもは……どうだっけ?」
「ううん……しっぱいだな」
なまえは自分の失敗を悟った。あんまりにも考えなしだったな。と軽い反省をしながら、打開策を考える。
反省も軽かったが、思いつきも大変軽かった。なまえは秋刀魚を焼いてみたかっただけだった。七輪で、炭火で焼く秋刀魚の写真を見て、焼いてみたくなったのだ。それをたまたま近くにいた太刀川にしゃべった。そうしたら、太刀川が「おれ、七輪もってるよ」なんて言うから、じゃあ焼こう、という話になった。なまえが秋刀魚を持っていって、太刀川が七輪を用意する。場所は太刀川隊の作戦室ということになった。
結果は大惨事。原因はツッコミが不在だったことだろうか。なまえは思いつきの勢いで発射されると自分で方向修正ができないタイプだし、太刀川はちょっと抜けている。
計画を聞いている人がいたら、一言何かを言ったのだろうな、と結果だけを見ながらなまえは考えた。
そういえば、室内で炭火を使うものではない。ここなら大丈夫じゃない? とか多少のことがあってもトリオン体なら死なないよね、という軽い考えが招いた悲劇だろうか。
「……焦げてるか焦げてないかもわかんないんじゃない?」
「たしかに」
せっかくの秋刀魚が焦げてしまう。大問題だ。
よその隊の作戦室を触りまわるわけにもいかない。いや、よその隊の作戦室を煙まみれにしておいて今更かもしれない。でも半分の責任は隊長の太刀川だから、そのへんはいいだろう。この部屋に放置されていた私物に臭いがうつったに違いない。オペレーターの国近ちゃんの顔を思い浮かべながらなまえは色々考えた。謝るしかないな、と菓子折りのピックアップをはじめながら考えていると、隣で太刀川がだいじょーぶなんて軽く言う。
「助けを呼んだ!」
「え、いつ?」
「さっき」
「どうやって?」
「スマホの音声入力で」
「……そんなことしてたの?」
太刀川が自分の気転を誇る。いやしかし。誰を呼んだのだろう、と首をかしげる。
答えはすぐに出た。
「太刀川さん、なん……うおッ!? なんだ、これっ!?」
「お、出水さんか」
「出水、これ換気ってどうするの?」
「うわっ、なんだこの煙!」
開いた扉から煙がもくもくと出ていったのだろう。廊下の遠い場所で悲鳴っぽい声がした。部屋からは煙が多少出ていって少しばかり見通しが良くなった。
「……なまえさん……なに、してるんですか」
団扇でぱたぱたと七輪を仰ぐなまえを見ながら、出水が唖然とした表情で何かを操作する。たぶん、排気がはじまったのだろう。部屋が一気にいい感じになっていく。依然として、七輪からは煙がもくもくと出ていく。
「おお、見える見える」
「どう、焦げは?」
「だいじょうぶっぽい」
「いや、大丈夫じゃないですよ」
秋刀魚に注意をうつして、せっせとひっくり返す太刀川となまえに向かって、出水が言った。出水の後ろから誰かが「なにごと?」と覗き込んでいる。
「さっきからそんな気はしてたかな」
網にくっつく秋刀魚を剥がすことに夢中な太刀川を横目に、なまえは首をすくめた。
「これ、絶対呼び出されて叱られますからね」
「絶対?」
「……かなり遠くまで煙が届いてましたんで」
「……まいったな」
くだらないことで叱られるのは、かなり久しぶりだ。ちょっと誰がどんな顔で怒るのか想像できなくて困ってしまう。できれば、心臓がヒュンッとならない怒り方をする人がいいな、と思いながら無理そうだな、とも思った。それから、出水に中に入って扉をしめるように言った。
「すっごい煙ですね」
排気が追いつかずに未だに煙っぽい部屋で、気持ちを切り替えて楽しむことにした出水が言った。
「あぶらののってる秋刀魚を選んだからね」
「秋刀魚からあぶらが落ちると、もくもくする」
「あぶらを程よく落とすと美味しいって」
「程よくってどれくらい?」
「……もうそろそろいいんじゃない? 出水くんも食べてくよね」
「食べますけど、いや、そもそもなんでなまえさんが? うちで秋刀魚を?」
「太刀川が七輪貸してくれるって言ったから」
「なまえが秋刀魚がたべたいっていってたから」
たぶん、それ以上の答えが出てこないことを悟ったのだろう。出水はそれ以上聞いてこなかった。
「調味料、どうする? あ、出水くん大根おろしてくれない?」
クーラーボックスから大根とおろし金を取り出しながら、トートーバックからポン酢と醤油を出してきて並べると、出水は大根を素直に受け取りながら準備万端じゃないですか、といった。そうだ、準備万端だったのだ。でも換気は大失敗だった。
「あ、おれ、すだちがいい」
「わかってる」
太刀川は秋刀魚にすだちをかけたいと言っていた。それはよく覚えていた。緑色の柑橘類を出しながら、なまえはもうひとつ、忘れたものに気がついた。
「……ねえ、太刀川……皿、持ってきた?」
「……持ってきてないなぁ」
「そっかぁ」
崩れやすい秋刀魚を丁寧にひっくり返している太刀川が、このまま食べるか?と網の上で食べることを提案する。
「ちょっと難しくない?」
なまえは七輪を覗き込みながら、首を傾げた。
二人のペースについていけずにちょっと離れたところから見ていた出水が、来客用の皿を使うことをすすめてくる。
「……妥協だね」
「そうだな」
きれいに秋刀魚を焼き上げた太刀川が、小さなお皿に秋刀魚をのせるために秋刀魚をふたつにちぎりながら、ちょっと肩を下げた。せっかくきれいに焼き上げた秋刀魚を傷つけることになって残念そうだ。なまえもちょっと残念だ。
「なんで? 皿じゃないですか」
「秋刀魚って、ひとつの長い皿に乗ってるのがかっこいいじゃないですか」
なまえがそう言うと、出水はそんなもんですか、と苦笑いをした。それから、はい、と言って大根おろしを差し出してくれる。仕事がはやい。
そんなもんですよ、と答えながら、なまえは持ってきた果物用のナイフですだちを半分に切って、半分を太刀川の皿にのせて、半分を自分の皿にのせた。出水はいらないらしいから、残りのすだちは鞄に戻す。
はやく食べないと、呼び出されて怒られてしまうなぁ、と思いながら、なまえは半分に折れた秋刀魚を見た。嘴の黄色い新鮮な秋刀魚は、まだまだクーラーボックスに残っている。次を焼いている間に、皿を取りに行こうか。
まず、あたたかいうちに食べてしまおう。次を焼くときは屋外で焼こう。次回の計画をたてながら、隣を見ると太刀川と目があった。箸を手にしたまま両手を合わせる。
「いただきます」
重なる声が、なんだか、とてもうれしかった。



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