部誌16 | ナノ


ひとつだけの嘘



『辞表』
入力した文字を腕を組んで眺める。首を傾げて、小さく唸る。文字を消そうかと試みて、やめる。
時間はあまりない。悩んでいる時間はないのだ。とりあえず書き上げてしまおう。
仕事をやめたいわけではないのだが、とため息をひとつ吐いて、体裁を整えていく。中身はなんでもいい。有無を言わせず辞められる理由ならばなんでもいい。ギャンブルにより借金が嵩んで身売りすることにしておこう。賭け事なんてしたこともなければ貯蓄もかなりある方だが、これならば引き止められることもあるまい。ギャンブル癖のある部下なんて信用できないだろう。
問題は、借金が無いことは調べればすぐにバレる嘘だということだろうか。
嘘がバレて即処刑までは行かずとも、なにかあるかもしれない。それは困る。いやしかし一旦この路線の辞表は完成させてしまおう。
プランB、次だ。身体検査で何らかの病気が見つかったことにしよう。実際、ちょっとした異常があって精密検査をすることになったのだから嘘ではない。精密検査の結果なんら問題ないことがわかったが、今後の健康に不安があるので今の責任ある仕事を続けられないことにしよう。
いや、辞めたくはないわけなのだが?

なまえは、アフトクラトル四大領主のうちの一人、ベルティストン家ハイレインに忠誠を誓っている。
なまえはハイレインを敬愛している。幼い頃からなまえがつかえる主君は才気溢れる優秀なお方だ。そのお側に置いていただけることは幸運以外の何者でもない。
あっちこっちに戦争を仕掛け、内部も何かと落ち着きのないアフトクラトルという国にこのような冷静で聡明なお方がいらっしゃることを誇るべきだと思っている。
そのなまえが、暇乞いの準備をしていることには、多少なりとも理由がある。もちろん、理由がある。
幼い頃からそばにいるとはいえ、数あるライバルを蹴落とし、ハイレインの近くに控えるためには並々ならぬ努力が必要であったし、なまえにはその才覚があった。信用もされていると自負している。

ことの始まりは、数ヶ月前、ハイレインの夜のお相手が、あまりよろしくないお方だったことにある。下調べにおいて、お相手の女性が主君に相応しくないことを知ったなまえは、そのことを主君に奏上した。
そして、代替品を要求されたハイレインに、なまえは自分の身を差し出した。
後から考えると、どうしてそうなったのか、なまえの優秀なはずの頭脳をもってしても何もわからない。ハイレインに褒め言葉をいただけるほどに優秀なはずなのに。
身体を差し出すことに対して、なまえとしては何一つ問題はない。死ねと言われても表情一つかえずに死んで見せる自信がある。
とりあえず忠誠にだけは自信があるなまえである。
自信の美貌に対してもちょっとした自信はあった。両親の顔は知らないが、とりあえず綺麗に産んでくれたことには多大に感謝している。
この身でハイレインを慰めることができたのだから感謝してもしきれない。
問題としては、なまえが男性であったことだろうか。
挿れる穴が、まァ平たく言えば、そういう用途の穴ではなかった上、ハイレインは男を相手にしたことがなく、またなまえもそういった知識にうとかったため、大変に痛かったのである。
自身の準備不足が招いた問題でもあった。
幸いにして、治療と勉強のかいあり、二度目以降は問題なく臨むことはできた。ハイレインがそもそも無茶な頻度で身体を求めなかったことも理由の一つだったし、何度目から、非常に丁寧になまえの身体を扱うようになった、という理由もあるかもしれない。
二度目以降が存在したときは驚いたが、なまえの身体で主君が満足できたことが、大変な栄誉だと感じている。

あ、これは使えるな、となまえは考えて、はじめての際の治療履歴を引っ張り出した。レイプかと疑われて押し付けられた診断書もある。合意なので、と申告したら、懇切丁寧にあそこは出すところであって挿れる場所ではないと説かれ、それでも続けるようならと男同士のセックスについて教えられた。
これは嘆願書になるだろうか。身体に負担がかかるので、関係をやめたい、と個人的に提出……できるかもしれない。
現在はあのときのような痛みはないので、心苦しさがまさる。一応作成したが、この文書は使わないだろう。

ハイレインがなまえの身体を使うことには何も問題がないのだ。
なにしろ、子もできない。病気の心配もない、口もかたい。スケジュールだって自由自在。
小さな遠征挺での暮らしはストレスが多い。色々たまるものもあるだろう。少しでも慰めることができるのならば、となまえは考える。

問題は、なまえの方にある。

なまえは滅私奉公を座右の銘にしている。
ハイレインのためになることならば、この身すべてを捧げても良いが、彼のためにならないことは許されない。

ハイレインがやりたいのならば、なまえの身体を丁寧に労ることも、受け入れよう。

だがしかし、なまえの心がうまくない。正直に言うと、最近のハイレインのセックスが大変気持ちが良くて、ハイレインがベッドの中で、非常に優しいことに困っている。

主君に対して、許されることのない想いが芽生えてしまった。ただ、それだけの問題だ。

大きなため息をついて、なまえは作成した文書を個人用の記録としてとっておく。いくつか作成したプランのうちのどれかを採用して、身の振り方を決めよう、と考えた。
アフトクラトルは今、難しい時期だ。自身のことを考えれば所属を変えることがプラスに働くようには思えないし、ハイレインの部下として重要な情報に触れている自分が、そう簡単に鞍替えできるとも思っていない。
ハイレインにとっても仕事を任せられる部下がひとり外れることはマイナスになる。主君のためにならないと、薄々はわかっている。
なまえは自分の薄っぺらな信条を鼻で笑った。



「これは、なんだ」

なにかと忙しいはずのベルティストン家当主のハイレインが、なまえを呼び出し、詰問する。
その手元に表示された文書を見て、なまえは絶句した。
「ど、どこでそれを」
「俺に知られたくないことが、お前にあったとは」
なまえは開いた口を即座に閉じた。プライバシーなんてあって無いようなものだ。というよりも、主君に見られて困るようなものを持っているほうが悪いのだ。
少なくともなまえはそのような教育をされているし、それを不満に思っていない。
ハイレインが抜き打ちで自分のことを調べるような状況、自分が信用されてないことを、察していなかったなまえが悪い、とすら思う。
「……申し訳ありません、そちらは、主君にお見せするようなものではなかったのです。強いて言えば、思いつきで……すぐに破棄する予定のもので」
苦しい言い訳を吐きながら、頭を下げる。
ちらりと伺ったハイレインの顔は少しばかり、色が悪く、表情がかたい。ポーカーフェイスのハイレインの表情を読み解くことにおいて自信がある。長く仕えて、信用をえてきた。こんなくだらないことで主君の信頼を喪うことをが、信じられない。

自分の心を御すことのできないような未熟者にはこの結末がふさわしかったのだろうか。
「……俺はお前に無理を強いていた」
苦渋を含んだ口調で、ハイレインが言う。彼が眺めているのは、なまえの診断書だ。
いやがっていたわけではないのだが、これだけを見れば、そう、思われても仕方がない。
「なまえ、お前にひとつ、嘘をゆるそう。追求はしない」
ハイレインはそう言って、なまえが作ったデータを並べた。どれも、くだらない嘘を書いた暇乞いだ。
ハイレインらしからぬ結論だとも、度量の大きなハイレインらしい提示だとも感じた。
その表情を見るまでは。
ならば、なまえが選ぶべき嘘は、ただ一つだけだ。
「ハイレイン様。あなたがご覧になったその診断書は私の偽造でございます」
ゆるゆると見開くかたい彼の瞳が好きだ。胸ににじむ慕情がおさえられない。上がる心拍数を制御できない己の未熟を噛み締めながら、続ける。
ひとつの嘘をついたから、後は真実を述べるだけだ。
「私は、臣下の身でありながら、ハイレイン様の寵愛を望んでしまいました。許されることのないこの想いを知られてはならぬと、思っておりました。どうぞ、処断ください」
膝をついて頭をさげる。
主君に対して抱くべき感情ではないことはわかっていた。彼の立場上、愛してしまえば、つらい思いしかしないことも、わかっていた。
「……もう、手放してやれない」
「光栄です。私の命は、すべてハイレイン様のために使いましょう」
「愛していると、言うこともできない」
「不要です」
「……近くに」
顔を上げてハイレインの言葉通りに近くに寄った。揺れる虹彩に浮かぶ、薄っすらと笑みをはいた自分の顔に、なまえは間違いを悟った。

ハイレインの指がなまえの角に触れる。導かれるままに、唇を合わせた。
その唇はかすかに血の味が滲んでいた。



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