部誌15 | ナノ


知らない誰か



「わたしも桐絵ちゃんと同じ『習い事』行くの!」
「だめ、なまえはまだ小さいから!」
 近所に住む親同士の仲が良くて、桐絵ちゃんとわたしは、幼い頃から本当の姉妹のようにいつもいっしょに育てられてきた。学年こそ違ったものの、生まれは十ヶ月かそこらしか変わらないわたしたちは、姉妹とも友人ともつかない、隣に相手がいるのが当たり前の日々を過ごしてきた。
 特にわたしはかわいくて元気でかっこいい桐絵ちゃんが大好きで、髪型だって服装だって、彼女を追従したものだ。いま思えば、いつでもくっついて回るわたしをうざったく思ってもいいくらいだったのに、桐絵ちゃんはわたしを邪険にすることもなく、おひさまみたいな笑顔で迎えてくれた。晴れ空の下で笑う桐絵ちゃんは、外国のひとみたいな茶色の髪がきらきら輝いて、まぶしいくらい。
「私ね、これから忙しくなるの。だからなまえと遊ぶ時間は少なくなるわ」
 そんな彼女が、小学校の途中でとある『習い事』を始めた。いつものように放課後遊んだあとのバイバイの時間、桐絵ちゃんの家から自宅に帰ろうとするわたしに、彼女はきっぱりとそう言った。
「『習い事』って、なにするの? 水泳? お習字? わたしもいっしょにやる!」
「だめ。小さい子は来られないの!」
「どぉして!」
「どぉしても!」
 桐絵ちゃんは明らかにわたしと距離をとろうと、突き放す態度を取る。それが当時のわたしには大変ショックだったことをありありと覚えている。
 わたしが親ガモにくっついて歩くヒナのように桐絵ちゃんを追いかけ回しても、桐絵ちゃんは「仕方ないわね」と言って可愛がってくれた。彼女が自転車に乗り出したら、わたしも負けじと自転車の練習をしたし、彼女がピアノを習ったらわたしも習って二人で連弾をした。
 思えば、その頃のわたしは、桐絵ちゃんと一緒じゃなかったことを探すほうが難しいほど、彼女にべったりだった。それは、これからも変わらず、二人はともにあるものだと、幼心に信じていたのである。
 なのに、どうして。
 桐絵ちゃんは宣言通り、学校以外の時間のほとんどを『習い事』に費やすようになった。放課後は家に帰るなり自転車でどこかに飛び出していき、夕飯時も過ぎてわたしがお風呂に入る頃に、自転車ごと車に乗せられて送られてきた。
 週末こそ桐絵ちゃんと遊ぼうと訪ねても、どうやら彼女は金曜日の夜から『習い事』のところに泊まりこんでいるようだった。携帯ゲーム機とお菓子を携えてのこのこと出向いたわたしへ、桐絵ちゃんのお母さんが申し訳なさそうに教えてくれた。
 ケンカをしたわけではないし、桐絵ちゃんが前と変わってしまったわけでもない。一緒に登下校する習慣はそのままだったし、桐絵ちゃんの笑顔は変わらずおひさまみたいにきらきらしていた。
 なまえは小さいからダメ。その言葉は、桐絵ちゃんが小学校に入学したとき、わたしも一緒に学校に行くとダダをこねたとき以来に、学年の違いという明確な壁となってわたしの前に立ちはだかっていた。
 子供のわたしは、人はそれぞれ違っていて、年齢や学年なんて些細な問題で、ずっと後ろをくっついて歩くなんてできないことを知らなかった。
 知らなかったからこそ、大胆になれたのだと思う。
 ある日、わたしは決心して、放課後に自転車で出かけていく桐絵ちゃんを、同じく自転車に乗って尾行した。
 気づかれないように距離をとって、でも桐絵ちゃんの赤い上着を見失わないように気をつけて、必死に、慎重にペダルを踏み込んだのを覚えている。
 そしてたどり着いたのは、川の中に建つ四角い建物だった。看板も表札も出ていないそこに、桐絵ちゃんは慣れた様子で入っていった。
 わたしは少し離れた木々の後ろに隠れて、その建物を観察する。窓からときどき人影が見え隠れして、中はそこそこ賑わっているようだ。三十分も観察していると、中から大人が何人か出て行って、中学生か高校生くらいの人たちがちらほらと中へ入っていった。分かるのはその程度で、声も聞こえないし距離はあるしで、中でなにをしているのかとかは全然観察できない。
 もっと近づこうか、こっそり中に入ってしまおうか。外見の観察に飽きかけたわたしは、かなり大胆なことを考えて、それを理性が引き留めて、を繰り返す。腰を浮かせて、やっぱり座り直して、建物への侵入を考えて、やっぱり家へ帰るべきかと考えて。
 日はどんどん傾いて、川面が夕日に照らされオレンジ色に輝き出す。門限までに帰宅するとしたら、そろそろ決断をしなければならない頃だというのに、ここにきてわたしは迷ってしまっていた。わたしはいままで桐絵ちゃんに導かれるばっかりで、自分で決めるということが苦手だった。
 そんなとき、誰かが一人きりで建物から出てきた。青い上着を着たその人は、まっすぐにわたしの方へ歩いてくる。怒られる、そう思って身を縮めたわたしに、すぐそばまで歩み寄ったその人は「やあ」と声をかけた。
 大人ではない。たぶん、中学生くらいの男の子。ちょっと眠そうな目をしているけど、優しそうなお兄さんだ。怖いかんじはしない。
「あそこの建物に用かな?」
 問いかけは確認のためといった様子で、怒られるわけではなさそうだ。お兄さんの柔らかな雰囲気に、わたしは緊張をゆるめ、おそるおそる頷く。
「桐絵ちゃんが……いつもここに来てるみたいで……」
「あ〜小南の知り合いか〜」
 なるほどな〜なんて、その人はうんうん頷いている。なにを納得しているのかはわからないが、ひとまずいますぐ追い返されたり、大人を呼ばれたり、叱られたりするわけではないことはわかる。
 お兄さんはちょっと考えて、それからしゃがみこんでわたしと目を合わせた。にこにこ笑う顔は、昼下がりのわんちゃんみたい。
「中、はいる?」
「えっ、いいの?」
「おれが一緒なら大丈夫だよ」
 やった、と思うと同時に、不安もよぎる。桐絵ちゃんにダメと言われたのを破って、わたしはここにいた。彼女と顔を合わせたとき、何と言われ得るのか考えると、今更不安になってしまう。
「でも、桐絵ちゃんにダメって言われてるの……」
「なるほどね。じゃあ、小南に気づかれないようにとりあえず見てみる? 大丈夫そうだったら声かけてみよう」
 そうして、言われるままにわたしはお兄さんに手を引かれていた。
 重そうな正面扉を開けた中は、広さはさておき、思ったよりも普通だった。ただし、塾とか書道教室とか、小学生が来るような習い事の雰囲気はない。
 奥から、にぎやかな声が聞こえた。
「休憩中かな。みんな居間に集まってるみたいだ」
 お兄さんは、こっちだよとわたしを案内する。大人のひとたちの声に混じって桐絵ちゃんの声も聞こえる部屋の、ドアの前まできて、お兄さんがわたしに目配せした。ドアをちょっとだけ開けて、中の人達に気づかれないように隙間を作ってくれる。
 彼に手招きされるまま、わたしは隙間から中の様子を伺った。
 そこにいた桐絵ちゃんは、わたしの知らない大人に囲まれて、わたしの知らない顔で笑っていた。
 わたしの前では桐絵ちゃんはいつも、かっこよくて優しいお姉ちゃんの顔をする。きりっとした眉毛に大きな目がとっても頼もしくて、わたしは憧れていた。
 ここが、わたしの想像するような『習い事』でないことはすぐにわかった。
 大人がたくさんいて、たぶん桐絵ちゃんが一番年下っぽいこの集まり。そんな場所で桐絵ちゃんは、わたしが見たことのない顔をして、わたしの知らない眼鏡のおじさんにくっついて、楽しそうにしていた。
「……どうする? 小南、呼ぼうか?」
 そう囁くお兄さんに無言で首を振れば、彼はそれ以上なにもいわなかった。来たときと同じようにそっと扉を閉めて、外に戻って、わたしが自転車に跨がるまでを見守ってくれた。
「ありがとうございます、おにいさん」
「うん。いまはまだだけど、将来、もっと大きくなったらまたおいで」
 ちょっと不思議な言い回しをしたその人は、姿が見えなくなるまで、その場でわたしを見送ってくれていた。

 しばらくして、わたしは桐絵ちゃんの行っていた『習い事』が、「ボーダー」と名乗る組織だったことを知る。生まれ育った街の危機とともに颯爽と現れた彼女は、わたしの知っている彼女とは、まったく違うひとになってしまったかのようだった。
 結局わたしもボーダーに入隊したわけだけど、あの時以来玉狛支部には近寄っていない。桐絵ちゃんの後ろを追いかけるには、時期を逸しすぎてしまったわけだ。



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