部誌16 | ナノ


言い訳の義理チョコ



薄っすらと寒いワンルームに上がり込んで、エアコンのリモコンに手を伸ばした。勝手知ったる他人の部屋をコートも脱がずに真っ先に部屋を暖める。梅の花は咲いているのに、まだまだ冷え込む。耳と鼻が痛くなるような外の寒さは無いけれど、家の中もそれに準じて着込んだコートを脱ぐにはまだまだ寒かった。
ごうんと室外機の音に耳を傾けながら、小さなテーブルの上に目をとめた。
つや消しマットな黒い箱。金色のアルファベットが並んでいる。その文字列を読もうとして、すぐに諦めた。何しろ太刀川慶の英語の成績はすこぶる悪い。
いや、この文字は英語ではないかもしれない。かっこいい飾り文字のロゴは見覚えのない言語にも見える。
この箱はなんだ?
太刀川は興味をもった。ポツンと置かれる高級そうな黒い箱。菓子か、それとも高級なティッシュ?
太刀川は家主の方向にちらりと視線を向けて、その箱をこっそり持ち上げてひっくり返した。
黒い箱に、白いシールが貼ってある。シールには日本語でしっかり「チョコレート」と印字されていた。
チョコレート。なるほど。
そういえば、バレンタインデーが終わったばかりだった。
調子外れの鼻歌が、がさがさという音に混じって聞こえてくる。スーパーで買ってきたものをあっちこっちに収納しているのだ。部屋もきれいに片付いていて、マメな男がこの部屋の主だ。彼は、バレンタインでは結構チョコレートをもらっていたはずだ。マメな男だから地味でも人気があるのだと、誰かが言っていた。
このチョコレートはそのうちの一つだろうか。数あるチョコレートの中でこれだけをぽんとテーブルの上に出してあるその心はいかに?
スッと角を指で撫でて確認する。未開封だ。
太刀川は首を捻りながら箱を戻した。
「お茶でいい〜?」
「温かいやつな」
「はいはい」
呑気に飲み物のリクエストを聞いてくる。男にどうやって問いかけようか太刀川は考えた。
誰からもらったのだろうか。
見るからに高級そうなチョコレートだと太刀川慶は判別した。しかも結構大きな箱だ。きっと高い。こんな箱はきっと本命に違いない。
付き合いが多いから細々とした義理チョコをたくさんもらうなまえだが、その中にはどう見ても本命、という隅に置けないチョコが混じっていることを知っている。
その中から、これを選び出して机の上においた意図は?
「太刀川、今日見るドラマだけど……ってうわっ!?」
湯気をたてるカップを両手にこっちを向いたなまえが、びくんと飛び跳ねた。カップの中のお湯がはねてあっつ、と顔を顰めながら酷く慌てた様子でテーブルの上のチョコレートをみとめた。
「へぇ?」
顔を真っ赤にしたなまえがやっとのことで太刀川の前にカップを置く。幸いにして、彼のやけどはほんの少し、カップのお湯もほとんど減っていない。
マグカップのうちのひとつを自分の手元に寄せながら、黒い箱に手を伸ばして右往左往するなまえの姿を観察した。
濡れた手できれいな箱に触りたくないらしく、慌てふためきながらなまえはその箱を太刀川の視線から庇うように隠そうとする。
「本命?」
「ぎ、義理!!」
真っ赤な顔での言葉には説得力がない。太刀川自身はこういった話にはあまり興味がない方だと思っていたが、このなまえが慌てふためく姿には興味がある。
「じゃあ、誰にもらったやつ?」
「自分で買ったんだよ! 悪いか!」
「自分で、義理?」
「くっ」
耳の先まで真っ赤になりながら、なまえは悔しそうな顔をする。なまえのこの何でも顔に出るところを太刀川は好ましいと思っている。対戦相手に求めるような好ましさとは別の好ましさだ。
なまえはひどく顔をしかめながら、ああ、もう、と唸った。
「食っていいよ!」
と、差し出された箱を太刀川は遠慮なく受け取る。抵抗するように残る指の強さを面白がりながら、太刀川はその箱を目の前に持ってきた。つや消しの黒い箱にはなまえの手形が残っている。
なまえはソワソワしながら太刀川の様子を見ている。やっぱり返せ、と言われたら返す気ではある。でも食べていい、と言われたものをすぐに突っ返すタイプでもない。太刀川は箱をとめるテープを外し、ゆっくりと箱を開く。つやつやとした黒いタブレットがきれいに整列している。ふわりと漂う甘い香りをスンと吸いながら、真ん中の一つをそのまま口に投げ込んだ。
「あっ」
なんだか残念そうな声を上げるなまえの手が泳ぐ。口の中でとろけていくチョコレートだけじゃない複雑な風味は、手放しに上手いと言える。
「これ何味?」
「馬鹿、ここを見るんだよ」
なまえはそう言いながら箱の中に手を伸ばして、チョコレートのイラストが描かれた紙を広げた。
「お前が今食ったのはこれ!」
「何、えっと……じゃす、みん……?」
「ジャスミン! 花だよ花」
「へぇ、花ってこんなに美味いのか」
「……う、美味い?」
「ああ、美味い」
「そっか」
頬を赤く染めて、なまえはソワソワと太刀川に美味いかどうかを聞いた。そんなに気になるのなら、はやく返してくれと言えばいいのに。
太刀川は少し意地悪な気持ちになって、次のチョコレートに手を伸ばした。一応、説明は読む。カカオニブ。カカオはわかるが、ニブとはなんだろうか。
「お、俺、ちょっと、お菓子持ってくるな」
コートを脱いで、壁に下げてあったハンガーに吊るしながら、鼻歌でも歌いそうな足取りでなまえは太刀川に背を向ける。
その背中を見ながら、太刀川はひらめいた。
「……本命?」
「……義理」
なまえの返事に素直じゃないなぁ、と太刀川はニヤニヤした。



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