部誌16 | ナノ


七草粥の隠し味



寒い冬の山を歩くのは、命知らずだと分かっている。
けれどどうしても、譲れないものがあった。
なんて、しょうもない思いつきでしかないけど。

「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国へ 渡らぬ先に ストトントン」

歌っていたのは誰だっけ。
今はもう朧げな記憶。あんたの世代はもう歌すら知らなさそう、と笑っていた。あれはかつての母か、それとも祖母か。

足下を睨みながら、山道を歩く。深入りする気はさらさらなくて、誰かに踏まれてなさそうなものを探すためだった。だって誰かが踏んだのなんて、なんかばっちいし。

「ええと、なんだっけ。セリ、ナズナ、ハコベラ、スズナと……」

思い返せば、春の七草ってそこそこ雑草では? ナズナってぺんぺん草のことらしいし。
ふんふん鼻歌を歌いながら見つけたそれっぽい草を引っこ抜いて持ってきた袋に突っ込む。お粥を作る前に、誰かに食べられる草かどうか確認してもらおう。ラギーあたりがいいかもしれない。なんなら一緒に作って食べてくれるかも。なかなかこの考えは良いのでは?

「七草なずな 唐土の鳥、がァッ!?」

気が大きくなってしまったのが不味かったのだろう。濡れた葉っぱを踏んづけて滑ってしまった。訪れるだろう衝撃に備えてギュッと目を閉じると、力強い腕に抱き寄せられた。

「いけないな。人の手が入っていない野山で気を抜いては危ないよ」

耳触りの良い声が耳朶を打つ。吐息の温もりすら感じられそうな距離に、なまえ・みょうじの思考は停止した。
冬の寒空の下、太陽の光の少ないこんな山中でも煌めく金髪、新緑にも似た美しいエメラルドの瞳。遠目で眺める程度だった有名人に、何故か抱えられている。

「ムシュー?」

「あ、ありがとうございます……?」

え、何? 今何が起こってる?
て言うか顔がちけえ。顔も声もいい。
動揺が隠せず、挙動不審になるなまえに構わず、彼は──ルーク・ハントはなまえの背筋を正し、肩を叩き、無事を確認しているようだった。足首の調子を確認しようとしてか彼が膝をつきそうになっている様を視界に入れてようやく現実に戻り、飛び退いた。

「だ、大丈夫です、元気です! 怪我はないしあってもすぐに治るし治すんで!」

「治す? ああ、君のその耳は」

尖った耳を指先で撫でられて勝手に体が震える。さっきから距離が近い。この世界の人たちってみんなこうだっただろうか。パーソナルスペースが狭すぎる。こっちは個人的にも種族的にもパーソナルスペースは広めなのでもっと距離をとってほしい。

「……森の人が、滑って転けそうになっていたのかい?」

「…………父は都会で働いてておれは都会育ちだし、そもそもおれは森の人としても不出来なので……」

恥ずかしい。真冬だというのに顔が熱くて仕方がない。めちゃくちゃ言い訳めいているが、事実なので許されたい、となまえは心の中でつ呟いた。人間の子どもと共に成長してきたなまえは妖精の国にも数回しか行ったことがないくらいには、都会っ子なのだ。いや、妖精の国が別に田舎というわけではない。多分。なまえはいまだに妖精の国を詳しく知らないので、森の中で原始的な暮らしをしていそうだな、というイメージだけで判断してしまっている。さらに種族名が森の人でもあるし、余計に。

森の人というのはつまり、一般的に言えばエルフである。
森の賢者とも呼ばれ、長命な種族である。成長速度も遅く、通常であれば同種で集まって暮らしているが、なまえの父は外界との交渉役であり、人間の文化に精通しており、さらに言えば人間の妻を迎えた。
つまり、なまえは森の人と人間のハーフなのである。
ハーフ故に成長速度は人間とそう変わらず、両親の仕事のこともあり、なまえは人間たちの集まる街で生活してきた。父は仕事で忙しく、また人間のコミュニティーで生活していることもあり、森の人の常識などの必須事項を教わることができなかった。

「ふぅん?」

ぱちぱちと、長い睫毛を瞬かせ、ルークは首を傾げた。私服だって多分森の人っぽくないし、そもそもこの観察眼の鋭いルークにすぐに森の人だと悟らせなかったくらいには、なまえは人間臭いのである。

「そう言えば、先ほどは不思議な歌を歌っていたね。あれは森の人に伝わる歌だったのかな」

「い、や……違います」

あのヘタクソな歌を聞かれていた……熱い頬がさらに熱くなる。
穴があったら本当に入ってしまいたい気持ちになりながら、なまえはすっと目を逸らした。

「──隠されてしまえば、それを暴きたくなってしまうよ?」

不穏な言葉のはずなのに、盗み見たルークは爽やかな顔で微笑んでいた。逆に怖い。
家族以外には誰にも言ったことはないが、それでも隠すほどの話でもない。
一方的に顔を知っていただけの人に、なんでこんな込み入った話をする羽目になっているんだろう?
不条理だなとそっと息を吐きながら、それでもなまえはかつての過去を振り返りながら、口を開いた。



物心ついた時から、どうにも違和感があった。
ここは自分のいる場所ではないと言う、妙な確信があった。きちんと両親がいて、愛情を持って育てられたはずなのに、どうしてこうなってしまうのか。
愛すべき両親のことを他人のように感じてしまい、甘えることができなくなってしまった。変な遠慮をしがちになって、気づいた時には変な溝ができてしまっていた。わかっている。自分のせいだってことは。それでもどうしても、頭ではわかっていても、心が別の場所を求めている。

紅葉の美しい秋。塾の帰り、食欲の秋だ、なんて言いながら買い食いした。肉まんに焼き芋。臭い銀杏に辟易して、いつもの帰り道を変更したこともあった。
冬の寒い日、かじかむ指先を自販機の火傷しそうに熱いホットドリンクで温めた。帰宅して潜り込んだ炬燵の上のみかんを食べながら、窓の外の雪を眺めていた。
春の桜の美しい朝、新しく始まる生活に緊張して、変に吐き気がしていた。学校に到着して確認した掲示板で友人と同じクラスなことが確認できて安堵した。新しい友人もできて、毎日ワクワクが止まらなかった。
暑い夏の日、汗だくになった帰り道。うるさい蝉の音と、溶けかけのソーダアイス。馬鹿だなって笑いながら自転車で坂道を駆け下りた。

耳に響くブレーキ音が、今も頭から離れない。

成長するにつれ、この世界とは違う世界の記憶が蘇った。
新しいことに出会うたび、これは違うと、思ってしまう。小さな頃から大なり小なり差異を見つけてはどうしてと混乱して、ああ、違うんだって絶望して。だってあの世界には魔法なんてなかった。そんなのは漫画とか映画の世界のもので、現実的じゃなかった。
でもこの世界ではそれが紛れもない現実で、事実で。まるで友人に借りた異世界転生ものだ、と笑ってから、そうなのだと自覚した。

おれは、異世界に転生してしまったんだ。そんなこと、ちっとも望んでなんかなかったのに。あの生活に不満なんてなくて、未来に不安なんてなくて、きっとずっとそんな生活が、人生が、続くんだって、そう確信さえしていたのに。

父ちゃん、母ちゃん。おれ、どうなってんの。

思い出すのは前世の父母だ。そう、前世の、父母なのだ。今の両親じゃない。突然慣れ親しんだ世界から引き離されて、その絶望と傷から未だ立ち直れない。申し訳なさで吐き気がする。でもどうしても、受け入れがたかった。だってあの人たちの子どもでいたかった。あのしあわせな日々を忘れることは、裏切りのようにも思えてしまって。

そんな時だ。今の両親の間に、新たな命が芽生えたのは。
泣いてばかり、遠慮してばかりで、内心では家族と認めてないことに気づいていただろうに、両親はずっと優しかった。愛情を注いでくれた。いつかでいいからと、そんな甘ったるい言葉で待ってくれていた。だから自分以外に愛情を注げる対象ができたことに安堵した。よかった、これで彼らは大丈夫。純粋に、そう思えた。

「あなたの妹よ。可愛がってあげてね」

生まれたての赤子を抱いて、今世の母が微笑む。父に肩を押され、覗き込んだ赤ん坊の顔は、前世の赤ん坊と同じように、猿みたいな顔をしていた。泣きそうなのか真っ赤な顔で小さな手を振る。何かを求めているようで、思わず手を伸ばすと指先をきゅっと握られた。

「あなたのことが大好きみたいね、なまえ」

むずがっていたのが嘘のように眠りについた赤ん坊に、唖然とした。
だって、おれ、は。この家族の一員じゃないって、ずっと思っていて。

「お前がどう思おうと、私たちは家族だ。生まれたばかりのこの子だって、きっと本能でそう感じてる。拒否されようが否定されようが、私たちの認識はずっと変わらないし変えられないから、諦めてくれ」

笑いながら肩を抱いてくる父親を見上げるしかできない。ぽかんとしているおれの口にどこからか取り出した飴玉を放り込みながら、な、と父は母に同意を求めた。

「もちろんよ。なんてったってわたしがお腹を痛めて産んだ子ですからね。あなたがどこの誰だろうと、わたしの、わたしたちの子どもであることは変えられない事実よ」

両親そろってそう笑うから、なんだか力が抜けてしまった。この人たちは、どうしたってなまえを受け入れてしまうのだろうと、わかってしまったから。ありもしない溝を感じて恐れていたのは、自分だけだったのだ。きっとずっと、なまえが顔を上げて視線を合わせてくれるのを、待ってくれていた。

「あなたのこれまでを否定するつもりはないの。その記憶だって、あなたを形成する一部に変わりないもの。その記憶ごと、丸ごと愛しているのよ、わたしたち」

母の言葉に胸が詰まる。何か返そうとして、言葉にならない。口の中の飴玉は、返答できないことへの言い訳のいい理由になった。

「私たちの愛はそれくらい大きいんだよ。だから覚悟してしておくように」

これから甘やかしていくぞ、と笑う父は、目を細めてなまえの頬にキスをした。それが嫌だと思えないくらいには、なまえも彼らを、慕っていたのだ。

「ようやくこっちを見てくれたな」

後ろを振り向いててもいいけど、そっちばかりじゃ寂しかったよと嘯く父の裾を掴む。急には無理だけれど、でもきっと。きっといつか、胸を張って家族だと言い切れるようになるから、だから。

涙を零すなまえを見て、赤ん坊が笑う。それに釣られるように、父も母も、なまえも笑った。



「森の人というか、妖精の国の住人たちの間では、結構定期的に異世界の記憶をもつ人が生まれてくるみたいで……両親もそのことを知ってたみたいで。まあつまりおれの一人相撲だったってことなんですけど」

「ヒトリズモウ?」

問いかけられて、そう言えば相撲なんてこの世界にはないのかと思い至る。色々恥ずかしい部分はすっ飛ばしたとはいえ、結構長い間喋っていたので喉が渇いた。さっさと帰るつもりだったので、水分補給する手立てがないのが切ない。

「えーっと、あー……自分だけだって空回って、一人でもだもだしていたという……」

「成る程。つまりそのヒトリズモウという言葉も、先ほど歌っていた不思議な歌も、過去の──前世の、異世界の記憶というわけだね?」

「多分? そうだと思います。まあ森の人たちの中でも、おれと同じ世界の記憶をもつ人がいないので、もしかしたらおれの妄想の産物である可能性もあるんですけど」

いつの間にか誘導されて、程よい高さのある石の上に隣り合って腰を下ろしている。尻の下にはルークのハンカチがあり、紳士的な行動を自然にとってしまえるルークは流石だと言えた。なまえには到底真似できない。実にスマートである。

「ではその袋に入っている毒草も異世界に関係しているのかい?」

「えっ!? 毒草?」

「食べられる草も入ってはいるが、たとえ君が森の人であっても、お勧めはしないし、学園に持って帰っても、持っているだけで怒られてしまうよ」

隠し味には不向きだね、とルークは言うが、もちろんなまえからしたらそんなものを隠し味にするつもりはない。

「や、やばー! どれか教えてもらってもですか!? 食べる気だったんで毒はダメです!」

ガサガサと足元の袋を漁るなまえと向き合うように、ルークは膝をついた。
アッ──! また膝をつかせてしまった! ごめんなさい!

「焦ることはないさ。日の入りまで時間がある。ゆっくりと確認しよう」

「ありがとうございます……」

「その代わり、君の故郷の味を私にも教えてほしいな」

にっこりと目の前で微笑まれて、なまえは思わず頷いていた。この男、実にスマートである。気を遣わせないようにしてくれているのだろう。本当に紳士的でいい人だ。そんなひとの手を煩わせてしまって申し訳ない。雑草粥ではなく、何か美味しいものを買ってきてプレゼントしよう、そうしよう。

「本当かい? 楽しみだ」

あれ、なんか背中ゾワっとした。
風邪でも引いたのかな、と首を傾げながら、なまえは袋の中身をルークのハンカチの上にぶちまけたのだった。





ルーク・ハントは美しいものが好きだ。
美しさには種類があり、それぞれの差を楽しむくらいには、ルークにとっての美しさは多種多様である。
目の前で呑気に草をいじる野ウサギもまた、ルークにとって美しいものの一つだった。

森から滅多に出てこないという森の人。同じ妖精の国に住む国民さえ、森の人と遭遇することは少ないという。そんな伝説的存在の一人。たとえ半分しかその種族の血が流れていなくとも、その繊細な美しさは筆舌に尽くしがたい。本人は己の容姿に無頓着なところがまた不安定さを感じて実にいい。実に素晴らしい。
入学式の彼を一目見た瞬間、ルークの心は囚われてしまった。友人のヴィル・シェーンハイトとは異なり、彼の美しさは「所有したい」と思わせるものだった。いずれ接触するつもりでいたのだが、思いの外ディアソムニア寮の外壁は高く、肉壁も分厚かった。本人すら気づかないうちに囲い込まれ、知り合うチャンスすらなさそうだったのに。うまい具合に一人になってくれたものである。周囲の苦労を知らないとは、全く呑気な野ウサギだ。

なまえの性格からして、知り合いになってしまえば、無碍にあしらわれることはないはずだ。これを足がかりに、彼との距離と詰めていきたい。
何せ、ルークの可愛い子ウサギは、外見だけでなく中身も純朴で愛らしかったので。

ようやく毒草を寄り分けられて、安心してへたり込むその姿さえ美しく愛らしい。
ああ、彼がポムフィオーレ寮であったなら、こんな苦労はしなくてよかったのに。

いや、苦難あってこそ、勝利の美酒は美味いのだ。
いずれ訪れるその瞬間を夢想して、ルークの心は震えた。
ナナクサガユというものがどんなものかは知らないが、その瞬間を想像すれば、どんな料理もうまく感じるに違いない。
なまえに見られないところで、ルークはそっとほくそ笑んだ。

願いの成就は、きっともうすぐそこだ。



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