部誌16 | ナノ


彼岸の夕暮れ



逢魔時には外に出てはいけないよ。
むかしむかぁしに、ばあちゃんが言ってた言葉だ。どうしてって首を傾げたら、ばあちゃんは真剣な顔でおれに言った。

「あちらに誘われて、こちらに戻ってこれくなってしまうよ」

いつもにこにこしてたばあちゃんの真顔が怖かったし、掴まれた腕が痛くて、ずっとその時のことを覚えている。



「なまえって、夕方に外出とかしねェよな、なんで?」

さんさんと肌に痛いくらいの日差しを避けて入った食堂で、きょとんとした顔で尋ねてくるのはエースだった。口の中に物を詰めながら訊いてくるもんだから、食べかすがおれの顔に飛んで来そうになって、思わず体ごと机の下に隠れた。もちろんおれのパスタの皿を抱えたまま。

「何やってんだ?」

「お前の食べかすから逃げてた。汚ねぇから口の中のもん飲み込んでから喋れよな」

呆れた視線を向けてやっても、エースは気にした様子がない。苦笑しながらやってきてくれた店員の兄ちゃんが汚れた机を拭いてくれたのを確認してからまた席に着く。あとでチップを大目に払っておこう。

「んで? なんで?」

「なんでって……死んだばあちゃんの遺言だから?」

「……ばあちゃんいたのかお前」

「昔はなぁ」

ばあちゃんていっても、ほんとに血の繋がりがあるのかどうかもわからない。親の顔も知らないし、親がどんな人間だったのかも教わってない。気づいたら一緒に生活していて、気づいたらばあちゃんは死んでいた。

「おれのダダンみてえなもんか」

「ダダンてだれ」

「ダダンはダダンだよ」

エースってたまに頭悪いよな、と思うけどおれも頭が悪いのででかいことは言えない。エースとおれは、モビーでもバカコンビって呼ばれてるからだ。それでもまあ、おれはエースより多分賢い。多分。

大食漢のエースが食べかす散らかしながらラストスパートに入るなか、とっくの昔に食い終えていたおれは、皿を楯の代わりにしながら思わず過去を振り返っていた。ばあちゃんが死ぬまでは、おれもカタギだったんだけどな。なんだって海賊なんかやってんだろなおれ。

ひとりで生きていくにはおれはガキすぎて、ガキがひとりで生きていくには、おれの住んでた島は豊かではなかった。村のみんなは食い扶持も満足に稼げないおれを持て余してたし、おれもそんなところにいるのはごめんだった。
密航に密航を重ね、時には手酷い失敗をしながらも、なんとかおれは生きてきたのだ。そしたらそこそこ強くなって、白ひげのオヤジに拾われて今に至る。死にかけたこともあったけど、おれは今も五体満足だし、世の中斜めに見ることも多分ないし、仲のいい家族も大勢いて、こうやって馬鹿やったり笑ったりできているから、幸せな人生送ってんだろうな。この世界は弱肉強食で、満足に笑うこともできないやつが大勢いることも、海に出たおれは知ってる。

いっぱしの海賊になって、おれよりデカい敵だって蹴散らすくらいには強くなっても、どうしてだかおれは夕方出歩くことができなかった。そう、夕方外を出歩かないんじゃない。出歩けないんだ。
気づけば夕方前には部屋に籠る癖がついてしまっていて、部屋に入ったが最後、部屋を出ようとすれば足が動かなくなる。あの時のばあちゃんが思い出されて、呼吸するのを忘れてしまう。
こんな年齢になってもいまだに死んだばあちゃんが怖いなんて、とも思うけど、どうしてもだめだった。同じ隊の人間やオヤジはそれを知ってるから、おれに無理に外に出るよう言うことはない。ほんと、いい家族に恵まれたよ、おれは。

海を渡って、色んな島を訪ねたことによって、それが夕暮れ時のことなのだとわかってきた。時間は関係ないみたいで、どうにも夕陽が水平線に沈み、一帯をオレンジ色に染める、その時間に外に出られない。はじめは苦い顔をしていたおれんとこの隊長も、それさえ分かればおれを夜番とかに回すようにしてくれた。ありがたいったらねぇよ、ほんとに。

エースとおれは所属する隊が違う。だから、おれが夕暮れ時に自主的に外に出ないもんだと思っているようだった。あながち間違いでもない。その時間帯にドアの前に立つと、おれの心臓は竦みあがる。あの気持ち悪い感じを何度も味わいたい訳ではないので、おれは与えられた部屋に篭って外に出ないようにしていたから。

「夕陽、綺麗なのにな。勿体ねぇ」

「お前になにかを綺麗だと思える情緒、あったんだな……」

「喧嘩なら買うぞ」

冗談だって、と笑っても、一度拗ねたエースの機嫌が直ることは難しかった。いつも通り食い逃げしようとするエースの首根っこを掴んで、チップ代込みの会計を済ませてから、エースとおれはモビーに戻る。今いる場所は秋島で、日が落ちるのもきっと早いからだ。

ばあちゃんが死んだのも、秋のことだった。
窓から指す夕暮れのオレンジの光に染まったばあちゃんは、その光に包まれながら死んだ。きらきらと細かい光の粒になって、オレンジに溶けて、消えてしまった。多分、おれも死んだらああなるんだろうなぁ。あれだけ熱心におれに夕暮れ時に外に出るなって教え込んだばあちゃんだもんな。

生き汚く生きてきた。おれは、死にたくなかった。今がとても楽しいから余計に。だから少しでも死ぬかもしれないって可能性があるのなら、おれは絶対に夕日で空がオレンジ一色になってる間は外には出たくなかった。

「夕日が綺麗ないい場所があるんだ。今度行けたら一緒に行こうぜ」

「行けたら、な」

おれの事情を知らないエース。知らなかったからとはいえ、エースのそんな誘いの言葉を拒否しなかったおれは、どう考えても自分の感情に疎かった。どうして拒否しなかったのか、亡くした今更になって思い知るとか、ほんと馬鹿だよな。

なあエース。おれ、お前と一緒に夕日を見たかったよ。そのせいで自分がしんだって、きっと後悔なんてしなかったと思う。だってお前と一緒に夕日を見れなかったこと、すげえ後悔してるから。

伏せた顔を上げれば、カーテンの隙間からオレンジ色の光が射し込んでいた。

「おーい、なまえ」

ドアの向こうから、おれを呼ぶ声がする。
聞き覚えのあるその声に思わず体を起こした。
本物かどうかなんてわからない。でも本物だったら。そう思うと居ても立っても居られなくて、一目でもいいからあいつの笑顔が見たくて、扉のノブに手をかけて。

そして。

「エース……ッ」

お前がいるなら、こっちに戻ってこれなくてもいい。
お前さえいれば、それでいいんだよ。



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