部誌16 | ナノ


秋のすすめ



 くん、と嗅いだ匂いに水気を感じなくなった。日差しが強いのは変わらないが、頬を撫でる風は夏にはない涼しさを感じる。空には入道雲さえ見えなくなり、甲羅雲が緩やかに流れている。
 世間は温暖と危惧してはいるものの、気温が違えど四季をちゃんと認識できた。
 ただ、悩みといえば服を選ぶことぐらいだろうか。朝方の涼しさに甘えて厚着をしても昼過ぎれば暑くなり、かといって昼間の暑さを見越して薄着をしても夕方になればまだ肌寒くなる。
「なんとも嘆かわしい、日本の美しい四季はどこへ行ってしまったのでしょう」
 などと愚痴を零しながらも箪笥の前でうんうんと悩ませている妻がここ最近の日常風景になりつつある。これでもない、あれでもない、と箪笥の中の着物と睨めっこをする妻の後ろ姿を寝間着のまま茶を啜って待つのも慣れてきた。
「僕は君の選んだものならなんでも構わないよ」
「いけませんっ、もしも私の判断を間違えて旦那様が風邪など引いてしまったらっ……私、私はっ」
 ちょっとした軽口のつもりが妻の琴線に触れてしまったようでそのまま目尻に涙を溜めていくのに慌ててご機嫌取りに向かったのは記憶に新しい。それ以後は口を挟むのを止めて妻が満足いくまで待ち続けるようにしている。たとえ連れ添って半世紀過ぎようが夫という生き物は妻には勝てないのだ。

 さて、そんな摩訶不思議な気温になろうとも季節は結局秋には変わりない。
 気づけば日が落ちるのが早くなり、辺りが薄暗くなり始めた帰路を辿っていく。
「香子帰ったよ」
 玄関の引き戸を引いて、自宅に足を踏み入れる。出かける前に妻に一声かけたので在宅なのは確かだ。ただ、出かける前に読んでる本に夢中だったので声をかけたのを忘れている可能性もある。しかし、日も傾いて夕方も過ぎる時刻だというのに家の中は電気がついていなかった。もしかしてどこか出かけたのだろうか、と考えも浮かんだが多分違うなと即座に否定する。
「香子−、香子いないのかい?」
 靴を脱いで上がり、廊下の電気をつけた。未だ交換していない豆電球がチカチカと点滅している。何度も声をかけても返事はない。その間に食卓や台所にも顔を出したが姿はなかった。出かける際に必ず残す書き置きもなかったので出かけてはいないはず。だとしたら考えられるのは一つしかない。
 すると、遠くからドタバタと騒がしい音がしてきた。途中で何かがぶつかる音もした。そうして数秒もしないうちに涙目の妻が転がり込んできた。額が赤くなっているので何かをぶつけたのは明白だ。
「だ、旦那様おかえりなさいませっ」
「ただいま香子、今日の本は面白かったかな?」
「ううっ、申し訳ありません〜」
 本をこよなく愛する妻は一度本を読み出すとのめり込んで周りが見えなくなるほど読み耽ってしまう。きっとこうなるだろうからと彼女の私室ともいえる書物部屋には電気をつけておいて正解だった。
「ど、どうしても先が気になってしまってっ……まさか旦那様がお出かけになっていたなんて私、私っ」
「いやいや私も君にちゃんと声をかけずに出かけちゃったからね、だから泣かないでおくて」
 いまにもこぼれ落ちそうなほど涙を溜める妻の目尻に指を当てて拭ってやる。本当は一言声はかけてはいたのだが、いまそれを口にすればどうなるか分かっているので黙っておく。
「ところで香子、君お腹空いている?」
「えっ」
 問いかけに応えて口よりも先に腹の虫が応えてくれた。耳まで真っ赤になって慌てて腹を押さえたがもう遅い。彼女の反応に吹き出してしまうのをぐっと堪えて笑顔を作る。
「そしたらこれ夕飯代わりに一緒に食べようか」
「?」
 首をかしげる妻に自分が持っている袋を掲げてみせる。袋を開けて妻に向けた。不思議そうに袋を覗き込めばすぐに目を輝かせた。
「もしかして、焼き芋ですか?」
「そう、ちょうど帰りに横切ってね」
 ちょうど帰り道に焼き芋の車が走っていき、匂いにつられてついつい買ってしまったのだ。どうかなと尋ねようとしたが彼女の輝く瞳を見れば聞かなくても分かる。
「でもどうして焼き芋なんて」
「ん? そうだねぇ……」
 顎に手を添えて考え込む。こんな暑い日になんて思いもしたが、理由など至極簡単だった。「食欲の秋、ってやつかな」
「……ふふっ、それなら仕方がないですね」
 そしたらお茶を用意しますね、とそそくさと台所へ向かう彼女の背中を見送りながら、一緒に手伝うべくその背中の後についていった。つかな」
「……ふふっ、それなら仕方がないですね」
 そしたらお茶を用意しますね、とそそくさと台所へ向かう彼女の背中を見送りながら、一緒に手伝うべくその背中の後についていった。



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