部誌16 | ナノ


銀華



雪の粒が降ってくる。消えるために。消えて、水になって、地中に吸い込まれて、地を渡り、やがてまた別の姿に生まれ変わるために。白いかけらが落ちてくる。

てのひらを空に向けると、ひとひらの雪がぽつりと落ちて、てのひらの温度でとけた。つめたい、と思うのはほんの一瞬で、幾何学模様が育っていたかどうかもわからないまま水になってしまう。
なまえのてのひらは温かいから、すぐに消えてしまう。

雪が降ったら、こうしててのひらで雪を溶かすことが、物心ついたころから好きだった。形のあるものが空から降ってきて、それが、すぐにとけてしまうこと。しばらく地面に降り積もっても陽を浴びると消えてしまうということ。もし、残ったとしても春を越えられはしないこと。
なまえがてのひらを差し出せば、春を待つこともなく水になってしまうこと。
『かわいそうだよ』だなんて、誰が言ったんだろう。いいそうな友人の顔をいくつか思い浮かべながら、なまえはひらりと風に煽られて階下に落ちた雪の粒を見送った。落ちていった雪はこの玉狛支部の敷地のどこかに落ちて、溶けるだろう。
てのひらに落ちると思ったのに、落ちなかった雪の末路を考えながら曇天を見上げた。

「学校はいいの?」
背後からかけられた声に、驚きもなく振り返って「ああ」とこたえた。
「休講になったから」
「この雪で?」
「そう」
突如やってきた寒波によって、雪が降った。こちらではさほどでもない雪でも、場所によっては大雪だったらしい。外部から呼ばれていた教授はその都合で講義に間に合わなくなって、休講。今日は午後からその講義しか入れてなかったなまえは晴れて、全休になった。
こういう日、はじめから休みだとわかっていれば昼過ぎまでゆっくりと寝ていたかもしれないのに。
それとも、この男なら前日から雪のことも講義のことも、なまえがここに来ることも、わかっていたかもしれない。そう思いながらなまえは彼の顔をじっくりと眺めた。
いつもとさほど変わらない笑みを浮かべて、雪を溶かすなまえを少し離れたところから眺めている。
迅悠一はゴーグルをかけたまま、いつもと同じように、そこに立っていた。
「……未来は、変わった?」
いつもと同じようになまえが訊ねると、彼は、ぎこちない動きで首を左右に振った。
変わらない、いつものことだ。特に気にもならないまま、なまえはまた、てのひらを差し出した。

なまえが、そう遠くない未来死んでしまうらしい、ときいたのは、かなり前のことだったと思う。

未来を視るというサイドエフェクトを持つ迅悠一が、なまえをみて、崩れ落ちるように泣いたあの日から、かなりの時間がたった。それまで、彼のことも、彼のサイドエフェクトのこともよく知らなかったなまえは、本部の偉い人から直々に自分の末路を聞かされた。
本人の口から聞いたのは、それからしばらくたってからだった。
いわく。
普通とかなり違うこと。
どうあっても、必ず遠くない未来に死んでしまうこと。
こんなにはっきりと様々な死因がみえることは、とても珍しいこと。
心を壊さないように配慮して、丁寧な言い方にかえられていても、中身は変わらなかった。人が死んでしまうのは、当然のことじゃないか。と、能天気に頷くなまえには、困ったように心配するいろんなひとたちがめずらしくみえた。
ショックを受けなかったわけではない。にぶい反応のなまえに対して、詳細に開示された死に方は実に多岐にわたっていた。
唐突に、あるいはむごたらしく、当然のように、なすすべもなく、ひっそりと、あるときはあっさりと、苦しみながら、必然のように、死んでいく。
かなしくて、くやしくて、家族にも親しい友人にも、自分が死んでしまうことなんて言えなかった。部屋にこもってひとしきり泣いた後に、ひっそりと遺書らしきものを書いて、それから、いつも通りの生活に戻った。
人は、いずれ死んでしまう。生まれたからには死ぬことは必定だ。なにもおかしなことではない。ただ、短すぎること。ほとんどのひとが識ることのない己の死期を識ってしまったこと。それだけだった。
それだけだというのに、なぜ、あれほどまでに悲しかったのか、わからないままになまえの周囲は目まぐるしく動いた。
迅悠一という男の持つサイドエフェクトが、どういうものなのか、調べる必要があった。どうあっても、身体に不調などひとつもないのに、死んでしまう男の未来がどういう理屈で視えているのか知るために、様々な配置変換、様々な試みが行われた。
通り魔に刺されるということで、防刃ジャケットを常に着ることになってみたり、体術訓練を受ける羽目になったり、本当に様々だった。
それでも、なまえの運命は変わらなかった。

ふわふわ揺れる淡い色の髪に綿雪が触れて、するん、と滑る。風になびく髪の毛にはいくつかの白い粒が絡まって捕まっている。ずっと、外に居たんだろうか。どこから来たんだろうか。雪がとけないほどに冷たいらしい迅悠一の髪の毛を横目に、首をかしげる。
何をしてるの、ときかれて「雪をとかしている」とこたえたのは昨年のことだっただろうか。迅悠一がなまえの未来を視たのが初対面のときだ。それからかなりの時間が経っている。もうすぐ死ぬ、と言われたから、もっとはやく死んでしまうと思ったのに、思いの外長生きだとなまえは思う。
日陰に積もった雪のように、しぶといような気がしてくる。
未来が視える、というのはどういう気分になるのだろうか。どれくらいの頻度で視えるものなのだろうか。そんなことをいつか聞いてみたいと思いながら聞いていない。聞かないまま死ぬのだろうと思いながら、まだ、なまえは生きている。

そんな苦しそうな顔をするなら、忘れてしまえばいいのに、となまえは思う。

本部に行く道で死ぬから、という理由で玉狛支部に転属したなまえは、玉狛支部に通う道すがら死ぬ運命を残したまま、宙ぶらりんだ。
未来が視える迅が玉狛にいるから、ちょうどよいのだろう。理屈はわかっているけれど、そう何度も、日常的に、見知った顔の死に顔を視るのは気分が良くないだろうに。

顔を合わせた瞬間にはらはらと泣きはじめた男の顔を苦しそうな横顔にかぶせて、神様も、厄介なギフトを与えたものだと、物分りの良いひとのようなことを考えていた。
「……気にしなくていいよ」
冷たそうな声だった。自分が死んでしまうと言われてから、かなりの時間がたった。こんなに健康なのに、死んでしまうらしい。苦しい死に方は嫌だけど、自分から安らかな死を選ぼうというような自暴自棄になるタイプでもなかった。
もともと、ドライな性格なのだと思う。自分の生死に対してもこれほどドライだとは自分も想定していなかった。なんとなく、そういうものだと受け入れる準備がいつのまにか整ってしまっていた。
諦めとか、かなしみとか、未来を視る目を持つ彼が、気にやまないように、できるだけ配慮した結果が、とても冷たい声になってしまった。
何かフォローしようとして、一度口を閉じた。何を言っていいのかわからなかったから。キン、と身体が冷える冷たい風が吹いた。今夜は雪が、積もるだろう。
換装された身体は、普通の身体と同じように寒さがわかるし、体温もある。だから雪も溶ける。しもやけにならないこの体を、なまえは気に入っていた。
「責任なんて、持たなくていい。あなたのおかげで、俺は遺書も書けたし、身辺整理もできた。気にしなくていいんだよ」
年上のはずの彼が、ひどく揺らいで見えることがあるのは、はじめてあったときの印象が色濃いからだろう。
彼は、透き通った瞳からはらはらと涙をこぼして、顔をくしゃくしゃにして、子供のように泣き崩れた。理由がわからず慰めるなまえにしがみついた手のあたたかさを、覚えている。
「そうじゃ、ないんだ」
ぽつん、と雫がおちて、とけた雪が作ったまだら模様の上に広がった。
また泣いている。そんなに悪い死に方をしたのだろうか。条件を変えるごとに斬新な死に方をするらしい自分の死に様を視てしまう彼に少し同情しながらなまえがわらうのを遮るように、迅悠一が「ちがう」と言った。
「……なにが、どう違う?」
ぽたぽた落ちる涙の粒に雪の粒が交じる。生身なら、ひどく冷えるだろう。
泣き顔や苦しい顔ばかりをしってしまうことに戸惑いを感じながら、こぼれ落ちる涙を拾おうとした腕を意図的にとめた。とけた雪で濡れたてのひらで、その涙を受け止めたいと、なぜ思ったのか、わからないままだった。
「なまえに、死んでほしくないんだ」
「……そうだね。あなたは優しいから」
「そうじゃない」
何かをこらえるように、うつむいたことで、ふわふわの髪の毛についた雪がいくつかはらはら落ちた。
「好きなんだ、なまえのことが」
苦しげな告白をきいて、なまえはポカン、と口を開けた。
衝撃的なはずの告白は、すとん、となまえの胸に落ちていった。他の誰かに同じことを言われても「なんで? どうして?」と聞き返しただろうけれど、不思議なことに、聞き返さなくても、どういう意味でその言葉が発されたのか、なまえは理解できた。
直前まで、そんなことは思いもしなかったのに。予想もしていなかったのに。なぜか、すんなりと受け入れることができた。
「……ああ、俺のせいか」
同時に、自分のせいでこの人が苦しんでいるのだということにも気がついた。いつから、いつから好きで居てくれたのだろう。
ごめん、と謝罪をする迅悠一は、ぐいぐいと袖で目元を乱暴に拭った。
愛するひとを目の前で死なせる苦痛を、与え続けていたことへの罪悪感とともに、胸の奥がじんわりと、熱を持った。
おまえは死ぬ、と託宣をくだされてから、ずっとずっと遠ざけていた感情が、少しだけ動いたような気がした。どうせ死んでしまうのだから、と、遠くにおいていた思いが花が咲くように色づいた。
「……イヤなら避けてね」
未来を視ることのできる、彼にならできるだろう。
ずるいだろうか。
もっと彼を苦しめることになるだろうか。
それでも、そうしたいとなまえは、決めてしまった。
目を見開いた迅悠一の顔が、困惑気味に見開かれて、顔が朱色に染まる。虹彩がみえる距離まで歩み寄って、濡れたてのひらで、ぬれた顎を掬う。
少しだけ腰をかがめて、なまえは、ゆっくりと涙の味の唇に触れた。
「……死にたくないなァ」
思っていたよりも数段、やわらかくて、暖かかった唇に言葉がもれる。聞かせてはいけないひとに聞かせていることをわかっていながら、遺書をもうひとつ、増やさなければならないと考えていた。
真っ赤になった顔のまま、目を見開いて、迅悠一が泣きながら、顔をくしゃくしゃにして笑う。笑う。はじめてみた彼の笑顔に、なんとも言えない感情を抱く。
はじめてあったときのように崩れるように泣く彼の身体を支えようとした手を、迅の温かい手がとめた。
「……視えた」
「……え?」
「なまえが、死なない未来が、視えた」
ぼろぼろと泣く迅に困惑しながら、なまえはその言葉を反芻する。

どうやっても変わらなかった未来が、どうやって変わったのか、どうやって伝えようか、ただ、考えていた。

白い華が降ってくる。雪片は楽しそうに舞い踊る。その道行きを、なぜだか。邪魔しようという気がまるでわいてこなかった。



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