迷子のご案内
ロロノア・ゾロは困っていた。
とってもとっても、困っていた。
まず、自らの所属する海賊団の船がない。刀の手入れの道具を買うついでに酒類を購入し、サニー号へと戻っていたはずだったのだが、気づけば見たこともない場所に来ていた。いや、この島に辿り着いたのは先ほどのことなので、どこもかしこも見覚えのない景色であることは当然だ。問題は、ゾロのいるこの場所から、海賊船どころか一切海が見えないことなのだ。
「どこだ、ここは……」
眉間に寄った皺は深く、呟いた声は思いのほか低く響いた。
「誰だ、おまえは……」
ヒャアヒャアと空に響く声は鳥か何かだろうか。海は海でもゾロの現在地は樹海で、さらに言えば、何故かわからないがこんなところにいるはずがない男児が足にしがみついている。
「おれ、なまえ!」
「おい、なまえ。離れろ」
「やだー!」
しがみつかれた足をおもむろにあげてもなまえという子供はゾロの足から離れない。むしろキャッキャと楽しげな声をあげている。どんな腕力してんだ。振り払うように強めに足を振っても遊んでやっている訳では断じてない。
「まじか……」
ゾロの途方に暮れた声を聞いたのは、多分、目の前を通り過ぎた虫くらいのものだった。
本人は絶対に認めたがらないが、ゾロの迷子は毎度のことである。出航間近になれば誰かが探しに来てくれるだろう。何日間かこの島に滞在すると言っていたので、この樹海で野宿をしなければならないかもしれない。まあそれはいいとして。
「なまえ。おまえどっから来た?」
「んー、わかんない」
二パッと音がなりそうなくらい無邪気な笑みを浮かべたなまえの髪は、ゾロと揃いの緑色で、幼児特有の艶やかさを備えていた。少し蒸すような樹海の湿度の中にあって、なまえの髪はつやつやのサラサラだ。撫で心地がよくて思わず撫で続けていると、気持ちいいのかなまえの顔がふにゃりと蕩けていく。
「親は? いねえのか?」
「おやってなんだ? わかんない」
ゾロの手のひらに頭を自ら擦りつけていきながら、なまえは答えた。親、という単語を知らないのだろうか。思わず目を瞬かせたゾロに、なまえはさらに言葉を重ねた。
「おれ、ひとりでずっとここにいたよ。おれとおんなじやつ、ゾロがはじめて!」
満面の笑顔で告げるその言葉の内容に、ゾロは思わず頭を抱えた。深く考えなくても、厄介ごとである。
親はおらず、どうしてここにいるのかも本人は知らない。ずっとここにいた、とはどういうことなのか。何故こんなにも懐かれているのか。そもそも、この尖った耳が意味するものは、何なのか。
考えても答えが出る気がしない。こういう時、何を考えようが無駄なのだ。
あっさりと思考を放棄したゾロは、溜息をひとつ吐いた。
「メシにするか」
「めしー!」
こいつ、ノリがうちの船長に似ているかもしれない。
そう思い当たってしまっては愛着が増す。なまえの処遇をどうするか、ゾロひとりの判断ではどうにもならない問題なので、ひとまずは仲間たちと合流する前に、腹ごしらえでもしておこう。クソコックほどではないが、肉を狩って捌いて焼いて食うぐらいのことはできる。
「おまえ、肉は食えるのか? いやそもそもここに肉はあるのか……?」
「にく? はらへってるのか、ゾロ! いいものがあるぞ!」
きょとんとしたなまえに手を引かれて、ゾロはなされるがままについていく。歩幅の小ささと、手の位置の低さに歩きづらいことこの上ないがこの際仕方がない。えっちらおっちら歩いていけば、なまえはこれ、と木になっているオレンジ色の実を指さした。つやつやとまぁるい実は、もぎ取って匂いを嗅いでみると、桃とマンゴーの間のような香りがした。
「それたべたら、よるがさんかいきてもはらへらない」
「……」
それは果たして大丈夫なんだろうか。ゾロの知らない果物であることは確かだが、毒性があるのかないのか。考えたのは一瞬で、やっぱり面倒臭くなってゾロは食べることにした。褒めて欲しそうにキラキラしたなまえを疑うのも面倒臭い。頭を撫でてやりながら果物を齧る。匂いと同じような味だ。これはこれとして肉も食いたい。
「狩るか……」
「はらいっぱいになんなかったのか、ゾロ?」
「いや、腹はいっぱいになったが、それはそれとして肉が食いたい」
「にく?」
首をかしげるなまえは、草食なのかもしれない。食わせてみりゃわかるか、と判断したゾロは、周囲の気配を探りながら腰に刺した刀を一本、鞘から取り出す。捌く時間と竃を作る時間を考えれば、獲物を狩るのは早い方がいい。
「なまえ、どうする。ついてくるか」
「いく!」
足にしがみつき再び、である。邪魔だな、と思ったゾロはなまえを無理やり抱き上げると、そのまま肩車することにした。
「! たかい!」
「そうかい。落ちんなよ」
「おー!」
体の小ささも相まって、なまえの体重は軽い。軽すぎて肩車している事実を忘れそうだ。
その感想は正しく、ゾロは現れた野良猪を狩る際になまえの存在を忘れ、一突きいれた拍子に首から落ちたなまえを地面にぶつかるギリギリのところで掬い上げた。そんなピンチさえ楽しそうにきゃらきゃら笑っているのだから、なまえには危機感がなさすぎる。
「あー……まあしゃあねえか」
独り言ちて頭をかきながら、ゾロはもう一度なまえを肩車した。今度は落ちないように、ちゃんとなまえを支えながら。
拾得物の面倒を見るのは、拾った者の義務だ。
だからこそ教えることはたくさんありそうだと、ゾロは思うのだった。
数日後、迎えに来た仲間たちに隠し子だと疑われたり、船医がなまえを見てどこぞの精霊だとのたまったり、まあ諸々さまざまなことがあったのだが、結局あらゆる事態も我らが船長のお気に召すまま、だ。
「オメー、なまえっていうのか! なんとかの精霊ってすっげーなぁ! なあ、おれの仲間にならねえか?」
「なるー!」
そうして今日もなまえは、ゾロの足にしがみついて離れないのである。
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