部誌13 | ナノ


蛇足



火神大我には、特別大切な他人が三人いる。
ひとりは、師匠のアレクサンドラ・ガルシア。
もう一人は兄貴分の氷室辰也。
最後に――親友のはずの、みょうじなまえ、だ。

火神と三人の付き合いは長い。アメリカ時代の、物心つく頃からの付き合いだ。
氷室とは色々あったものの和解し、以前のような、以前よりいい関係を築けたと思う。アレックスに関しては今まで通りで、師匠に頭が上がらない毎日だ。
みょうじに関しては、正直なところ、わからない。氷室よりもアレックスよりも、一緒にいる時間は長かったはずなのに。

幼い頃から、みょうじは印象的な子供だった。日系人の子供は火神や氷室含めたくさんいたけれど、その中でもひときわ目立っていたのが、みょうじだ。
顔の造作でいえば、氷室の方が美しい子供だっただろう。けれどその所作や雰囲気、そういったものがみょうじを特別な存在にしていた。そんな彼と仲がいいことは火神の自慢でもあったし、とても嬉しいことだった。

アレックスと氷室、火神の三人が揃えば、することも話すことも、バスケのことが中心だった。みょうじはと言えば、火神が誘っても、他の二人が誘っても、申し訳なさそうな笑顔で首を横に振るばかり。運動は苦手ではないようだが、頑なにバスケという輪に加わるのを拒んだ。その頃からみょうじはデザイナーである母親のモデルをしていたから、怪我をするような事態を避けていたのかもしれない。
それでも、火神も氷室もアレックスも、みょうじのことが好きだったし、みょうじだって三人のことが好きだった。

「みてるだけでたのしいから」

バスケへの誘いを断るみょうじではあったが、バスケ自体は嫌いではないようだった。必ずその一言を最後に添える。嬉しそうなその顔に、火神はそれ以上何も言えなくなるのだ。
そうして氷室とのゴタゴタがありつつ、火神は日本に帰国することになった。氷室と仲たがいしたあたりからいつものバスケットコートに集まることもなくなり、みょうじともスクール以外で会うことが減ってしまった。そんな状態での帰国はひどく気がすすまなかったが、親の都合に振り回されてしまうのが、子供なのである。

意気消沈しながら帰国した先にみょうじがいたことは、火神にとっては奇跡だった。みょうじもまた、火神が帰国してすぐに急遽帰国が決まったらしい。再会は偶然だったが、とびきり嬉しかったことを今でも鮮明に思い出せる。

同じ時期に日本に帰国し、中学時代はそう会えなかったものの、同じ高校に入学することができた。みょうじは知らないが、みょうじの母からこっそり聞き出した結果である。みょうじと同じ高校に入るために、火神はそれはもう苦手な勉強に励んだ。結局は運頼みになってしまった箇所が多々あったので、合格が決まったとき泣きそうになったのは自分だけの秘密だ。

ようやくまた同じ学校に通える。そんな火神の期待は、そう時を置かずしぼんでしまうことになる。
みょうじが、よそよそしいのである。

アメリカ時代のような距離感を許して貰えないことが納得いかない。子供じゃないんだから、なんて言葉でぼやかされて、そうなのか、なんて納得しなければよかった。

「タイガ」

そう、舌足らずに呼んでくるあの少し高くて甘い声が、とても好きだったのに。
今は硬質で、温度の感じない声で「火神」と呼ばれる。そこに以前のような好意の乗った音はなく。何かを掛け違えてしまったのだと、実感した。

みょうじとの距離はつかず離れずだった。ある一定の距離をとられてはいるが、それ以上近づかなければそばにいても許される。けれど今まで二人の間に存在しなかった距離は、火神を躊躇わせた。アメリカにいた頃には感じたことのなかった恐れを抱かせたのだ。

――距離を測り間違えれば、みょうじに嫌われてしまうかもしれない、という、恐怖を。

昔のように笑いあいたい。そう思う心と、嫌われたくないという心。二つの感情に揺り動かされ火神は途方にくれた。
頑なに名前を呼んではくれないものの、みょうじにとっても火神の立ち位置は「幼馴染」のままだった。恐らくは他の人間よりは親しいし、遊びに誘っても付き合ってくれる。遅刻常習犯のみょうじを待っている間、バスケに夢中になってしまって約束の時間を忘れても、怒らずバスケットコートにまで迎えに来てくれる。
それでも、みょうじと火神の間には、明確なラインがあるのだ。決して乗り越えることのできない一本の線が。

そうこうしているうちに、みょうじは母親の仕事に付き合う回数が増えていった。母親のブランドの服を着てランウェイを歩くだけでなく、みょうじ個人に向けて、ファッション雑誌のモデルにならないか、という打診も来ているらしい。そしてそれらの仕事を引き受けるだろうとも。
みょうじの母親から伝えられた情報に、火神は動揺した。動揺の理由は何か判らない。そうして、電話を一本、無意識にかけてしまった。ひとの心の機微に長けた、兄貴分に。
自分でも何を話したのか、火神は覚えていなかった。ただ、みょうじが遠くに行ってしまうと、そう思った。距離が、遠のいてしまう。支離滅裂な火神の言葉を、氷室は丁寧に拾い上げた。そうして電話越しにくすりと微笑んだ。

「相変わらず、タイガはなまえのことがだいすきだね」

「……は? や、タツヤ。今そういう話してない――」

「してるだろ。嫌われたくなくて、でも近づきたいんだろう? 昔みたいに笑ってほしいし、傍にいてほしいんだろう」

それが恋じゃなきゃ、なんだっていうんだ?
氷室の言葉はストンと火神の中に落ちてきた。今まで胸のうちに渦巻いていた、言葉にできなかった感情を言語化してもらえたことで、腑に落ちたのだ。

そうか。オレ、なまえが好きなのか。

まるで天啓のようだった。じわじわと実感し、足の先から頭のてっぺんまでみょうじが好きだという感情でいっぱいになる。昂揚する心は、火神の頭の中をみょうじで染め上げた。
そうして己の気持ちに気付いたことにより、より一層火神は立ち行かなくなってしまった。

普段は眼鏡をかけ、教室の片隅でぼんやりとしている姿が印象的ではあるが、元来みょうじは人当たりもよく、火神以外にも友人はいる。中学からの同級生などもいて、火神の知らない、中学時代の話などでよく盛り上がったりもしている。それがどうにも気に食わなかった理由も氷室によって判明した訳ではあるが、それよりも、問題は彼らの会話なのである。みょうじの動向が気になって会話をひそかに盗み聞きしていた火神は、みょうじの性的嗜好がヘテロであることを知っている。

この感情は、余計なものではないのか?
みょうじにとって、よくないものなんじゃないか。
よそよそしいのも、火神の気持ちに気づいていたからでは?

考え出したら止まらなかった。うまく呼吸ができない。まるで世界にひとりきりにでもなってしまったかのよう。

「タイガ? どうした?」

電話の向こうの氷室の声が遠い。そのまま黙り込んでしまった火神が、氷室に丸め込まれて吐き出すまで、そう時間はかからなかった。

「なまえ」

好きだと自覚する前から、火神はずっとみょうじを見てきた。名前を呼ぶと、みょうじがほんのわずか、動きを止めることを知っている。

「なんだ? 火神」

帰ってくるみょうじの応えは、まるで拒絶されているようだと感じていたけれど。
その反応は悪くないのだと、氷室は言う。

「本当にお前を意識してないなら、そんな反応はしないはずだ」

言い切る兄貴分を信用したのは、今までの彼への信頼もあったが、それよりも何よりも、そうあってくれと願うからだ。
一縷の希望に望みを託し、火神はゆっくりと、みょうじに近づくことにした。いつも通りの対応。でも遊びに誘う回数は増やして。クラスは違うけれど、すれ違えば会話するようにして。氷室のアドバイス通り、じっくりと火神大我という存在をみょうじ自身にも、周囲にも浸透させていくように。
そうしてようやく、火神はみょうじの親友としてのポジションを取り戻せたのである。けれど最終到達点はそこではない。火神大我は、みょうじなまえの、唯一無二の恋人になりたいのだ。

いつものように遊びに誘って、いつものように遅刻して来るだろうみょうじを待つためにバスケットコートへ向かう。そこへみょうじが迎えに来てくれることも、いつも通りだった。
けれど、何かが違った。言葉では形容できない何か。みょうじの様子が、違ったのだ。

「――なあ、なまえ」

呼べば、やはりみょうじは少し体を強張らせた。少しの呼吸を置いて、「なんだよ、火神」と返してくる。けれど決して、火神の顔を見ようとはしなかった。
もしかして、と思った。今なのかもしれない。今、この時こそが、みょうじの隣にいる権利を得られるチャンスなのかもしれない。

胸が逸る。震える声を叱咤して、なんでもないように振る舞う。それはきっと、みょうじも同じで。

「――――」

「え?」

みょうじが何かを呟いた。前方を歩く彼のその小さな囁きを、拾い上げることができなかった。なんでもないと寂しげに微笑むみょうじの横顔に、火神の頭は真っ白になった。

どうして。
どうして、そんな顔をするんだ。
オレが、傍にいるのに。隣に、いるのに。

焦るな、焦れば逃げられるぞという氷室の助言なんか頭から消えた。
今を逃せば、きっと火神はみょうじの中からいなくなってしまうと、漠然と思った。

「……なあ、なまえ」

声が掠れる。絞り出したその音は、みょうじの心に届いただろうか。
立ち止まった火神に、みょうじもつられて足を止める。振り返った彼の青い瞳は、眼鏡越しでも変わらず美しいのだと、そんなことを考えた。

「オレ、お前が――」

潤むその美しい瞳を覆うまぶたに口づけたい。頼りなげに立ち尽くすその細身の体を抱きしめたい。
みょうじの、心からの笑顔が見たい。

告げた言葉に、みょうじは泣きだしそうに笑った。縋るように伸ばされた手を掴む。少し冷えた指先を、温めるように包み込む。

「タイガ……」

熱を込めて己の名を呼ぶ、それが総ての、答えだった。



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