部誌16 | ナノ


君よ、祈るなかれ



「ほんと久しぶりだね。えっと2年ぶり?」
「2年と数ヶ月ってところか」
「そうかそうか」
律儀に年数を教えてくれる旧友の髪色をちらりと見る。なまえの瞳の動きに気がついた彼は、ああ、と少しはねた黒髪をいじって「染めたんだ」と言った。
炯・ミハイル・イグナトフの髪色は金色だった。真っ黒な髪色もよく似合うと思う。それに、この国によく馴染んでいる。彼の就いた職を思えば、納得のできる選択だ。この国ではまだまだ移民は受け入れられていない。髪の毛を染めるだけで馴染めるのならば、そうすべきだろう。きっと、色相にだって良い。でも、なまえは彼の稲穂のような濃い金色の髪色が好きだった。
資料写真でしか見たことのない、この国を支える穀倉地帯をなまえは思い浮かべる。
好きだったのに、と正面をきって伝えることは気が引けて、なまえは「そっちも似合っているね」とお茶を濁した。
ひととひとの間にある目に見えないお茶ではなく、目の前にある本当のお茶が入ったポットを開く。紅色の液体がたぷんと揺れて、爽やかな芳香が漂った。
「イグナトフさんは、紅茶大丈夫だっけ? これ、本物の紅茶なんだけど」
「炯、でいいよ。昔みたいに呼んでくれ。ああ、問題ない」
この国では珍しいはずの、天然のお茶の木から摘んだ茶葉を発酵させた紅茶を、さらりと受け流す炯に、少しのギャップを感じながらなまえは曖昧に微笑んでティーカップに紅色の液体を注いだ。
紅茶にはカフェインという物質が入っている。旧社会の人間はこれを好んだそうだが、現在の日本ではフレーバーを好むものは居ても、カフェイン入りの、天然の飲み物を「色相が濁る」と嫌う人のほうが多い。
彼が、色相ケアに無頓着なのか、それとも気にしないのかわからないまま、なまえは室内のインテリアに視線を向けている炯の目の前にカップを置いた。

育ちが自分と違う人間のことは、わかりづらい。

あっちの国では普通なの? と帰化した彼に聞くことが差別にあたるのか、それとも日常会話の範疇におさまることなのか、わからない。わからないから、触れない、遠巻きにする、という事自体が差別だとなまえは思う。けれども、当事者となれば面倒くさいと感じてしまうことも事実だ。

「いい香りだ」
ふわり、と炯の顔に浮かんだ微笑みに、浮かび上がっていた思考が霧散する。
「最近のお気に入り」
「なまえも自分で調理する物好きだったな、そういえば」
「そうだね」
炯もだっけ、と話を広げていくべきところを打ち切って、曖昧にしてしまう。
生活の話になることを、なまえはわざと避けていた。

「君が、まさか厚生省の人間になるとは想像していなかったな」
「俺もだ」
「不思議なもんだ」
「そうだな」

彼の、現在の状況について、なまえは少し、他から情報を仕入れていた。いきなり学校を休学した炯は、同い年だったなまえたちの卒業と入れ替わるように復学した。
結婚した、と、言う話も聞いている。

なまえは、彼が帰化したころから、炯のことを知っている。その炯の妻である女性のことも、知っている。

彼が帰化する前のほうが、好きだった。
髪を染める前のほうが好きだった。
結婚する前のほうが、好きだった。

いつから、ずれていったのだろう。

自分が「シビュラ的ではない」思考をしていることはわかっていた。他のことならば、もっと客観的にみることができるのに、彼が絡むと、そうできない。
これはストレスというのだろう。色相に良くないのかもしれない。ストレスは大切だ。ストレスを感じない人間がどうなるか、なまえは知っている。でも、できるだけ離しておきたいものだ、という点については紅茶と似ているだろうか。天然の紅茶を飲むことがなくなったひとも、フレーバーだけの紅茶は好む。
なまえは炯に出会うまで色相が濁ることを経験したことがなかった。
まっさらで美しい色相というものが、なまえにとっては普通だった。
彼がいない間は、とてもきれいでいられた。なまえが天然の食材を、紅茶も酒も好んで飲むのは、色相が濁らないからだ。

「なまえ、あれは」

炯が白くて長い指を飾り棚に向けた。写真立てと一緒にロザリオが落ちている。
「ああ、君がくれたものだな」
「……そうか」
懐かしいものでも見るような顔をして、笑う。彼が、己の信じる神を捨てて、シビュラに心を預けるようになったことを、思い出した。
「……なるほどな」
なまえは笑う。くつくつと笑いながら、舌が焼けるほどに熱い紅茶を飲み干した。上の歯茎が膨れるような感触がする。舌がざらざらする。
そんなことは何一つ、気にならなくなった。
「どうかしたか」
目の前の旧友の奇行を炯が咎めた。それに首を振りながら、なまえは答える。
「いや、なにもないさ。ところで君、結婚したんだってね。聞いたよ、友人から」
「……ああ」
少し、申し訳無さそうな、戸惑いの表情を浮かべる炯になまえはなんの気負いもなく、ただ、「おめでとう」と告げた。

神に祈るものは、大抵、直接的な見返りを求めない。

シビュラにおもねるものは、それとは違う。

彼は、変わったのだ、となまえは確信した。そして、炯・ミハイル・イグナトフという人間が、もう、なまえの色相を濁らせることがないことも確信していた。



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