部誌13 | ナノ


隠した恋心



 ほんの幼い、たぶん小学一年生になるかならぬかという頃、同じアパートの一つ下の階に住んでいた同級生に、チョコレートを贈ったことがある。バレンタインはチョコレート、という既成概念は、成長したのちこそ商業戦略乙、私はその恩恵に与って限定チョコを自分用に買って貪るぜ、と思えたものの、当時まだチョコレートを買うために出掛けるのさえ親に連れられてだった時分にはまるでいかめしい決まり事のようだった。
 何故その男の子だったかといえば母親に「クラスにかっこいい子とかいないの?」と聞かれてだれだれくん、と答えたのがその子だったからというだけで、母親のその質問はつまり「好きな子はいないの?」という質問と同義だったのだと気付いたのはずっと後になってからだった。だれだれくんはクラスの中では顔が整っていたし、同じアパートの年代の近い子どもたちは近場の公園がみな遊び場であったので一緒に遊びに興じることもあったけど、それだけと言えばそれだけでしかなかった。大人になった今、私は彼の名も覚えていない。顔も、会ってもわからないだろう。ついこの間に同人イベントで顔を合わせたフォロワーの顔も覚えられないのに幼少期のともだちの顔など覚えているわけがない。この脳の記憶領域はだいぶ偏っている。
 その時チョコレートを買ったのは百貨店というほどでもないショッピングモールで、板状のミルクチョコレートをバレンタインに似つかわしい形に固めただけのチープなものだったように思う。仔細はもはや記憶にないが、下手したらなにがしかのキャラクターがハートを持ってにっこりしているようなものだったのかもしれない。まさしく商業戦略に乗っかった陳腐な品だ。小学一年生がピエール・エルメを贈ってきても恐ろしいと思うけれど。
 安物のチョコ、特に気のない私をよそに、母親は終始楽しそうだった。記憶が薄れるほど経った年月の分いまよりも若かった母親はにこにこしながら私に包装紙は赤か青か、リボンは金か銀かと聞いてきて、気付けば私は母が金を出して買い母が包装した安物のチョコレートを持たされてあの子に渡しておいで、と玄関から放り出されていた。
 バレンタインにはチョコレートを女の子から男の子に贈るものらしい。母親からすれば親心だったのかもしれないし、覚えていないだけで私だって実はだれだれくんのことが結構好きだったのかもしれない。けれど振り返るとあれは、通過儀礼のようなものだったように、やはり今の私には思われるのだ。
 お食い初め、餅踏み、七五三、バレンタイン。そんな風な。
 ちなみにその人生初のチョコレートの行く末であるが、結局だれだれくんには直接渡すことはなく、彼のお母さんに渡してくださいと押しつけて逃げたように記憶している。バレンタインが通過儀礼だとして、あれは儀礼をこなしたと言えるのかどうか怪しいものだ。ちなみにそれ以降、女友達に稀に友チョコだのと渡したことも数えるほどしかなく、「本命チョコ」など渡す相手も機会もないまま、私は大人になってしまった。
 そんなことをつらつら考えながら、ようやく思考は問題に差し掛かっていた。つまり、あの時ちゃんと通過儀礼をこなせなかったから、二十代も折り返しにかかってこんなに悩むことになっているのだろうか。
 くさくさしながらバレンタイン事情を検索していたスマフォを枕にして机に突っ伏しつつ、否、と内なる自分が反論してくる。別に初めてだって二回目だって十回目だって、いつでもチョコレートを渡す相手というのは他でもないかけがえのないたった一人であって、そこに経験の有無は関係ないだろう。この悩ましさを感じるのがこの地球上で自分一人ではないと思えば少し慰められるような気持ちでもあり、それと同時に「彼はそうでもないだろうな」と余計なことを考えてしまった。藪蛇だ。

 カルデア式バレンタインはホワイトデーもいちどきに済ませてしまう方式らしい、と知ったのはバレンタイン前日のことだった。
「まあ、こういう組織ですから、意図としても日頃の感謝を込めて、というかたが多いですしね。そうなると多くが互いに渡し渡されということになるので、それなら負担をむやみに増やすよりはバレンタイン当日の遣り取りを以て返礼とするほうが良いだろうと方針会議で決まったそうですよ」
「合理的ではある……」
 確かに言われてみれば、バレンタイン当日にチョコレートを贈り合うとして、ホワイトデーまで互いに用意していたら手間も資源も倍掛かる。人理焼却の危機こそ防いだとはいえ仮にもここは閉ざされた砦であってリソースの無駄遣いはできないのだろう。
 人を駄目にするビーズクッションをソファ代わりに、脚こそラグに伸ばしているものの折り目正しく背を伸ばしている白髪の青年の横顔を眺めながらごろりとベッドの上で寝返りを打つ。勝手知ったる振る舞いを咎める者はいない。マイルームの本来の持ち主であるところのカルデアのマスターの意識は今、「私」の意識の裏側で眠りについている。
「……天草は準備しなくていいの」
 さりげない風に聞けただろうか、自信はない。天草は文庫本(最近はマシュに勧められてコナン・ドイルを読み返しているらしい)
「まあ、それなりに」
「ふうん」
 それなりに。誰のためになのだろうか。聞きたい気持ちは山のようで、けれど問いを口にするには唇はぴたりと閉じて動かない。
「マスターも明日なにかあるのであれば部屋を空けますから、ご自由に」
「何かって」
 何もない、と言うのも違うけれど、本人を前にしてどう言ったらいいのか分からなくて言い澱んでしまう。天草にあげたいんだけどまだチョコも選べていなくて、なんて、そんなに真剣に悩んでいると言ってしまうのは、どうなんだ!?
 思わず半身を起こしたが、うまい言葉が見つからずにまたぼすんとベッドに横たわる。天草の目はずっと文庫本の文字列を追っていて、私の動揺にさして興味もないらしいことがまたいたたまれなかった。
「……まあ、でも、私じゃなくてもマスターは明日いっぱい人に絡まれるだろうし、たまには自室にいてもいいんじゃない」
 基本的に私はカルデアで起こることの多くを視てはいるが、全てを私として体験しているわけではない。カルデアのマスターたるこの少女の器を借りているのも最近のことで、彼女は彼女としてこのカルデアに生きている。バレンタインなんて、想いを表すのに絶好の日だ。彼女に想いを……それは友情であったり親愛であったり感謝であったり私に知り及ばない感情であったり、人それぞれであろうけれども、彼女にそれらの想いを込めたチョコレートを渡したいというサーヴァントや職員は多かろうし、彼女にだってそうした想いの証を渡したい相手もいるだろう。それを私が邪魔することは避けたい。
「そうですね。……ええ、ではしばらく暇を頂きます。とはいえ火急の用でもなければすぐに参りますので、いつでも呼んでください」
「たぶん呼ばないからゆっくりしてなよ……」
「そうですか?」
 呼んでください、と言われることにどうしても慣れなかった。「私」は確かに、有り体に言えば「プレイヤー」として天草だけでなくこのカルデアに集うサーヴァントを召喚した。けれど、マスターたりえるのはカルデア最後のレイシフト適正を持つ、この肉体の持ち主である少女だけだ。にも関わらず天草は、私をマスターと呼び、呼んでください、と言う。
 あなたの声が私に届く限り、私はあなたのサーヴァントとして応じます。
 「私」として対面して間もない頃に言われた言葉を、天草は本当にそのように思っているようだった。
 それは、認められているようでもあり、「マスターでしかない」と言われているようでもある。ああ本当に、人の欲は尽きるところを知らない。マスターとサーヴァント、私と天草四郎を言い表す関係はただこれしかない。その上で、私はなにを考えてこんなに、悩んでいるのだろう。

 それからいくらか話した後、区切りのいいところまで読んだのか本(ちなみに邦訳版バスカヴィル家の犬だった)を閉じた天草が退出したのを確認して少女の肉体を抜け出し、一夜明けてバレンタイン当日にもなってもまだチョコレートを買うふんぎりがつかず、街中のコーヒーチェーンでチャイを飲みながら悩む羽目になっているのだった。
 いやもう、それこそピエール・エルメでもゴディバでもいいのだけれど。それだとあまりに「本命」っぽくないか、かといってすんなり義理だと思われるのも、困る。
 本命ですと開き直ってしまえばいい。それは分かっている。けれど、だって、でも。否定語が脳裏を巡るのはきっとまだ、勇気がないからだ。
「バレンタイン、難しすぎる……」
 きっとこんなに悩んでいることも彼は知らないのだろう。恋のなんと、もどかしいことか。



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