部誌16 | ナノ


言い訳の義理チョコ



 この時期ほど憂鬱な日はない。
 ぱだばたと部屋から出て行く生徒の後ろ姿を見送り、姿が見えなくなるのを確認して溜息を吐き出す。
「……あんなものを用意する前にやることがあるだろう」
 自然と口から零れてしまう愚痴にまた嘆息を漏らす。これ以上来ない事を願って止まない矢先にコンコンと来訪を告げるノックが聞こえてげんなりしてしまう。
「悪いがあとにしてくれないか、これ以上レポート以外のものは受け付ける気はない」
「えっ」
 今までの生徒達と同じ反応ではあったが、聞き覚えのある声であった。
「……伏見か」
「こんにちは先生、今日はなんだかお疲れですね」
 椅子を回転させてドアに目を向ければもはや顔馴染みとなりつつある伏見が立っていた。彼は真面目な生徒なのでレポートも論文もとっくに提出している。入ってもいいかと尋ねられ、断る理由もないので入室を許可する。190を超える長身を屈ませてドアを潜って入室する姿に長身の苦労を見せられた。
「……毎年毎年、学生達の変わらない愚行に呆れているだけだ」
「ああ、なるほど。今日はバレンタインですもんね」
「……忌々しい行事だ」
 苦々しく吐き捨てると伏見は苦笑いを浮かべる。心中をお察ししますという労りの言葉がせめてもの慰みであった。
 バレンタインデー。この行事を知らない者はいないだろう。本来恋人同士、または家族友人間で行われる行事だが、大学では少し意味合いが変わってくる。 学生の中には教授職の者に贈る者が少なくはない。だが、決してそうした意味合いではなく、もっと邪なものである。簡潔にいえば、課題提出が危ぶまれた学生が単位欲しさの末の供物なのだ。そういう輩に渡したいとも思わないし、なんならこちらを馬鹿にしているとしか思えない。
「毎年大変ですね」
「全くだ、こんなことをするなら相談してくればいいのにそれさえ考えずにゴマすりしようとするやつは社会に出てもやっていけない」
「ははっ、手厳しいなぁ」
 厳しい意見を口にしている自覚はある。だが、しっかり断っておかないと学生達も変な学習をしてしまう。鬼といわれようと学生のためだといいたいが分かっていれば毎年こんな愚行を繰り返さない。いつになく毒を吐く自分を察したのか、伏見が困ったように頬をかく。
「うーん……じゃあせっかく用意したこれ、今日はもらってくれないですかね」
 ぴたりと米神を揉んでいた手が止まる。ちらりと盗み見れば、伏見の手に小さな箱が乗っていた。それがなんなのか、長い付き合いで嫌でも理解できる。
「……今日はなんだ」
「せっかくなのでフォンダンショコラ作ってみました」
「……」
 フォンダンショコラ。その名前を耳にしてしまえば白い箱に釘付けになる。いやそれよりも今日が何の日なのか知っていて作ってきたのか。
「……ゴマすりは聞かないぞ」
「俺がとっくにレポート提出したの先生が一番知ってるじゃないですか」
「ああ、でもなんで今日にそれ作ってきたんだ」
「普段お世話になっているお礼です」
 義理チョコってやつですから、とにっこりと人のいい微笑みを浮かべる。
 義理チョコ、日本は面倒な文化を創った者だ。伏見の顔を見てから、再びチョコへと視線を戻す。
 甘味に目がない自分にとってはそれはとても魅力的なものだ。ましてや料理がうまく、菓子作りも得意な伏見が作ったフォンダンショコラ。今まで食べてきた菓子達を思い出せば絶対に美味しいに決まっている。
「あ。でも今日はレポート以外受け付けないんでしたっけ?」
 自分の発言の揚げ足取りに眉間の皺が寄る。人当たりがよく、周囲からも信頼の厚い男ではあるが内面は中々強かな男だ。にこにこと手の上に乗っている箱を揺らしている男を見上げる。
「……特別に許可する」
「いいんですか?」
「伏見は提出しているだろ」
「じゃあ俺だけ特別ですか?」
「……ああ」
 一人の生徒を特別扱いするのはどうかと思う。伏見の菓子に胃袋を捕まれてしまった事実がなんとも憎らしい。伏見はじっと自分を見つめたかと思うと、すぐにいつもの笑顔に戻った。なぜだかさっきより嬉しそうなのは気のせいだろうか。
「そしたらいま用意するんで待っててください。先生、今日は紅茶とコーヒーどっちがいいですか?」
「コーヒー」
「コーヒーですね、フォンダンショコラも温めるんでレンジ借りますね」
 箱を持ったまま、そのまま伏見の定位置となった給湯室へと向かっていく。やけに上機嫌だが、今日はそんなに自信作なのだろうか。それはそれで楽しみだ。現金だと思いつつも、他の生徒達のゴマすりなんかよりもよっぽど楽しみで仕方が無い。伏見の準備が終わるまで、レポートでも目を通すかと机に投げ出していたレポートの一つを手に取った。

(先生の特別か)
 コーヒーを淹れるための湯を沸かしている間、背を向けているのをいいことににやけてしまう顔を撫でる。
 義理チョコなんてとんでもない。本命の中の大本命だ。今日がバレンタインだと分かってきて作ってきたのだ。もちろん、日頃先生のために作っている菓子だって全て本命への貢ぎ物だ。
 だというのに、それも気づいていない先生に少なからず憎らしいと思う。けれど、先生が食べる姿を見てしまえば忘れてしまうため自分の現金さにいささか呆れてしまう。
(これって脈ありってやつか? ……いや先生は単に自分の菓子が好きなだけか)
 それでも自分は特別だとチョコを受け取ってもらえるのはやはり嬉しい。少しだけ期待してしまいたくなる。もう先生は自分の菓子なしでは生きられない身体になったのかと思うとぶるりと背中に悪寒が走る。
(……今日の先生の顔、目に焼き付けておこう)
 当分は先生の言葉とその顔でおかずには困らない。口には出さずとも、自然と唇を舐めてしまうのは仕方が無い話だ。



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