部誌16 | ナノ


ふれることがゆるされない



変にこじらせている自覚はあるのだ。
それでもおれにとって、彼は特別で、神聖だった。
何よりも尊い、神のような存在だったのだ。



愛というものがどんなものなのか、クソガキのおれには知る由もなかった。
気付いたら親はいなかったし、生きていくのに精一杯だったからだ。
優しい言葉を貰うより、食い物をくれた方がよかった。なんなら金の方がありがたかった。
HLって街は、ただでさえヤバい街だ。異界と混じり合ったこの街では、呆気なく人は死ぬ。死体から金目の物を掻っ払って、おれはなんとか生きていた。似たような奴は山ほどいたから、いつでも満足に食えた訳ではなかったけど。

最上層の金持ちってのは、貧乏人よりも懐はもちろん、金の余裕があるんだろう。
優しい言葉にうまい飯、温かい寝床。初めて差し出されたそれらにガキだったおれは感動して、その手を取ってしまった。
地獄が始まったのは、そこからだった。
口に出すのもおぞましいってこういうことを言うんだって、体験して実感した。

路地裏のドブみたいなところで生活していた方が随分とマシだった。おれは差し出された手をとった瞬間に人間ではなくなったし、辛うじて持っていたはずの矜恃や尊厳を根こそぎ奪われた。這いつくばって飯を食うのも、自分で選んでするのとさせられるのとでは全然違った。親からもらった唯一の名前ってプレゼントも奪われてしまったし、おれの体はおれのものではなくなってしまった。なんなら人間ですらない。

おれの飼い主は、おれの体を好き勝手蹂躙し、それに飽きると趣向を変えようと変な生き物をミックスさせた。信じられるか? 面白そうだからって理由だけで、おれは意識を強制的に保たせたまま、人間モドキにさせられた。気が狂うほどの痛みにおれは喉が裂けても叫び続けたし、痛みが強すぎて気を失うことすらできなかった。気を失ってもさらに強い痛みがおれを覚醒させるのだから、まあ当然だったのだろう。
今のおれの身体には鱗があって、ケツには変なしっぽもあった。人間だった時にはなかった変な耳もできた。目は光の強さによって瞳孔が変化するようにもなっているし、なんなら目で温度を判別できるようになってしまった。
合成させられた時のショックからか、黒かった髪の毛は真っ白になっていて、顔もなんとなく老けた気がする。鏡を見て数秒は自分を自分として認識してできなかったのだからよっぽどだろう。
あまりにも以前のおれと違いすぎてひとしきり笑った後、ちょっと泣いた。

終わりの見えない地獄から救い出してくれたのは、悪魔のような形相の男だった。
悪魔ってのは失礼すぎるか。でもいきなり壁を破壊して部屋に侵入してきたのが2メートルはありそうなゴツくていかつい男だったんだ。悪魔やオーガのようだと思っても仕方がなかったのだと思いたい。
まあ実際そいつは悪魔でもオーガでもなく、正義の味方かつおれの救世主だったわけだが。

クラウス・V・ラインヘルツと名乗った大柄な男は、おれの飼い主の顔面をブン殴って壁にめり込ませたあと、そいつの取り巻きや護衛をぶっ飛ばし、おれを含めたペットたちを救出した。おれはおそらくペットの中では最古参で、他の奴らを取りまとめたりしてたから、自然とクラウスって男やその仲間たちと会話するのはおれの役目になってしまった。なんてったって他の奴らもおれと同様、変な動物とミックスさせられてて、そのせいで精神的に不安定な奴が多い。まああんな体験をすれば気も狂う。残念ながらおれは狂えなかったわけだが。

「名を訊ねても?」

大きな体で、あんなにもド迫力で闘っていたくせに、口を開けば彼は驚くほど紳士だった。大柄であることを自覚しているんだろう、丁寧な物腰を口振りでおれにそう尋ねた。
名前を訊かれたのも、真っ当な人間扱いされたのも久しぶりで、すぐにその問いかけに応える事ができなかった。
おれは、おれの本当の名前を忘れかけていた。

「ここでは、おれはレプティール(爬虫類)って、呼ばれてる」

「……本来の名前を訊いても?」

クラウスって男は、多分賢くて聡い。おれの言葉を正しく読み取ってくれる。
それがどうにも嬉しくて、涙がどうにも、止まらなかった。

「──なまえ……」

数年ぶりに名乗った。よかった、思い出せた。親の顔なんてとうの昔に忘れたし、生きてるのか死んでるのかすらわからない。それでもおれの大切な、親と繋がるたった一つの縁だ。
他の奴らを庇いながら、それでも涙が止まらないおれの頬に大きな指先が触れる。武骨な指はおれの涙を拭い、よくやったと褒めるように頭を撫でた。

「辛かっただろうに……よく耐えた」

ああ。
その温もりが、優しさが欲しかったのだと、思った。ずっとずっと、これが欲しかった。
与えてもらえると思ったら裏切られて、もう何も信じられなくなった。飼い主の犠牲者はおれ以外にもいて、それをどうにも留めたかったけど、おれにはどうすることもできなかった。
だって、死にたくなかった。死んだ方がマシだなんて目にあっても、おれはどうしても、死にたくはなかったのだ。生き汚いおれは我が身かわいさに自分以外の奴らを見捨てた事もある。熱心に媚を売って、気に入られようとした。吐き気がするようなことも、身が凍りそうな恐怖もやり過ごした。

適応できない奴が死んでいくのを見た。気が狂いそうな激痛に堪えられなかったり、人間扱いされずに悲惨な目に遭って死んでいく奴らを横目に、おれはなんとか生き残る術を見出そうとした。飼い主に従順なのは絶対だった。何かしら利点があれば、売られずに済むだろうし、殺されることもないだろうと思った。
どこからか拐われてきては、人間モドキに改造される。その合成の過程すらショーの一環だ。おれができることと言えば、新たに増えた同士を慰め、精神を安定させ、どうすれば最悪を免れるか、その手段を教えることくらいだ。そうして出来上がるのは従順なペットで、飼い主はそれを思いの外喜んだ。面倒は少ない方がいいからだろう。そしておれは売られずに役目を与えられた。ペットたちのリーダーとして教育する役目だ。

おれのやってることは欺瞞で、正しいことではきっとなかった。おれの言葉に反発し、すぐに殺された奴もいた。だからこれは正しいことなんだと自分に言い聞かせていたし、他の方法を思いつくことはおれにはできなかった。結局おれのしたことは、新たな犠牲者を増やしただけだったのかもしれない。従順なペットを増やすことで、この事業が儲かると飼い主は確信したみたいだったから。
わかっていてもおれは止められなかった。だって、死にたくなかった、生きたかった。

でももう、いいかな。
この温もりを、暖かさを感じられたから、もういいかな。
結局はおれは、飼い主側の人間だ。後ろにいる奴らを庇っているフリをして、、悪いことに加担していたのだ。おれの心情やいきさつがどうであれ、その事実は変わりない。だからきっと、おれもそのうち罰を受けるんだろうと思った。その罰は死ぬことかもしれないし、死ぬより辛い目に合うことなのかも。
でもなんだかそれでもいいかなと、思えてしまった。

どうしても生きていたかったのは、この温もりを求めていただけだったのかも。
そう、納得できてしまったから。

目の前のこの男に全て話そう。そして懺悔しよう。
罰を与えられるなら、この人がいい。
死ぬなら、この人に殺されたい。

心の底から、そう思った。

連れ出された先は何かの保護施設で、つまりおれたちは被害者として保護された。おれはクラウスさんにおれのしたことを告げたけれども、罰を与えられることはなかった。
おれも被害者の一人で、あの状況ではああするしかなかったのだろうと、そう判断されたのだそうだ。

心のケアと共に、普通の人間に戻る手術も受ける事ができた。なんでも異次元に存在するスーパードクターのおかげなのだという。合成される前のまっさらな人間に完全に戻れるわけではないけど、それに近くなることはできる。
おれは蛇か何かと合成されて、寒暖差にめちゃくちゃ弱いのはそのままだったけど、変な尻尾はとる事ができたし、耳も普通に戻った。身体中にあった鱗も取り除くことはできたけど、腕の一部分だけ残してもらった。おれは罰せられることはなかったけど、だけどやっぱり、してはいけないことに加担していたのは間違いじゃない。それを忘れないようにしようと、思った。

そうそう、髪は真っ白のままだった。これは合成によるものじゃなくて、精神的ショックによって人間の部分が変化してしまったからなんだとか。よくわからなかったけど、おれの目は治せなくておかしなままだったし、全然構わなかった。一見して人間であれば御の字だ。足が別の動物になってしまっていて戻せない奴もいたから。
HLって変な街のおかげで、そのままでも生きていける事が救いだった。まあHLじゃなきゃ人間と変な動物でキメラを作ろうなんてトチ狂ったことをされなかったかもしれないから、なんとも言えないところだけど。

被害者でもあり、加害者でもあったおれは、自分に何ができるかを考えていた。
これからは一人で生きていくのだから自分の食い扶持を稼がねばならないし、贖罪として何かしたかった。心の傷が深く、世間に出られない同士たちの面倒を見てやりたかったし、見させて欲しかった。
手っ取り早く男娼でもやるか、と考えていたおれの思考をキャッチし、止めたのはクラウスさんの相棒? 参謀? のような存在であるスティーブンさんだ。変なこと考えてないよね? からの怒涛の質問責めに、おれは呆気なく考えていたこと全てを暴露してしまった。

「せっかく嫌なところから逃げ出したんだし、もっと別のところで考えなさい」

「それはそうかもしれないですけど……すぐに金が手に入りそうなものなんてそれくらいしか……」

これでもおれはそこそこ人気があった。飼い主のお気に入りだったこともあり、売り出されることはなかったが、レンタルされてはいたのだ。まあ合成された時の痛みより辛いことはなかったからか、何されても壊れることはなかったからなあ。おかげでどんなプレイにも対応できる自信はある。

「いや、そんな自信いらないからペッしなさい。あとそれをクラウスには言うなよ」

「……いや、まあ言いませんけども」

自分が何をされていたのか、何をしてきたのか。詳しく話しはしたけれども、綿密に語った訳ではない。あの神様みたいな人の耳を汚すようなことはしたくはなかった。

「神様ねぇ……」

何かを含むような口振りに首を傾げる。そんなおれに何か答えをくれるわけでもなく、気づけばおれは、何ができる訳でもないのにクラウスさんたちが所属する秘密結社とやらの事務員として雇われていた。一体全体何がどうしてそうなったのか理解できない。どうしたっておれは役立たずなはずだが、それでもいいのだとスティーブンさんとクラウスさんい言われたので、ありがたく働かせてもらうことにした。でもこんな弱っちい人間がいたら迷惑になりそうなので、そのうち資格でも取って早めに辞めさせてもらおう。HLって取得できる資格とかあんのかな。



ライブラって組織で働き出してから、おれの目はそこそこ役立つ事がわかった。ピット器官って奴がおれにもあるらしい。便利なことにおれの意志で視界を切り替える事ができたので、偵察にそこそこ役に立つらしい。安全地帯から適当に人数を把握して伝えるだけだが、ないよりはずっといいんだそうな。
それ以外はやる事がないので、スティーブンさんの書類仕事を手伝ったり、ギルベルトさんから執事の仕事を教わったりしている。HLにはちょっと変わったお貴族様も住んでいるから、ラインヘルツさん家で勉強した従僕、とかで雇ってもらえたりしないだろうか。どうかな、やっぱ資格も色々取得しておこう。探したらHLにもそこそこ資格取れそうなものがあった。資料や教材買うのにも金がいるから、一気に取得は難しそうだけど。

「なまえ、花が」

クラウスさんの温室の手入れの手伝いもおれの仕事の一つだ。HLにも花屋はあるし、この経験も何かの糧にあるに違いない。おれに出来そうなことはなんでもやらせてくれるライブラの人たちにあ、本当に感謝してもし足りない。その筆頭はもちろん、クラウスさんだけど。

クラウスさんの温室には、おれやクラウスさんより大きな常緑樹なんかも植わっている。花をつけたそれの手入れ中についてしまったのだろう花びらを、クラウスさんが取ってくれた。ありがとうございます、って返した言葉は自分でも情けないくらいに小さい。急な接近や触れ合いは心臓に悪いからやめて欲しい。クラウスさんの存在自体が太陽や神様にも似ているんだから、そばで働かせてもらえるだけでも恐れ多いというのに。

おれにとってクラウスさんは特別で、神聖だ。
何よりも尊い、神のような存在なのだ。汚いおれが気軽に触れていい存在じゃない。

「なまえ……」

びくりと小さく身体を震わせてしまったのが、クラウスさんにも伝わってしまったらしい。気遣うような視線が申し訳なくて、ああもう。本当におれってやつはどうしようもない。



「焦ったいわ……」

「同感だ。ヤキモキするよ。傍から見たらどう見ても両想いなのに、なんでさっさとくっつかないんだ?」

「クラっちが男を見せればいいのよ!」

「まあなまえの生い立ちや経歴や立場を考えたら尻込んでしまうのもわかるけどね……なまえ、自分のこと無価値なゴミ屑って思ってるっぽいし……」

「そこをどうにかするのがクラっちの役目でしょうに! ああもうもどかしいったら!」

「本当に同感だ……すれ違う少女漫画みたいで見てるこっちが辛い……」



草葉の陰でスティーブンさんとK・Kさんがそんなやりとりをしているのも知らず、おれはどうやってこの気まずい状況を打破すべきか、頭を悩ませまくっていたのだった。



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