部誌16 | ナノ


七草粥の隠し味



「セリ、ナズナ、スズシロ、ホトケノザ……あと、なんだっけ」
「なにそれ、賢者様の世界の呪文?」
古びたソファーにしなだれかかって、気だるげに問いかける男に、真木晶は首をふった。
「七草粥、というんです。無病息災だったかな…を祈って、1月の節句に七種類の野草を摘んで、食べる風習です。セリ、ナズナ…っていうのは、植物の名前で……こちらの世界にも似たような風習はありませんか?」
「う〜ん……、私はあまり人の営みには詳しくなくてね。私はどこの土地でも余所者だからね」
「君が馴染めないのは、余所者だからではないと思うけどね」
彼が軽薄そうに胸を張ると、別のカウチソファーから鋭い指摘が飛ぶ。真木晶はその声に、ひっそりとため息を吐いた。
「君は人の話を聞かないからね。もし耳にしたとしても覚えていないだけかもしれない」
「残念ながら、私は一度聞いたことは忘れない質だよ」
「だから、聞いていない、といっただろう? そもそも聞いていないのだから覚えていなくて当然だ、という話じゃないか」
「君は、どうして私に対してそうなんだ?」
男が憂鬱そうに頭を振ると、薄墨色の髪の毛がさらさらと揺れる。真木晶はこっそりと別の方のソファーを覗き込む。そこには、いつも掴みどころのない笑顔を絶やさない、フィガロがいる。不機嫌を隠さないフィガロは賢者である真木晶の知らない顔をしている。薄っすらと怖くなって、晶は慌てて顔を引っ込めた。
「それで、どうして賢者様はそのナナクサ……なんだっけ? の話をしているのかな」
「えっと…、七草粥はですね、非常にさっぱりとした胃腸にやさしい食べ物なので、新年の祝いの席で飲食したことによるお腹の調子を、整える……という話もありまして」
「ああ! なるほど、それなら今の私達にぴったりだね」
「ええ、まぁ……?」
賢者は曖昧に首をかしげた。
「招かれてもいない宴でさんざ飲み食いした挙げ句、まだなにか食べていくのかい?」
オーバーアクション気味の呆れ声で、フィガロが言った。

そう、そうなのだ。真木晶は「賢者」として、美しい月が災いをもたらす世界に招かれた。賢者というのは「賢者の魔法使い」を束ねて、厄災である月から世界を守るという役目を負っている、らしい。少なくとも、今はその説明に疑問を抱くような出来事は起こっていない。
賢者の魔法使いは本来20人。現在、イレギュラーにより21人の賢者の魔法使いが、この魔法舎に寝泊まりして、次の厄災に備えて準備をし、各地で起こる問題ごとを片付けたり、活動している。
魔法使いは本来、人間のことなんて意にかえさない、気まぐれな存在だ。その魔法使いが耳を傾けるのは異世界から呼ばれた「賢者」だけ、ということになっているらしい。
しかし、賢者が特別なのは、選ばれた賢者の魔法使いにとってだけ。他の魔法使いはその限りではない。
そして、薄墨色の髪の毛の男は、賢者の魔法使いではなかった。
晶はその名前を知っている。いや、名前しか知らない。名前は、なまえ。彼は年の瀬にふらりと魔法舎にやってきて、魔法舎の一室に泊まって年末年始のごちそうを食べた。シャイロックの出す酒まで飲んだらしい。
彼いわく、魔法舎に住んでいいのは賢者の魔法使いだけ、という法は「無い」らしい。ただ、今の魔法舎には最強の魔法使いオズがいるので、誰も寄り付こうとはしないだけ、という話をシャイロックが少し愚痴っぽく語っているのを晶は聞いた。
なまえはシャイロックにとって少し面倒な客らしい。
そして、このフィガロにとっては、それ以上に厄介な存在なのかもしれない、と晶はなるべく小さくなりながら、招かれざる客に目をやった。
「招いてくれたさ! スノウ様とホワイト様がね。私の過酷な旅路に感心されて、ゆっくり休んでいけと言ってくれたのさ」
「君は双子先生のお気に入りだからね……」
困ったようにため息を吐きながら、フィガロが早く出ていってほしいんだけどな、と妙に刺々しい口調で言った。
魔法舎に賢者の魔法使い以外の魔法使いが寝泊まりすることは、あまり良いこととは言えない。何しろ、少しづつ受け入れられて来たものの、魔法使いは畏怖の象徴であり、この中央の国での賢者と賢者の魔法使いの立ち位置は微妙だ。ちょっとしたことで魔法使いは疑われる。晶がここに来たばかりのときは魔法舎に火が放たれた。見知らぬ魔法使いを泊めることで「魔法使いが悪巧みをしている」と噂される可能性は十分にある、とは思う。けれども、賢者の魔法使い以外の魔法使いにも、晶は少し、興味があった。
なまえは不思議だ。魔法使いには、住み着いている国の気風が色濃く出る。西の魔法使いなら自由に、中央の魔法使いは誠実に、というように。だけれども、なまえはどの国の魔法使いだと言われても納得してしまいそうな、不思議な魔法使いだった。賢者の魔法使いの中にも、国をまたいで住処を変えた魔法使いはいる。けれども、その魔法使いとも違う印象を受ける。
曰く、いろいろな土地を転々としているらしい。あまり一つ所に腰を落ち着けるような性格ではない、という話だった。
彼は晶と話すとき、大抵最後に「ああ、賢者様の世界にも行ってみたいな」という。いろんな場所に行きたい、という興味が彼をそうさせるらしい。どの国の魔法使いと言っても通りそうだけど、東の魔法使いは名乗れないかもしれない。東の国は、彼のように複雑な気風をまとう魔法使いが馴染める場所ではなさそうだから。
晶はなまえを気に入っていた。自分の世界に行ってみたい、と興味を持ってくれたことが嬉しかったからかもしれない。
「で、そのナナクサ……に入れるその…呪文みたいなものの名前、賢者様の世界の植物だでしょう? その代わりに入れるものの目星はついているのかい?」
「いえ、それはまだ……これから、ネロに相談しようかと」
「それは良いね。彼の料理はとてもいいから。彼が作るものなら何でも美味しいだろうね」
ご機嫌に、鼻歌でも歌いそうな様子でなまえはいう。まだまだ魔法舎に居座るつもりらしい。クックロビンは何も言わなかったが、彼を泊めることで、中央の国の王子であるアーサーの立場が悪くなったりしないといいけれど。
「さんざ世話になってるんだ。そのナナクサカユの具材探しくらい、手伝ったらどうだ? きみは植物には詳しかっただろう」
「私が詳しいのは植物の味ではないからね」
「ほんとに役に立たない趣味」
フィガロが怖い人だということを晶は知っている。しかし、比較的誰に対しても親しげに接する彼が、ここまで刺々しい態度をとるのも珍しいのかもしれない。
スノウとホワイトや、オズとも知り合いだったようだから、長生きをしている魔法使いだということはわかるから、過去になにかあったのかもしれない。正直、晶は珍しいと思う。
なぜなら、なまえはきっと、フィガロの好みの容姿、だと思うから。フィガロのことをよく知っているわけではないので、口にしたことはないけど。
切れ長の目を縁取る長いまつげは色っぽくて、翡翠色の瞳は、綺麗に澄んでいる。するりと伸びた鼻筋も、小さな作りの口元も、どれもシャープな輪郭の中に見事におさまっているし、白い肌は旅をしているとは思えない。整いすぎて怖いくらいの顔だと、晶は思う。
「ああ、でもひとつ、うってつけの物があるな」
なまえが遠くを見つめるようにして、ポツリと口にした。今までの浮かれたような話し方とは違う口調に、どこか遠くを見つめるような眼差しに、晶の心臓が跳ねた。
あまりに整いすぎて、作り物めいている彼は、彼の陽気そうな振る舞いに反していつも人形みたいに、無機質な部分があった。でも、今の彼を、晶は人形のようだ、とは言えない。
思索にふける姿は、少し、近寄りがたくて、遠い。
「東の国の、そうだな……あまり人が寄り付かない山奥にある集落の風習でね。この時期に新芽を出す植物がある。その里のひとはね、それを摘んで、旅人に振る舞うんだ。旅人の無事を祈ってね」
「そ、それ、ぴったりだと思います!」
晶は少し気圧されながら、相槌を打つ。彼は東の国には馴染まないと思っていたのに、今の彼は、東の国の魔法使いファウストにどこか似ている。それが不思議でしかたなかった。
「じゃあ、それを摘んでこようかな。箒で行けば、すぐに行って来られるだろう。さんざ世話になったからね。お返しというのも、いいだろう」
「お願いしようかな」
「賢者様、そいつの言うことは信用しない方がいいよ」
さっきまでのトゲトゲしさとは違う、冷たさを含む声で、フィガロが言った。フィガロがのそりと身を起こした。頭を左右にゆるく振ると、ふわふわの髪の毛が揺れる。少しくたびれて見えるのは、昨日も深酒をしたから。こんなにギスギスしているのに、昨日は二人で遅くまで酒を飲んだらしい。二人の晩酌に連日つきあわされたシャイロックは昨日ははやく休んだらしい。
「彼は、その草を摘みに東の国に行ったら、帰ってこないよ」
「え、そんなこと……ない、ですよね?」
いつもの調子で、「失敬な」と混ぜ返してくれることを期待して、晶はなまえを見た。
ふむ、と頬杖をついた彼は、ゆるく笑う。
「さぁ? どうだろうね」
「否定はしない、だろう。君はもう、東の国のことが気になって仕方がない。向こうに行ったら魔法舎のことも賢者様のこともナナクサカユのことも綺麗サッパリ忘れるだろう」
「手厳しいな」
ふわふわ笑いながら、なまえは首を傾げた。
「そんなつもりは無いんだがな」
なまえの言葉をフィガロは鼻で笑う。
「どこへでも好きに行くと良いよ。気が済むまで」
「なんだ、拗ねてるのか」
「うるさいな」
彼らの関係の一端が見えた気がして、晶は口を噤んだ。おそらくは、フィガロの言う通りなのだ。彼は、一つ所に腰を落ち着けることはない。魔法使いの寿命は長くて、一度どこかに行ってしまえば、しばらく……ひょっとしたらそのしばらくは人間にとっての一生分かもしれない……帰ってくることはない。もし帰ってくることがあったとしても、それは「帰って」来たのではなく、ただ、旅の目的地のひとつに設定されただけなのかもしれない。
スノウとホワイトが、彼をあんなふうに彼を歓迎したのは、そんな彼との出会いが、とても稀有だからかもしれない。
「賢者様」
なまえがこちらを向いた。翡翠色の瞳が、深さを増す。
「はい」
晶がこたえると、なまえはふふ、と少しだけ、陽気な部分を覗かせながら笑う。
「君のおかげで楽しい時間を過ごせたよ。魔法使いがこんなふうに集まって生活して、人に慕われている。本当に良いものを見られた」
「……はい」
これが別れの言葉になるのだとわかる。ちらりと伺ったフィガロの横顔はどこか、寂しそうだった。
「では。俺は行くよ」
彼はふわりとソファーから起き立った。紗の混じった裾がしゃらりとゆれる。彼の服は少し変わっていて、珍しい生地を使っているらしい。珍しい生地に、興奮したクロエが教えてくれた。
「他の方に挨拶とかはしていかないんですか?」
「向こうもわかっているさ」
「シャイロックには礼くらい言っておくべきだと思うけど?」
「じゃあそれは君に言付けよう。いい酒を飲めたと伝えてくれ」
「そういうことは自分で言えばいい」
肩を竦めて、窓を開ける。フィガロが魔法舎は窓からの出入りは禁止だというと、意にかえさないというように「次は気をつけるよ」といった。そして、振り返りもせずにそのまま、飛び立った。
あっけに取られる晶に、フィガロが、いつもの優しげな雰囲気に戻って、穏やかに「行儀がなってなくて悪かったね」と身内のことのように謝った。それに頷きながら、晶は「どんな仲なんですか」という言葉を飲み込んだ。
東の国で旅人に振る舞われるという植物は、どんな味がしたのだろうか。ネロと協力して七草粥を作ったとして、それを食べるとき、晶はその味に思いを馳せるだろう。彼のことを思い出すだろう、と、そう思った。



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