部誌14 | ナノ


命日



不可思議な夢を見た。
ひどく懐かしく、ひどく心躍る夢だった。

――大地をなめる灼熱の炎は、ただしく“暴力”だと呼べた。なにものに対しても等しく降り注ぐ厄災。命あるものは皆、燃え尽きた。融解したコンクリートや金属の上を善条剛毅は歩む。視界は頼りにならない。吹き荒れる爆風で、頭上に浮かぶはずの大剣は見えなかった。されども、道標は他にある。この身に宿す力が、到達点を知らせている。

――たどり着くだけで良い。それだけが、善条剛毅の成すべきことだ。善条剛毅は、己の直感を疑わなかった。疑う余地はなかった。なぜなら、目指す場所には、善条剛毅のすべてがあったから。

――己の剣を、彼の人に捧げると、決めていた。

幾度となく繰り返し追憶した光景のままに、彼の人がいた。

第二の厄災が、落ちてくる。
世界の果てがそこにある。後のことは、考えなくても良い。

それは、満ち足りた夢だった。

差し込む日差しに、瞬いた。
夢だ。
彼の人とともに果てる。満ち足りた夢は、あり得なかった過去だ。現に、己は生きてここにある。
己の呼吸を確認した瞬間の失望は、何度目のことだろうか。この“数日”幾度となく繰り返す“悪夢”に、善条は息を吐いた。
寝坊、だ。日の出とともに起きる善条にとって、室内に日差しが舞い込むほどの時間は寝坊にあたる。
カーテンが薄ぼやけている。視力は良かったはずだ、と考えて、違うと思い出した。
枕元に置いた眼鏡をさがして、かけた。慣れたものだ。ぼやけた視界が鮮明になる。それは、元気なこと、超人的な能力があることしか取り柄のなかった善条剛毅にとって、いつになっても新鮮なことだった。
自分が、眼鏡をかけることになるとは、思っていなかった。
慣れたはずの作業が、新鮮に感じられる。
そのことに、“とらわれている”ことを実感して、善条は自嘲した。

さて。時計を確かめる。たしかに、寝坊は寝坊だった。だけれども、いつも通りでもあった。

“今日”はこの時刻で良いのだ。

寝台から起き抜けて、制服を手にする。青色の制服。馴染みの色の制服は、昔着ていたものとデザインが違う。同じデザインだったならば、善条はこの制服を拒んだだろうか。
頭を振って、無駄な考えを落とした。
ただでさえ着替えに時間がかかるのだ。善条は寝巻きに使っている着物の帯をといた。

たとえ、作り物であったとしても、遅刻はゆるされない。

この夢の主は、規律違反を望まない。

「おはようございます」

仕事をはじめるにはまだ少し早い時間に、彼はやってきた。“今日”もいつもの時間通りにやってきた。

「おはよう」

善条はなるべく平常に、応えた。彼、楠原のそばにいる日高には、変化がない。連日の通りに善条に挨拶をする。これから、特務のほうに向かう二人に、この時間にここで挨拶をする。
賑やかな時間だ。
楠原は、善条の『弟子』であるから、アドバイスを貰いに来る。達人のアドバイスが羨ましいと、日高がついてきて、善条の周りを賑やかにする。

この間のアドバイスがとても良かったと日高がよろこんでいた。彼に伝えた覚えのないそれは、いかにも自分が言いそうな話だった。
きっと、あのままに彼が生きていたならば、伝えていただろう。

素知らぬ顔をして飲み込むには、大きすぎる感情だった。何度も繰り返していれば、尚更のことだ。

これは、夢だ。

夢と呼ぶにはあまりにも力を持ちすぎた、箱庭のような夢だ。

楠原剛は死んだ。

まだ、教えるべきことがたくさんあった。現場に出るのならば、真っ先に教えておくべきことを、教えそこなったと、思うこともあった。

「善条さん、どこか具合が……?」

「僕が遅くまで修行に付き合ってもらったから」と慌てる楠原に、善条は違う、と応えた。いつもと違う反応だ。それでも、“彼”は“彼”だった。

彼は、楠原剛、本人だ。

善条の直感が告げている。疑う余地はない。ここは死人が蘇る世界だ。夢の主に望まれた、人間が、蘇る。そして、同じ日を幾度となく繰り返す。何かの参考になればと、普段使わないテレビをつけて、後悔した。しかし、参考にはなった。夢の主はひとりではない。
善条剛毅という人間に割り振られた役割の範囲では、知り得なかった情報だった。
“今日”の善条剛毅の行動範囲は、庶務課資料室の内部で完結している。まるで、外に出る必要のない“日常”は夢の主の“出てくれるな”という願望を反映しているようだった。
その力の源に、善条は心当たりがある。からくりには興味がないが、この手の善条の勘は外れない。

そして、この夢が、そう遠くない未来、終わるであろうことも、悟っていた。

夢は、夢だ。
それでも、これはあの『石盤』が関わるものだ。ただの夢ではあるまい。望むのならば、終わりはある。しかしながら、この夢の中の出来事は、夢を共有した人すべてに、記憶として残るだろう。
ならば、それは、夢だと言えるのだろうか。

逆であれば、と善条は思う。
楠原が生きていて、善条が死者であれば。彼に、ひとつでも多くのことを伝えられた気がした。一日では足りない。でも、この夢は一日では終わらない。時間ならいくらでもある。

そこまでの奇跡は、起こりえない。

死者は死者で、生者は生者だ。

「この間、新しいパソコンが届いたと言っただろう」
「あ、はい! ノートPCですよね!」

善条が知るパソコンというものに比べてあまりにも薄べったい奇妙は機械は、ノートPCという名前だった。
あのあと、結果的に庶務課資料室を離れることになった善条は、折角のその機械にふれることのないまま、資料室をあとにした。後任の室長がみつけて、うまい具合に使ってくれていれば良いのだけれど、処理にわからなかった善条は、少し、厄介なところに置いてしまったのだ。

「今日は午後から、時間があれば使い方を教えてくれないだろうか」

善条はいつもの通りに頼んだ。楠原はいつもの通りにぱっと人懐っこい笑顔を浮かべる。僕がわからないことは、榎本さんに聞かなきゃ駄目ですけど、と付け加えるところまで、同じだ。

「お、じゃあエノも呼ぼう! それから皆で蕎麦を食べよう!」

いつもどおりに日高が笑う。楠原が「榎本さんにも予定があるかもしれませんよ」というと、日高が大丈夫その時はそのとき、と言って返した。

「それに、パソコンの使い方の説明のためですからね」

楠原がそういってたしなめた。そのとおりで、はじめに使い方を聞いたときは、善条はなかなかものに出来なかった。それほど詳しくない日高まで総出で集まって、蕎麦そっちのけで善条にパソコンの使い方をレクチャーすることになった。
でも、それははじめだけだ。
いくら、機械に疎い善条でも、流石に慣れた。

だから、善条はこういう。

「昨日、しばらく触ってみたんだが、なんとかなりそうだった。だから、蕎麦を食べる時間はたっぷりとれると思う」

善条が自信たっぷりにそう言うと、善条の機械音痴を知っている楠原が、ただでさえ丸い目をまんまるに見開いた。
なにか、つかえたような表情が一拍。楠原が何時も通りの笑みを浮かべた。

「期待していますね」

楠原が笑う。
彼が敏いことを、善条は知っている。この日々の繰り返しに気づくことがあったのかもしれない。それとも、死者には別の知覚が存在するのかもしれなかった。

楠原剛は、今日、死ぬ。

それは、任務で死ぬというわけではない。繰り返される今日という日が終わるとき、今日という日をおくった楠原剛はリセットされて、新しい楠原剛として現れる。
積み重ねられることのないそれは、死といって差し支えないだろう。

少なくとも、そう呼ぶことに善条は違和感を抱いていなかった。けれども。

もしかすると、違うのかもしれない。
それとも、夢の綻びかもしれない。

「……いた」

賑やかな2人が去って、そこに、別の人物が顔を出した。見覚えのある顔だ。しかし、それは『この時系列』における話ではない。少なくとも、善条は楠原が生きている間に、この青年と顔を合わせたことはなかった。
彼の名前は、伏見猿比古。宗像礼司のクランズマンだ。元は、赤の王につかえていたと聞いた。色を変えて2王、いや、彼の場合は3人の王につかえるという話は聞いたことがないわけではなかったが、一人の王を心に決めていた善条にとっては物珍しい存在だった。

珍しい顔だ。彼が、この日に、ここに顔を出したことはない。これは、綻びだろう。

「これは、珍しい。どうかされましたか」

何食わぬ顔で問う善条に、伏見猿比古は舌打ちをひとつ返した。その態度は、この夢の主が看過し難いものだろう。

「別に、なんでもありません。失礼します」

くるりと踵を返し去っていく。ブーツの音を聞きながら、善条は、夢の終わりが来ることを、予感した。

終わりがないとは、思っていなかった。

ただ、終わってほしくないと、思っていた。

この夢ではない、もう一つの夢のことを、善条は思った。毎朝、善条を惑わせるあの夢のことだ。

――あのときに、ともに死ぬことが出来たなら

それは善条の抱いた夢だ。あくまでも夢だ。羽張迅は、善条を突き動かす『意志』とやらは、その夢を肯定しない。それ故に、善条の夢はこのいびつな世界に組み込まれることなく、善条が眠っている間に夢となるのだろうか。

どうだろうか?

楠原剛が、本物なのだとすれば、あの夢の羽張迅もまた、本物なのではないだろうか。

そう、仮定したところで、善条にはあの瞬間、どうしたら羽張を死なせずにすむのか、羽張を切らずにすむのか、何も思い浮かばなかった。

思い浮かばないならば、問えばいい。羽張迅は、問えば、明言はしないまでも、必要なことは応えてくれる、そういった男だった。
また、羽張のもとにたどり着いたらば、そのときに、問おう。

善条はそう、考えて、自嘲した。

真新しいノートPCを見下ろした。箱から出したばかりの新品だ。これを出して「立ち上げておく」のが善条がすべきことだ。充電もしておく。そうすれば、榎本が必要なファイルを古いPCからこちらのPCにうつしてくれる。
さすがにそういった作業はいくら教わっても善条にはできなかった。
それでも確実に、上達している。
そのことが、繰り返しの“今日”が、無駄ではないと、そう言っているような気がした。



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