部誌15 | ナノ


このゆめはつづいていく



 「香子、香子どこにいる?」
 遠くで自分を呼ぶ声が聞こえる。顔を上げれて耳を澄ませばまた自分を呼ぶ声が部屋まで届く。
決して大きいとはいえない声だというのに、自分の耳にすっと入り込んでくる。これ以上彼の方を待たせるわけにはいかない。ずっと読み耽っていた書物の頁に栞を挟み、閉じて机に置いて部屋を後にした。
 廊下を走るのは行儀が悪いと頭では理解いているも、自然と早足になっていくせいで床が軋む音が廊下に響く。あの方にはしたないと思われたらどうしようと不安になりながらも歩く速さは落ちない。
「はい旦那様、香子はここにおりますっ」
 声がした部屋の近くまで行くと彼の方がちょうど部屋から出てきたところであった。小走りの自分を見つけるとおやおやと苦笑を浮かべる。
「そんなに慌てずに来なくてもよかったのに、君のことだからまた転んでしまうだろ」
「す、すみませんっ……ですが旦那様に呼ばれていると思ったらついっ」
「ふふっ、ありがとう。だけど君が転んで怪我をするのも嫌だから今度は私から出向こう。ああほら、せっかく整えた髪が乱れてしまっているじゃないか」
 一体どれだけ急いで来たんだと乱れてしまった髪に皺くちゃの手を伸ばして優しく梳く。ああ、やはりはしたないと思われたかもしれない。赤くなる顔を見せるのも忍びなくて顔を伏せる。
「そうだ香子、出先で君が好きそうな菓子を見つけたから茶でも淹れて縁側で食べよう」
「……このまえお医者様から血糖値が上がっているから控えてほしいといわれたばかりではありませんか」
「そんなつれないことをいわないでくれ、私は君とこうして菓子を食べるのが一番の幸せなんだ」
 柔らかな声でいわれてしまえば、断るなんて自分にはできないことを知っているのだ。今度は別の意味で赤くなる頬を押さえながら、いま茶が何があるかなど考えてしまうあたり、自分がいかに彼の人に弱いか思い知らされてしまう藤原香子であった。




ピッ。ピッ。ピッ。


 規則正しく拍を刻む電子音に閉じていた瞼が自然と上がる。
 もう見慣れた天井が視界に入れば、先程まで夢を見ていたのだと思い知らされた。ゆっくりと体を起こし、隣で眠ると彼の人を見やる。
 穏やかな寝顔を浮かべ、ゆっくりと上下する胸にほっと安堵する。傍らに置かれた電子機器には彼の人の心臓がしっかり動いていることを教えてくれる。しかし、以前に比べてその拍も緩やかになっていくのが現実であった。それを見るたびに、香子は目の前で横たわる彼の人に泣いて縋りたい衝動に駆られる。しかし、それさえもいまは許さない。それは自分自身が決めたことだからだ。
 たとえもうあの夢の続きが永遠に来なくても、最後までこの人のそばに寄り添うと決めている。
 彼の胸に頭を預け、ゆっくりと動く心臓の音に耳を傾ける。どうか、この時間が少しでも続けばいい。もう自身の髪を梳いてくれることはない手を握りながら願ってしまう自分をどうか嗜めてほしい。



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