部誌15 | ナノ


金魚鉢のパルフェ



オンナノコにとって、月に一度はブルーな週がやってくる。
しかも夏なんて最悪。もう死ねばいい。世界滅亡しろってたまに思う。外に出たくないし、なんならもうトイレで生活したい。それくらい嫌。
桃井さつきもまた、世間一般のオンナノコの変わらずブルーな一週間が訪れてしまった。夏休みとはいえ、さつきには部活がある。オトコノコばっかりで、暑苦しくてむさ苦しくてちょっと臭いうえに、知らないオンナノコから攻撃されたり、やり返したり、そういう日常が今日も待っている。

「めんどくさい〜いやだ〜外に出たくないよぉ、なまえくんたすけて」

オンナノコはオトコノコと違って、色々めんどくさいのだ。ブルーな一週間の前には情緒不安定になるし、来たら来たでお腹は痛いし憂鬱だしむしゃくしゃするし。一体どうしろっていうのか。オトコノコはずるい。このブルーな一週間がないだけで、すごくずるい。
だからさつきは、弟の桃井なまえを居間のソファに座らせて、その膝の上に乗って甘えても許されると思っている。横乗りで、上半身はべったりとなまえに抱きついても、なまえは文句ひとつこぼさない。あやすように優しく背中を叩かれて、さつきはより一層強い力でなまえに抱きついた。おでこを鎖骨辺りに当ててぐりぐりする。この時ばかりは、Tシャツ短パンというだらしない格好でもなまえは怒らないのだ。優しい。わたしの弟、最高。最高に優しくてカッコいい。世界一の弟。だいすき。

「もう今日行きたくない〜〜代わりになまえくん行ってきて」

「いいけど」

「えっ」

思いつきで言った一言に、なまえはあっさりと頷いた。ぽかんとした顔でなまえを見つめるさつきの頭をぽふぽふ叩き、だから、となまえは続ける。

「だから姉ちゃんは、この一週間、家で休んでなよ。夏休みなんだし、こういう日があってもいいよ」

部活なんて義務じゃないんだし、と宣うなまえに、さつきは混乱しきりだ。いや、でもだって。わたし、マネージャーだけど、普通のマネージャーじゃないし。赤司くんの打ち合わせとか、諸々あるし、それに、それに。
ぐるぐると思考が巡る。そんなさつきの額に自分のそれをこつんと合わせて、なまえは諭すように告げた。

「いいから。姉ちゃんは休んでて。無理したらダメ。冷やしてもダメ。ウチでぼーっとしてて」

久しぶりで、すごくしんどいんだろ?
そう告げる弟に、不順であることまで知られていて、恥ずかしいやら情けないやら。でも久しぶりに来たブルーな一週間は、ほんとうに痛くて辛くて。

「い、いいの? ほんとに、甘えていいの?」

じわじわと視界が歪む。泣きそうになってるんだって、どこか冷静な自分がいて、なんでこんなにダメなんだろうって、思って。わたし、おねえちゃんなのに。弟を守ってあげなきゃいけないのに。いっつも守られてばっかり。

「いいの。だからほら、薬飲んで、お腹冷やすような格好やめて、お腹にタオルケット巻いて」

「うわあああああんなまえくんやさしい、かっこよすぎる、すき」

「はいはい」

「はいは一回ぃいい」

そんなやりとりの間にも、なまえはさつきをソファに下ろし、背もたれに掛けてあったタオルケットを腹の上に掛けた。

「わかったから、ほらあったかくして。昼飯チンしたらいいようにしとくからちゃんと食べてから薬飲めよ?」

「わたしの弟がスパダリすぎるぅうううう」

「スパ……? 晩飯ミートソースにする?」

「わかってないとこもすき……ミートソースたべる」

「了解」

クスリと微笑んだ弟は、死ぬほどかっこよかった。わたしより身長まだちっさいけど。わたしに似てるから女顔だけど。だけど中身は人一倍男前。こんなんじゃいつまで経ってもブラコン卒業できる気がしない。
でもまあ、こんなに甘やかしてくれるのも、きっと恋人ができるまでだろうし、それまでは甘えていたい。だってお姉ちゃんだもの。家族、なんだもの。

用意されていたお昼ご飯はあんかけ炒飯で、「2つのお皿を一気にあっためた後にあんかけかけて。薬飲むの忘れないように」なんてメモまでついてて、さつきはひとりで泣きながら美味しいお昼ご飯を食べた。ここになまえくんがいたら、もっと美味しかっただろうな、なんて贅沢なことを思いながら。


さて、所変わって、帝光中学校である。
さつきに任されたなまえではあるが、やる気があるのかと問われれば、あるはずがなかった。何せなまえは部外者である。部員と顔見知りではあるのでまあなんとかなるだろ、という雑な感じで体育館まで来ていた。やたらと体育館の数があるが、どれが正解かはわからない。適当に知り合いを見つければいいだろう。

「あぁ? なまえじゃねえか」

「ナイス大ちゃん」

「だから大ちゃんはヤメロ」

呼びかけに振り返れば、そこには色黒の幼馴染。早速見つけた見知った顔に、なまえはそっと安堵の息を吐く。適当にウロチョロしていたら、先輩だろう厳つい面々の顔がちょっと怖かったのである。ほんとに中学生か? みたいな人までいて、人生って難しい。

「さつき休みなんだろ? さっき連絡きてたぞ」

「うん。代わりにおれがきた。何したらいいかな?」

「代わりぃ? さつきにフツーのマネージャーみたいなことさせられると思うか?」

「思わん。でもまあ姉ちゃんの代わりは無理だから、別のことしようかと思って。いないよりマシだろ」

「ああ、まあな」

なまえの家事能力の高さは、幼馴染である青峰も知るところである。桃井家のおやつタイムの恩恵を受けているのだから当然だ。

「場所どこ?」

「あー……オレらんとこでいいか。さつきがもっぱらいるのそこだしな」

「何でもいいよ、さっさと済ませてさっさと帰る。暑い。こんな中で部活とか正気の沙汰じゃねえよ。大ちゃんとこの体育館クーラー効いてる?」

「まあ、オレらんとこは一応」

熱中症対策にクーラーは稼働しているが、練習が始まればクーラーなんぞあってなきが如しだ。湿気と熱気が尋常じゃなくなる。クーラーがなければ絶対に熱中症患者が大量発生するくらいの運動量があってこその、帝光中バスケ部である。

こっち、と青峰に案内され、なまえは無言でその後に続いた。赤司に紹介されても軽く頭を下げる程度で、あとはひたすら仕事をこなすばかり。
ドリンク作り、部員が休憩中の間のモップでの床掃除、タオルの洗濯、ドリンクボトルの洗浄、エトセトラエトセトラ。黙々とこなすその仕事量は慣れているはずの他のマネージャーや雑用の部員を凌駕し、赤司の関心を買うほどである。

「いいな。仕事のできる人間は好きだよ」

「はあ、そうですか。もう帰っていいですよね? 姉ちゃんの代わりにはなれませんけど、そこそこのことはしたと思うんですが」

「また来てくれるかい?」

「機会があれば。ないことを祈ります。では」

部活はまだ終わっていないというのに、なまえは気にすることなくその場を後にした。

「大ちゃん、これおやつ」

「ああ? サンキュ」

青峰に放り投げたのは、さつきのお昼ご飯にもなったチャーハンで作ったおにぎりである。暑さゆえに食欲が湧かなかったなまえは、お昼ご飯として持ってきたが余らせてしまったそれを青峰に押しつけた。

さつきの代理だという割に遅刻してきたなまえは、怒涛のごとき勢いで仕事をこなし、ある程度の見切りをつけるとさっさと帰って行った。しかし中途半端な仕事をしたわけではないのが小狡いところだ。正レギュラー陣のロッカールームは、個人の領域であるロッカーの中以外は綺麗に整理整頓されており、散らばった書類や課題も、それぞれ名前別に分けられていたほどである。埃一つないロッカールームを見たのは久々で、緑間なんかは感動でちょっと涙ぐんだくらいだ。
背は小さい癖に、どうにも頼もしすぎる背中に、青峰はおにぎりを齧りながら溜息を吐いた。赤司の目が爛々と輝いていることに気づいたからだ。

「ダイキ」

「無理。オレ、あいつに敵わねえもん」

「使えないな……」

言いたいことを察して先に断りをいれればこれである。ひどい。けれども青峰も、なまえの作るお菓子やご飯が食べられなくなるのはつらい。口の中に広がるチャーハンの旨さを感じている今だからこそ、なまえを怒らせるのは御免だ。

「桃井なまえか……欲しいな」

「えっ、なまえちん来てたの!? なんで!? お菓子は!?」

バサーッと大きな音を立ててその場にへたり込んだのは、紫原敦。なまえの作るお菓子のファンだと言って憚らない人物である。
顔を真っ青にした紫原の少し向こうには、部活用の鞄から溢れた大量のまいう棒があった。先ほどの大きな音の音源はこれらしい。

「アツシ……またどこにいたんだ」

「ちょっと駄菓子屋のばーちゃん怪我してたから病院連れてってた……なまえちん……おやつ……」

無断で欠席かと思いきや、人助けをしていたらしい。まいう棒はその報酬だろうか。これは怒るに怒れない。いや一報ぐらい入れられただろうとは思うが、紫原の携帯電話がその役割をこなさないのはいつものことだ。携帯電話をいじる時はいじる癖に、触らない時は一向に触らない。今回は後者だったのだろう。

「桃井弟は休んだ桃井姉の代わりにマネージャーの仕事をしに来ただけで、おやつを持ってきたわけではないぞ。いや、ダイキがもらってたか」

「青ちん!?」

矛先がいきなりこっちに向いて、びっくりしたのは青峰である。おやつとは言われたが、紫原の言うおやつではない。物凄い勢いで体ごとこっちを向いた紫原は、ガタイのいい青峰でもちょっと怖かった。あと目がマジすぎる。こわい。無表情の中目をギラギラさせんのやめろ。

「や、おやつっつってもおにぎりだからな、甘いもんじゃねえから」

「でもおやつじゃん! オレの分は!?」

「あるわけねえだろ、ってコラ紫原! 八つ当たりすんな! 物投げてくんな!」

「うるさい青ちんのばか! ばか! ばーか!」

まいう棒だのバスケシューズだの投げつけられた青峰は、建物の陰に逃げ込みながら怒鳴るが、そんなものは駄々っ子紫原には通用しない。なまえが来てくれて助かったが、毎回こんな目に遭うならなまえは部活に来なくていいな、と青峰は思った。赤司からの要請があってもしらばっくれよう。

その時、ピロリン、と青峰の携帯電話が鳴る。届いたなまえからのメッセージに、やっぱりなまえはうちの部活に来なくていいと、改めて思った。

──今日、パフェ作るけど、大ちゃんも食う?

返事なんて、一つしかなかった。



桃井家には、普段は滅多に使わない、小さな金魚鉢がある。
桃井母が一目惚れしたというガラス製のそれは、もちろん金魚を飼うために購入されたものではなかった。なまえのために。そういう大義名分だったが、つまりこの器に合うようなデザートを作れという母からのお達しだ。
夏の定番になりつつあるそれは、なまえも作り慣れてしまった、パフェである。

底の中心にはバニラアイス。その周囲を囲むのは、水色のラムネ味の寒天だ。色とりどりのタピオカと、カットした黄桃や白桃、パイナップルをアクセントとして散らす。
崩れやすいマンゴーは、バニラの島と寒天の海の上に乗っかる生クリームの雲の上に散らす。イチゴやリンゴをカットして、赤い金魚に見立てて同様に雲の上に乗せて。さらに上から、ノンアルコールのブルーキュラソーのシロップをかけて、銀のアラザンを散らせば終わり。

寒天は作り置きだし、パフェなんて乗せるだけで手間なんてかからない。それでも毎年、目をキラキラさせて、嬉しそうに美味しそうに家族が食べてくれるから、なまえは作るのをやめられない。簡単だから余計に、だ。

「わあ、今年の金魚パフェもかわいい〜! どんどん可愛くなるね!」

「そらどーも。溶けないうちに食べて」

「待って、写真写真! 写真撮らないと!」

さっきまで、痛みと不快さで眉を顰めていたくせに。
姉の変わり身の早さに思わず苦笑しながら、なまえはとなりに座る青峰の分もサーブした。晩御飯のミートソースパスタも当然とばかりに平らげた青峰は、さつきほどではなかったが、嬉しそうに目を細めた。

「あー、思い出すわ。これ作り始めたばっかの頃の、味のない寒天。アイスがなきゃ食えたもんじゃなかった」

「うっさい。毎年毎年その話飽きねえの?」

「思い出すもんは仕方ねえだろ」

にやにや笑いながら、青峰は生クリームの雲を崩す。器用だよなぁ、なんて宣いながら、生クリームと一緒に赤い金魚を口にする。甘すぎない生クリームは、青峰でも食べやすいはずだ。黙々と食べる様子を横目で見ながら、なまえも自分で作ったパフェを見下ろす。造型としてはまずまずだ。もうちょっと金魚をどうにかしたいところではあるが、プロでもないのだし、これでもまあ十分だろう。

「なまえくん、なまえくんっ! 可愛いし美味しいよ〜! 崩すの勿体無いけど美味しくて食べちゃう! どうしよう!?」

口の端に生クリームをくっつけながら、さつきが身悶えるようにして訴えてくる。毎年毎年、本当に飽きない。毎年作るものは同じなのに。

「これ食うと夏来たんだなって思うよな」

「思う〜! 大ちゃんいいこと言う〜!」

「だぁから大ちゃんはヤメロ」

二人のやりとりが嬉しい。だからこそ作りがいがあるというものだ。なんて、恥ずかしいから二人には絶対に言ってやらないけど。

「姉ちゃん、食うのはいいけどアイス食って腹冷やさないようにしろよ。タオルケットは?」

「お腹に巻いてる! ありがと!」

「なまえ、さつきあんま甘やかすなって」

「大ちゃんうるさーい」

わいわいと、今日も桃井家の食卓は騒がしい。なんだかんだで三人で過ごす夜が楽しいなまえなのだった。



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