部誌16 | ナノ


彼岸の夕暮れ



彼岸の夕暮れ

暑さも寒さも彼岸まで


稲刈りの済んだ田圃と、黄金色の稲穂を垂れる田圃を隔てるように赤色の縞模様がうまれていた。
満開の彼岸花をみて、ようやく、季節のうつりかわりに気がついた。不気味なほどに赤い花を踏まないように、均されていない畦道を歩く。
鬼殺隊の隊服は寒さにも暑さにも強く、年中着ていられる。そのせいか、なまえはここのところ、季節の変化にとても疎かった。
秋の彼岸、ということは。ああ、なるほど、あの咽返るような暑さも、日照りも、蝉の声も、通りできこえて来なくなったはずだ。かわりに鳴きはじめるか細い虫の鳴き声に耳を澄ませながら、思い出したように長閑な田園風景に感じ入った。
百姓にとって収穫期というのは忙しい季節だ。ふうふうと額に汗を浮かべて仕事道具を担ぐ人の顔には疲労が浮かんでいる。表情が疲労だけで埋め尽くされていないのは、きっと、今年の実りが良かったのだろう。
足早に家へと帰る稲穂の匂いをまとわせた百姓に道を譲りながら、山の端に沈みゆく太陽に目を眇めた。
なまえとすれ違う農夫は、こんな日暮れに見当違いの方向に歩いていくなまえを不思議そうに見ていく。黒い詰め襟の上に派手な色の羽織りを珍しそうに眺めて、腰にさされた日輪刀を見つけるや、目を見開いて顔をそむけるようにしてそそくさと逃げるように去っていく。
鬼狩り、という職は、政府非公認の組織だ。そして、このご時世に腰に刀をさして歩くひとは、そう、多くはない。
彼らは、鬼を知らないのだろう。鬼狩りのことも知らないのだろう。
鬼と鬼狩りについては、伝承とともに多く残されている地域とそうでない地域がある。この地には鬼は少なかったのだろう。だから、知らなかったのだろう。
それでいい。
そうでなければいけない。
決意をあらたにして、なまえは太陽に背を向ける。
鬼の活動が活発になるのは、太陽が落ちてからだ。太陽のない、暗闇の中、鬼狩りであるなまえたちは日輪刀を振るい、鬼を狩る。なまえがそう意識せずとも、鎹鴉の支持に従えば、必然的にそうなる。鎹鴉の言葉は、お館様の言葉だと、なまえはそう思っていた。
今回の任務先には、人を喰った鬼がいる。血鬼術も使うらしい。
任務先に、必ず鬼がいるわけではない。鬼殺隊は「人がいなくなる」といううわさ話を伝って、鬼の存在を追う。その情報の中にはあたりも外れもある。剣士になりたての頃は、より曖昧な噂話の任務が多く、そこに鬼が居ない、ということもあった。でも、最近は違う。
鬼は人を喰うほどに強くなるけれど、剣士はどうだろう。たしかに、位は上がる。はたして、強くなっているのだろうか。
修理から帰ってきたばかりの日輪刀に手をやって、その感触を確かめながら、なまえは考える。
折れたわけではない。砥ぎは必要だったけれど、柄がなまえの血を吸ってボロボロになっていたから、直してもらった。はじめて日輪刀を手にしたときのような感触が、不安にさせるのだと思いながら、深く息を吐いた。
「なまえ」
名前を呼び捨てられて、なまえは弾かれたように振り返った。
刈りかけの稲穂が揺れて、半分づつ模様の違う羽織りが揺れた。ばさばさの重そうな黒髪が、夕陽で赤く染まっている。太陽を背に、水柱の冨岡義勇が立っていた。
「……義勇」
冨岡義勇は、なまえの声にひとつだけ頷くと、畦道をまっすぐに歩いて来て、なまえの隣に並んだ。狭い畦道のなか、道を譲り合うことはできても、ふたり並んで歩くことは難しい。義勇の草鞋は赤い彼岸花の茎を折っていた。
なまえは義勇に名前で呼ぶように言われている。「水柱」と呼んでも、「冨岡さん」と呼んでも返事をしないので仕方なく、名前で呼んでいる。だからといって、一介の剣士であるなまえが、柱の義勇に対して気安いわけではない。
踏むな、というのをこらえて、なまえは義勇が何かをいうのを待った。
何もいわない義勇は、少しためらいながらなまえを追い抜いていく。それから困惑するなまえに向かって「行こう」と言った。
「……今回の任務、義勇も一緒なんですか」
こくり、と義勇が頷いた。口数が少ない男だと思う。そういう男なのだ、と納得しながら、なまえは義勇の後ろを歩いた。
なつかれている、と思う。
たぶん、彼がまだ柱になる前に、少し世話をしたから。何事かを悔やんで、嘆き悲しみながら鍛錬を重ねた義勇はあっという間になまえを追い越していった。
鬼殺隊に入る人間は、鬼に肉親や大切なひとを奪われた人間が多い。だから、義勇のような人間は珍しくなかった。彼が柱になるほどに剣士として優れていたことだけが、他とは違った。
あと何年、剣士をやれるだろうか。
正直な話なまえがこれまで生きてこられたのは運によるものだ。柱である義勇のように、強いからではない。彼なら斬った鬼の分、強くなっているかもしれない。なまえは違う。任務での負傷で、歳をとることで、衰えていくばかりだ。
育手になるのも、悪くない。けれど、なまえは自分の剣術を他人に教えるようなものだと思ってはいなかった。それに、この体が動く限り、鬼に殺されるまで、一体でも多くの鬼を斬るという、宿命のようなものも、感じていた。
あと、ひとつかもしれない。もう、鬼の首をおとすことはないかもしれない。
次で死ぬかもしれない。
そんな日々の中で、義勇の存在は異質だった。
「夕餉は、とりましたか」
丁寧な口調で、前を歩く義勇がいった。柱の彼が行くのなら、自分の存在は邪魔になるのではないかと思案していたなまえは、その意味をとりあぐねて首を傾げた。
「……蝶屋敷でいただいたよ」
出会ったときのような口調のままでいい、と義勇がしつこくいうものだから、なまえはできるだけ気安い口調を心がける。
まわりに人も居ないので、幾分か、気が楽だった。
「俺はまだだ」
「……はぁ……、」
夕餉の前に、鬼を殺して帰るおつもりで、などとは言わずに曖昧な返事をする。
「握り飯を持ってきた」
義勇が半分振り返りながら、ふところから出した包みを見せた。前を見ないで器用に歩くのは、さすが柱、というべきなのか。彼はそのまま、歩きながら握り飯を食べ始めた。
道の脇でりんりんと鳴く鈴虫が、なまえの足音に鳴くのをやめた。もう、すれ違う農夫はいない。この暗さでは、すれ違う農夫の顔がわからないだろう、と眼の前の羽織りの合わせ数える。濃い山の影が近づいて、畦道は起伏がはげしく、田圃の形はいびつになっていく。人里から離れて、山の中を歩く。危険な道なので、こんな暗い時間にこの道を使うのはなまえと義勇だけだった。ひとりで歩くよりかは、心強い、と、暗がりが少しおそろしいなまえは思った。
暗がりがおそろしいことを、誰に言ったこともない。これくらいの道は剣士なら、明かりをつけずに歩くことができる。
「……食べるか」
ひとつ減った握り飯の包みを義勇が差し出す。
「食べながら歩けないので」
なまえが断ると、義勇が名残惜しそうに前を向く。
彼が前を向いたところで、腹を押さえて、ひとつ貰えばよかったかな、と考えた。



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