部誌16 | ナノ


夢よさめないで



明晰夢というものがある。
今夢の中にいるのだと、自覚している夢だ。
何度も何度も、おれは明晰夢を見ている。
懐かしくて切なくて、悲しい夢だ。



かつての記憶もお前を形成するもののひとつだから、無理に忘れなくていいと父は言った。
家族や大切な人は何人いたっていいと母は微笑んだ。
全然違う文化や文明の記憶があるなんてお得だねと妹は笑った。
自分の中にある根幹とも言える記憶を否定せず、拒絶せず、受け入れて売れる家族がありがたかった。嬉しかった。かつての家族や友人たちと無理やり引き離されたことは悲しくても、それでもここで生きていこうと、そう思えた。
だって、生きていくしか、ないんだから。

「なまえ?」

声をかけられて体が揺れた。
突然視界を遮る強い光に目眩がして、なまえ・みょうじは薄く開いた目を再度瞑った。小さな声で呻きながら、光を遮るように目蓋を掌で覆う。

『ここ、どこ?』

「──なまえ? どこの国の言葉だい?」

「! ルーク、せんぱい」

肩を掴まれて体が傾ぐ。反射で目を見開くと、思いの外近い距離に、顔見知りになったばかりの先輩がいた。ルーク・ハント。ポムフィオーレ寮所属の2年生だ。

「ようやくお目覚めかい、La Belle au bois dormant」

「ら、べ……なんですか?」

「おはよう、眠り姫」

無知ですいません。思わず謝罪しそうになるほど眩しい笑顔で告げられて、なまえは思わず目を細めた。先ほどの閃光のような光は、もしや彼の眩い金髪が反射してのことだったのだろうか。めちゃくちゃ眩しかった。

「おはよう、ございます」

あらゆる意味でクラクラする。内心溜息を吐きながら、なまえはぼんやりと、ルークの美しい顔を眺めていた。彼を見ているとよくわかる。ここが、現実だ。今ツイステッドワンダーランドにいて、ここはナイトレイヴンカレッジの中庭で、間抜けにも眠っていたのだ。

「ルーク先輩は、明晰夢って見たことありますか」

「明晰夢? 起きながら夢を見ている状態のことかい?」

「そうです。……夢と現実の境目が、ちょっと分からなくなっていました」

懐かしい夢だった。もう十何年以上も前のはずなのに、記憶は褪せず鮮明で、あの日の続きを生きているかのようだった。夢だとわかっていても心が震えた。涙が出そうだった。友達と馬鹿をやって、家に帰ればかつての母がいて、しばらくすると父が帰ってきて、それで。
もう、とっくの昔に諦めたと思っていた。今の家族もなまえにとってはとても大事だ。頑なだったなまえを辛抱強く待ってくれていた今の父母も、甘えた盛りで生意気で可愛い妹も、新しくできた友人も。なまえにとってはとても大切で、どちらかを選べと言われても最早選べそうにない。

まだ、選べない。
今の人生の方が大切だとは、まだ。

たとえば魔法であの事故の瞬間に戻れるとしたら、自分は果たしてどちらを選ぶのだろう。
自問自答しても答えは出そうにない。どうせ仮定の話だとしても、それでも。どうしても、選べない。それは今の家族に対して申し訳ないことだと、なまえは思うのだ。

「ではやはり、先ほどの言葉は、前世の?」

「はい。日本という国の言葉です。……まだ、言葉を覚えてたんですね、おれ。びっくりしたな」

幼い頃は前世の記憶に引っ張られて、咄嗟に出てくる言葉は日本語だったけれど、今はそれも無くなってきた。そもそも日本語を理解する人間がいないのだ。四六時中英語で会話していれば、第一言語が英語になるのは当然のことだろう。だから、使われない日本語のことなんて、自分でも忘れたと、そう思っていたのに。

「未練がましいなぁ、ほんと」

苦笑混じりの言葉に、何故かルークは驚いたように目を見開いていた。

「随分と内罰的だだね、なまえ。どうどうしてそんなに自分を責めるんだい?」

ルークの言葉に、今度はなまえが驚く番だった。
内罰的、とは。果たして自分に当てはまるものなのだろうか。

「君は前世から無理矢理引き離されて、自分の意思ではなくこの世界にやってきた。未練があるのは当たり前だし、そのことを責める必要なんてないと私は思うよ」

「でも、おれ……昔のことばっかりで、今の家族に申し訳なくて」

「君の家族はそんなこと気にしてないのだろう? 申し訳なさなんて感じなくていいんだよ。現実がどうあれ、戻りたいと願うのは自由だ。現実がどうあれね。君を今に振り向かせたいなら、努力するのは君の周囲であって、君自身じゃない。無理に君の願いも、希望も、何もかも君が思う通りにすればいい。それを責めるのはお門違いさ」

あっけらかんと言われた言葉に、なまえは思わず口を開けてぼ呆然としてしまった。そんなことを言われたのは初めてだったからだ。

「そうだね、君はもっと刹那的に生きていいと思うよ。誰も人の心を縛りつけられたりなんかしない。心は自由さ。君はきみのも君の求めるままに、諦めずにいればいい。もちろん、君の周囲の人間は大切な君のことを引き止めるだろう。私も含めてね。それを拒否するのも受け入れるのも、君は君の思うままに決めていいんだよ」

優しく微笑まれて、なまえの胸はギュッと何かが詰まったように苦しくなった。何か言葉を返したいのに何も出てこない。気がつけば言葉の代わりに涙が溢れていた。呼吸がうまくできない。息を飲むように浅い呼吸を繰り返すなまえの背中をルークは優しく撫で、力強い腕の中に抱き留める。

「よし、よし……ずっと自分を責めてきたんだね。馬鹿な子だ」

ひどい。ずるい。ばか、ばか、ばか。
理不尽に罵倒してしまいたくても、言葉にならない。
ただただ、暖かな腕のなかが心地良くて、なまえは安心して泣いた。
この腕の中にいれば、何もかもから守られるのだと、どうしてか思ってしまった。
もしもこれがいつもの明晰夢の続きなら、醒めないでもいいと、思えた。


その心地よい腕の持ち主が今どんな顔をしているのか、なまえは知らない。
きっと一生、知ることはない。



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