部誌16 | ナノ


君よ、祈るなかれ



誰かの幸福を喜べる人間でありたかった。
人でなしが今更何を、思うだろう。幾つもの命を屠った。化物や妖怪だけではない。人間だって殺した。牙狩りなんてしてなければ、とっくに刑務所に入れられているはずの人間だ。
世界平和のために、なんて綺麗事で片付けるには、この両手はあまりにも血に染まりすぎていた。

だからこそ、せめて仲間の幸福を祈り、喜べるような人間でありたかったのだ。





クラウス・V・ラインヘルツとなまえ・みょうじは、仲がいいとは言い難いものだった。かといって仲が悪いのかと思えばそうでもない。
そもそも生まれが違いすぎるのだ。かたやアジアのスラムの端っこで生まれた人間、かたやヨーロッパの貴族の三男坊。戦場で出会いはするが、積極的に会話をするような間柄ではなかった。

きっかけはなんだったのだろう。
多分、些細なことだ。覚えていないくらい細やかなことだ。なまえが噴き出して、クラウスも笑った。多分、とうに亡い仲間の悪ふざけだった。そこで見たクラウスの微笑みになまえはクラウスに感情があることの気づいたし、きっとクラウスもそうだった。その時にきっと、互いが互いを「人間である」と認識したのだ。

二人がそこから仲良くなるのに時間はかからなかった。なまえがクラウスに悪知恵や悪ふざけを教え、クラウスはなまえに教養を教えた。食事の時のマナー、節度ある態度。知っていて損することはない、と教えられた知識は、なまえを無知から救った。
逆になまえが教えたことといえばしょうもないことではあるが、クラウスは悪ふざけの種類を知ることで命のかかっている場面だからこそ出てくる悪ふざけを本気にして怒ることも減ったし、息の抜き方も覚えたのではないだろうか。

そんな風にして、なまえとクラウスは、隣り合い、時には背中を預けあって戦場に立っていたのだ。
恐らくはその時が、己の幸福の最たるものだったのだろう。

「──なまえ!」

それは一瞬の出来事だった。
あっという間に、なまえの腕はなくなってしまった。ニタニタと笑い、旨そうに己の腕を食む【血界の眷属】に苛立ちが隠せない。無事だった右手で傷口を焼き、そのまま炎を身に纏う。怒りが頭を白く染め、そこから先の、記憶はなかった。

後に聞けば、なまえの炎は辺り一帯を焼き尽くし、対象の【血界の眷属】に関しては、エルダー級でもなんでもない木っ端だったので、なまえ程度の炎に焼かれて燃え尽くされてしまったらしい。そんなカスに左腕を持っていかれたことは業腹だが、無くしたものはどうしようもない。腕利きの義手製作者は誰だったかと次に向けて頭を巡らせるなまえに対し、クラウスは何故か憔悴していた。

「なんでお前がそんなに落ち込んでるんだ?」

腕無くしたのはこっちだぞ、と首を傾げるなまえに対し、クラウスはその大きな体を精一杯小さくしていた。顔は悲しげな表情そのもので、今にも泣きそうに見えた。

「今回のミッションのリーダーは私だ……私の作戦が未熟だったから……」

美しい腕だったのに。
そう言ってクラウスは、かつて腕があった場所に手を置いた。腕が欠けていなければ、きっと手を握りでもしていたに違いない。その事実になんだかそわそわして、なまえは身の置き所に困ってしまった。

「別に、お前のせいじゃない。おれの責任だ。おれが弱かったからだ」

「それは違う。君はあの時、仲間を庇った。君の腕の犠牲がなければ、彼は死んでいただろう」

「それでも、だ。おれが強けりゃ、おれもあいつも五体満足で無事だった。おれは弱かったから腕を無くした。それだけだ」

「君はきっとそう言うだろうと思った。それでも、私は──」

負い目を作らせたい訳ではなかった。
クラウスは牙狩りの中では若く、ミッションのリーダーになるのは初めてのことだった。初めてのことだからフォローしてやろうと思った。結果はこの様ではあるが、後悔はしていない。
アングラな世界だからこそ、魔術だなんだと使用した優れた義手もあるだろう。なまえは自分の未来に悲観していないのに、他人のクラウスがどうしてこんなにも悲しみに暮れているのか、理解に苦しむ。

「クラウス。こんなことで一々嘆くな。生きてるだけで幸いだと思え。仲間の誰が死んだって仕方なかったんだと割り切るんだ。そうしないとお前、崩れるぞ」

「……………」

薄暗い病室で、なんでこんなことを言わねばならないのか。
溜息が漏れそうになるが、ぐっと飲み込む。これ以上落ち込ませるわけにはいかないからだ。クラウスの器は大きく、いずれ牙狩りたちを導く存在になるだろう。その時、この繊細さは仇となる。
少し年下の貴族の青年を思いの外気に入り、また認めていることに、なまえ自身驚いている。自分がこれほど彼に入れ込んでいるとは思わなかった。いまだ力に振り回されがちで未熟ではあるが、クラウスは確かに大器だった。だからこそ、なんでもかんでも抱え込もうとしてしまう。今のように。

「私が、落ち込んでいるのは貴方の腕がなくなったからという理由だけでは、ない」

どうしたもんか、と内心唸っていたなまえは、突然のクラウスの発言に目を見開いた。こちらを一向に見ようとしないクラウスは、先ほどよりもよほど追い詰められた表情をしていた。落ち込み方が尋常ではなく、このまま地面にめり込んでいくのではないのかと心配になるほどだ。

「私は──私は、喜んでしまった。貴方がこれで、戦場に立たずに済むと、そう考えて喜んだ。貴方が腕を無くした原因が私であることに、喜んでしまった」

戦場には、変わらず立つ。腕利きの義手製作者さえいればなんとかなると、なまえは楽観視していた。そんななまえの思惑とは裏腹に、クラウスはよくわからないことで喜んでいた。もしかしてなまえは、クラウスに嫌われていたのだろうか。

「貴方に一生消えない傷が残る、その原因が、私であればいいと、浅ましい願いを抱いていた。貴方の傷痕になりたかった。そうして、私という存在を刻み込みたかった。──私以外の側で迎える貴方の幸福を、私は祈れない」

そこでようやく、なまえはクラウスに口説かれているのだと気づいた。

「は、え? 何? お前おれのこと好きなの?」

お前には情緒というものが絶対的に足りない。余計な口は叩くな。それが死んだ姉弟子の口癖だった。その言葉に納得いかなかったものの、彼女が死んでからは律儀に守っていたなまえである。今更ながらに、己の情緒のなさを思い知る。口に出してから気づいても遅すぎるのだが。

頬を赤く染め、恥いる巨体の男に、なまえは片腕で頭を抱えた。

神様、何が一体どうなってるんだ?
何が一番問題かと言うと、クラウスに想いを寄せられて、悪い気分がしないということだった。

つまりは、なまえも。

「……くそったれ」

呟いた言葉は、力なく白い病室に響いた。



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