部誌14 | ナノ


捨てられない手紙



「おまえに紹介しておきたい人間がいる」
 そう言うダグに連れてこられたのは、建物と建物に囲まれて日光も遮られる、陰鬱とした裏通りの広場だった。壁を走る剥き出しの配管に、あちこちに捨てられたゴミ、それらを彩るスプレーインクで描かれた下品な落書き。
 元々治安の悪い地域の、更に人の目の届かない一帯。見るからにならず者たちの領域だとわかるそこには凶悪犯罪のにおいがプンプンと漂っており、キリルは興奮を隠せずにいた。不謹慎だとはわかっているが、こんな危険そうなところの人間に密会するなんて、ドラマティックな予感に鼓動が速まる。
 キリルの前を歩くダグは、広場を見回すと、間もなく「もう来ているな」と低く呟いた。しかしキリルのところからは雑然とした広場しか見えず、怪訝な顔で相棒に説明を求める。
 そんなキリルの視線に、ダグがあそこだと一角を示す。マナーの悪い誰かが不法投棄していったらしい冷蔵庫の裏から、白い煙がゆらゆらと上っている。
「なまえ」
 おそらく待ち合わせ相手のだろう名をダグが呼びかければ、白い煙はゆらりと揺れた。それからひょこと頭が出て、その場で緩慢に立ち上がった。かなり色の薄い金色の長髪を簡単に括り、デニムジャケットを着た細身の人間だ。
 髪型や華奢な印象は女のようだった。吸いさしの煙草を地面に落とし、踵の高いブーツでにじる姿は、ファッションモデルのように絵になる。光の具合で顔はよく見えないけれども、スタイルは抜群だ。
「遅い、ダグ」
「悪いな。道が混んでたんだ」
「時は金なり。知ってるだろ?」
 文句を言う声は低く、そいつが男であることを示していた。約束の時間に遅れたらしいダグにぶつくさ言っているものの、声音は笑いを含んでいて、きっと本気で怒っているわけではない。
 それよりも、キリルは彼の声にひっかかりを覚えていた。なんだか、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「今日はおまえに紹介したい奴を連れてきた。俺の新しい相棒だ」
「へぇ、デリックから鞍替えか? ダグも結構尻が軽いんだな」
 けらけらと軽口を叩く男は、かつかつと靴音高くこちらに歩み寄ってくる。警察関係者とも一般市民とも思えない雰囲気を纏った男は、ちょうど暗がりから歩み出る形となった。色の抜けた金髪のかかる秀麗な顔が、ダグに親しげに笑いかける。
 そいつの顔を目にした瞬間、キリルは「え」と声を漏らした。驚愕に目を見開き、口も開く。
 そんな様子に、ダグは目敏い。
「なんだ、キリル。なまえと知り合いか?」
「……えっ、キリル?」
 ダグの呼んだ名に、男も反応を示した。彼の側からはダグに隠れてキリルの顔が見えていなかったのだろう。「ちょっとどいて」とダグを押しのけ、ずいとキリルの前に迫ってきた。
「やっぱり! キリル・ヴルーベリ!」
「なまえ! こんなとこで何やってるんだよ!」
 お互いの肩をわっしと掴んだ二人は、共に驚きのあまり叫びを上げる。音信不通からの突然の再会、しかもこんな裏通り、新しい職場の先輩の紹介でなんて! まさに晴天の霹靂、世の中何が起こるか分からないものだ。
 そんな喜色満面のキリルに、今度はダグが怪訝な表情を見せる番だった。知り合いらしい二人を眺めて、淡々と感動の再会に割って入る。
「キリル、ドラッグブローカーと知り合いだったのか?」
「えっ、ドラッグ? 誰が?」
「この男だ」
 キリルと戯れているなまえの襟首を、ダグはぐいと引っ張った。なまえが「横暴!」と抗議するのも聞かず、ローテンションな先輩は顎でなまえを示す。
「この男はアンセム密売の情報に詳しい、ドラッグディーラーだよ」





 なまえは、キリルが子供の時分によくつるんでいた友人の一人だった。キリルよりもいくつか年上で、キリルと同様に貧しかった。短絡的で正直なキリルとは違って、なまえは頭がよくて子供たちのなかでも知恵者として扱われていた。意志の強さを表したようなくっきりした目鼻立ちも相まって、皆の憧れの的だった少年は、いつしか仕事を求めて街を出て行った。
「そんなおまえがなんでクスリなんかやってるんだよぉ!」
 賑やかな酒場の片隅で、キリルはビール瓶でドンと机を叩いた。対面して座するなまえは、どうやら絡み酒になるらしい幼なじみの額へ、軽くチョップを入れる。
「訂正。俺はクスリを売ってはいるがやってはいない」
「でもアンセム売ってるんだろ!?」
「ダグの話聞いてなかったの。俺が売ってるのは従来のドラッグで、アンセムには一切関わってない!」
 酔った頭では、なまえの主張に何の違いがあるのか整理がつかなかった。アンセムだろうがそうでなかろうが、非合法にドラッグを密売すればそれは犯罪だ。昔の友人に再会したら犯罪者でしただなんて、冗談にしてもきつい。
 ダグによると、なまえはリスヴァレッタ内でも有数のドラッグディーラーだというのだが、最近アンセムの流通が加速し、従来のドラッグの需要も価格も暴落しているのだという。ゆえに、商売敵であるアンセムの情報をSEVEN-Oへ流し、そのかわりに自分たちの商売を警察に黙認させているというわけだ。
 SEVEN-Oはアンセム案件以外は「管轄外」だから、自分たちの見ていないところでなまえたちが何をしていようと関わる義理はないのだろう。持ちつ持たれつの、賢い関係である。
 それでもキリルは納得できていなかった。容姿にも頭脳にも恵まれて、皆の憧れの的だったなまえが、こんな犯罪者に落ちぶれているなんて何かの間違いだ。
「しかしまさか、キリルが警察官になってるとはな。あんなにバカだったのに」
「……それを言うなら、あんたがチンピラなんかやってる方が驚きだよ。あんたくらいなら、いくらでも真っ当に生きられたはずだろ」
「まあ、いろいろあったってことで」
 笑って誤魔化す態度に、会わなかった時間の埋めがたい溝をありありと感じてしまう。道を踏み外したなまえへの憤りが、そのまま寂しさへと変わっていくのをキリルは自覚していた。
 瓶から直接ビールを呷るなまえは、湿っぽい雰囲気を払拭するように、わざとらしい明るさで「そういえば」と手を打つ。何を思いついたか、やおらに財布を取り出して、ごそごそと漁り始めた。
「なんだよ」
「いや、ちょうどキリルと再会できたからさ。見せたいものがあるんだ」
 そう言って、紙幣やレシートの間を何か探すなまえは、間もなく目当てのものを見つけたらしい。「あった」と呟き、丁寧に折り畳まれた紙をテーブルの上に置く。
「昔、おまえが書いてくれたやつ。すてられなくて」
 なまえへ手紙なんか渡したことがあったかなかったか、キリルの記憶には定かではなかった。ふわふわとした頭のまま、渡された紙――メモ用紙のようだ――を開くと、そこには確かにキリルの筆跡で短い文章が綴られていた。
 その文面に、キリルはわななく。おぼろげな記憶も、いま鮮明によみがえってきた。蘇ってきたはいいが、これは今の自分に痛手である。

「これは借用書――昔おまえが俺から500ドル借りたときのものだな。この機会だ、きっちり返してくれ」

 感動の再会に持ち出す話じゃないだろうと、キリルは酔いが一気に醒めていくのを自覚した。




prev / next

[ back to top ]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -