部誌16 | ナノ


ひとつきりの嘘



 以蔵には、幼馴染が二人いる。
 一人は龍馬という、以蔵より年上なくせにすぐにべそをかく。末っ子のせいか甘えたがりで、年上っぽく振る舞うくせに以蔵の名を呼んでは以蔵の後ろをついて回るような男だった。
 もう一人はなまえという、龍馬と同い年の男はべそをかく龍馬と苛立つ以蔵の両方を宥めてにこにことよく笑い、龍馬と違って涙を見せない男だった。何が楽しいのか、一人でも笑っているような穏やかな気質の男だったが、年相応にくるくると表情を変えていつも以蔵の側に居た。
 幼い頃の以蔵は、二人が傍にいることが当たり前で、野山を駆け回って虫を捕まえたり、師範に剣術の指導を受けて力尽きて眠る、田舎ながらに幸せな暮らしが続くものだとずっと思っていた。

 それが崩れてしまったのは、なまえが熱を出したことから始まった。
 剣術の指導を受けている時に珍しくなまえが竹刀を落とし、皆の前でなまえが勢いよく倒れたは初めてのことで、以蔵を含め周りの生徒が皆でなまえを呼び囲む。
 熱があることにいち早く気付いた師範の手により、あっという間になまえは自分の家に連れ帰られ、気付けば布団の中に居た。

 めったに病に掛かることなく、傷をこさえても泣くこともしないなまえが倒れて動揺したのは意外にも龍馬より以蔵の方だった。
 なまえが家に運ばれてから目が覚めるまで、じっとなまえの側に居た。その隣には龍馬が付き添っていたものの、唇を噛み締めて泣くのを耐えている以蔵を見て、大人しく寄り添っている。

「ん……」
「なまえ!」

 なまえが目を開けると以蔵の姿が目に映る。
 起きたことに安堵したもののなまえと病がうまく結びつかず、以蔵の胸は不安が広がっていた。

「なまえ……死なんで」
「……以蔵の阿呆。俺が死ぬわけなかろう」
「でも、ずっと寝とった」
「大丈夫やけえ。俺が以蔵に嘘を言ったことはないじゃろう?」
「じゃあ……本当やな?」
「ああ」

 なまえが頷いたのを見てようやく笑った以蔵になまえは手を伸ばす。
 いつもなら以蔵の頭に届くなまえの手を以蔵は握りしめた。大人より小さく、でも以蔵より大きいその手は普段より熱を持っていて以蔵の心をまたしても不安にさせたが、なまえは嘘をつかない。嘘をついたことがないわけではなかったが、以蔵に対しては嘘をついたことがない。熱が出て緩慢な動きになっているなまえの手を離し、布団の中に手を直す。

 なまえの調子が良くなればまた遊べると思いその日の以蔵と龍馬は大人しく家へ帰ったが、以蔵の願いは空しく、なまえの病は一向に良くなる兆しが見えなかった。

 熱に魘されて布団に籠ることが多くなり、稽古に行くこともなければ顔を見ることが叶わない日も多くなってきた。
 以蔵と龍馬はなまえを心配し、空いた時間が出来たらなまえに会いに来た。
 出来るだけ病のことを言い出さず、募ることもしない。なまえに会いに来ては楽しかったことや、面白かったことなどを話しをしては家に帰る日を何日も続けたが、ある日、以蔵は突然なまえに会えなくなった。
 否、なまえが以蔵と龍馬に会いたくないと言い出した。

「なまえ、なんでじゃ!」
「以蔵……すまん。もう、来ないでくれ」
「嫌じゃ!」
「なあ以蔵、……俺は、もう二人には追いつけん。刀を握るどころか、歩くことすらままならん。本当は、ずっと一緒にいたかった。同じものを見て、食べて、走ったりしたかった。けども、それももうできん。俺に気ィ使ってくれてたんは知っとる。でもな、口だけは回るくせに身体は動かせんし、戦うことも出来やせん。俺は、お前らの背中ばかりを見るんはもう嫌じゃ」

 どれだけ足掻いても隣に立てず、追いつくことすら出来やしない。竹刀を落とすあの日まで、なまえは幼馴染と同じように元気に生きてきた筈だった。それまでは重い病にかかることなく、風邪をひいても数日で快復し、転んで膝に傷をつけても瘡蓋が取れればまた元気に野山を駆け回る。
 そんな在りし日の出来事が今では遠く、その日から以蔵は一度もなまえの家に行くことはなかった。




 冬の寒いある日、以蔵は龍馬に呼び出され、仕方なしとばかりを装って指定された場所にやってきた。
 なまえが居らずとも龍馬とはずっと一緒に居る。龍馬はなまえが居た頃のようにべそをかくことが少なくなったものそれでも以蔵の名を呼んで後ろを雛鳥のように追い掛けていた。

「以蔵さん、よく聞いて」

 その日の龍馬は、落ちついた声で以蔵の名を呼んだ。 
 以蔵の名を呼び、けれども口にするのを憚るように噤み、意を決したようにゆっくりと、以蔵に言い聞かせるように言葉を零した。

「昨日、なまえが死んだ」

 以蔵はなまえの家に行かなくなったものの、なまえを忘れたわけではなかった。
 弱々しくなったなまえを見れなかったというのは本音だったが、なまえの希望を叶えたいというのも本音で、いつかなまえの病が治った時にぼんやりと前のように戻れると心のどこかで思っていた。
 けれども、龍馬は言う。なまえは死んだと。
 姿形は見えず、言葉を交わしたわけでもない。しかし、なまえは以蔵に行った筈だった。死なないと。
 だから、以蔵は今までなまえに会わずとも我慢出来たのだ。
 今は会えずとも、死ななければまた会えるとそう思って、会いに行かなかったのに。
 
「……嘘じゃ」
「以蔵さん」
「いやじゃ、なまえ!なんで!」

 ぼろりと大きな粒が以蔵の瞳から零れた。
 以蔵さん、と龍馬の声が遠く聞こえ、思わず龍馬の胸倉を掴む。

「嘘つき!なまえは、死なん言うとったのに!」

 慰めるように龍馬が以蔵の頭を撫でる。
 大人より大きくて、けれども以蔵よりも大きい手はなまえと似てるのにどこか違って、以蔵は龍馬にしがみつきながら、ぼろぼろと涙を溢れさせていた。



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