部誌13 | ナノ


すきの温度



ザップ・レンフロとなまえ・みょうじは、所謂何をするにも仲がよかった。
波長が合う、というのだろうか。ライブラに所属する時期が一緒だったのも、二人の女癖の悪さが同様だったのも仲がいい理由だったに違いない。二人はよくつるんでいて、何をするにも一緒だった。あとから入ってきたレオやツェッドともザップは仲が良かったが、ザップと一番仲がいい人間を問うと、真っ先になまえの名前があがることだろう。

なまえが、ザップにあることを告げるまでは。

「ザップ、悪い。もうお前と一緒になって女遊びできねえ」

「あン? なんだよ、いきなり」

仕事終わり、報告も終え、いつものようにヤリ部屋にこもるか、とザップが提案した時のことだ。
不意に立ち止まったなまえを振り返ったザップに告げられたのは、今まで想像もしたことがない一言だった。

「好きな奴が出来た。だから前みたいに、お前と一緒にナンパとか、乱交とかできねえ。したくねえ」

「……なんだ、それ」

「本気なんだ。おれの本気を疑われたくないから、女遊びはやめる」

真剣な顔だった。仕事の時でもそんな顔はしたことがないんじゃないのかと、疑うほど。それだけ本気なんだと、伝わってくるようだった。
腹の底でじわりと何かが疼いたけれども、ザップはそれに気づかない振りでいた。

「フーン。あっそ。好きにしろ。お前と遊んでたネーチャン、俺が貰っちゃる」

「ハハ、お前らしい。サンキュ」

笑ったその顔ですら、今まで見たことのないもの、で。
何かヒリヒリと焼けつくような何かを抱えながら、ザップはなまえの肩を叩き、その場を後にした。
一人で部屋を訪れたザップを、女たちは何も言わずに受け入れた。なまえの贔屓の女たちは、いずれこんな時が来るのだと、知っているかのようだった。手荒い抱き方をしても、文句ひとつ零さなかった。零れた涙が、快感からか、別のものかさえ、ザップには知る由もない。

「いつか、こんな日が来るって知ってたから、いいんだ。なまえはアタシらを優しく、恋人にするみたいに抱いてくれたけど。でも、抱いてるのはアタシらじゃなかった。アタシじゃない、誰かを抱いてた」

一戦を交え終え、息を整えながら一人の娼婦が呟く。ザップに語りかけていながら、まるで自分を納得させるようだった。

「なまえ、判りやすかったもんね」

「そう。馬鹿みたいに判りやすくて、そこが可愛くて、憎らしかった」

なまえの情婦だった女たちが、クスクスと笑う。控えめなそれは、強がりそのものだった。ザップの情婦たちが、慰めるように肩を撫で、抱き合う。その様子をテレビ画面の向こう側の出来事のように感じながらザップは眺めていた。

「……なまえが? 分かりやすいって、どこがだよ」

ザップにとって、なまえは本音を出さない人間だった。ザップと同じように馬鹿をやって、くだらない下ネタにゲラゲラ笑って、そうやって日々を刹那のように生きていたが、腹の裡を明かし合ったことは、ついぞなかったように思う。
戦闘員のザップとは異なり、なまえは基本、情報収集を常とする。だから多くの情婦を抱えていたし、彼の表向きの身分はどこかの組織の中堅クラスで、ライブラの所属を隠していた。あくまでライブラと協力体制をとる組織の人間として生きていた。ザップと仕事の話なんて滅多にしなかった。彼が情報を伝えるのはスティーブンのみだ。現場をともにしたことなんてほとんどない。今日みたいな日が珍しいのだ。

「――ばかね」

女の、泣きそうな笑顔が、妙に頭に残った。
結局、その女が気を失うまで、ザップはベッドの上で過ごした。
腹の底で煮えたぎる何かが何なのか、わからないまま。



愛とは、一体何だろう。
なまえは最近、そんなことを考えるようになった。実にくだらない。このヘルサレムズ・ロットで、恋に恋する童貞のようなことを考える羽目になるなんて思いもしなかった。適当に生きてきたツケが、今ここで返ってきた。

「上司の前でそんなふて腐れた顔をするもんじゃないよ」

「いいじゃないですか。おれとスティーブンさんの仲でしょ。おれを潜入捜査させ続けてる極悪人の癖にぃ」

「いや、耳が痛いな」

デスクの上でPCをいじるスティーブンを横目に、なまえはソファの背もたれに背中を預け、天井を仰いだ。
ライブラに長居するのはよくないことだと判っていても、なまえは立ち去ろうとはしなかった。家に居たくないし、かといってザップが女を抱いているヤリ部屋に行くのも嫌だった。一歩外に出ればなまえは組織の一員として行動すべきであり、適当なカフェで思い悩むことだってできやしない。そんな弱みを晒すような真似はできない。なまえの潜入している組織では、なまえの足元を掬おうとする人間は山のように存在しているからだ。

漏れた溜息は深く、長い。
自分のとった行動が正しいものなのか、判別がつかない。けれどもうこれ以上は無理だった。限界だった。多分、なまえの女たちにはばれていただろう。時折向けられる、いたわるような視線すら煩わしかった。
好きだと思った。もうそれで、駄目だった。傍にはいられないと、思った。それでも傍に居たくて、自分を偽るのなんて毎日だろ、なんて自分を納得させたつもりでいた。けれど――やっぱり、無理だったのだ。

「ままならねー」

「何が? 現状が? 自分の感情が?」

「どっちも、つーか全部、です。なんでこうなっちまったかなあ……」

本当に。どうしてこうなってしまったのか。
初めは同僚だった。次は気の合う仲間だった。いつしか気心の知れたダチになって、そして、今。

「自分の感情を制御できるなら、もうそれは人間じゃないと僕は思うけどね。お前をお前らしくなくさせる、それが恋ってもんだ」

「恋! おれが恋とか! ……笑えねー」

まさか自分が、恋に落ちるなんて思いもしなかった。人生ななめに見ている自負があって、この世はクソだなって思いながら、でも落ちるところまで落ちたくなかった。せめて胸を張れるようなことをしてから死にたいと思って。やれることがあるならやっとくか、なんてライブラに所属して。そこで出会った気の合う奴のことを、いつの間にか好きになっていた。
好きに、なっていたのだ。

「仕方ないなあ」

ふう、と息を吐いたスティーブンが、席を立ちなまえの座るソファまで足を進める。そして、なまえの背後に回り、背中を預けるソファの背に腰かけた。真上からなまえを見下ろすスティーブンは、どうにも優しい笑顔で、困る。

「甘やかして欲しいかい? 今ならお兄さんが甘やかしてやるぞ」

「オジサンの間違いでは……嘘です、嘘です」

スティーブンの手がなまえの目元を覆い、顔を掴んでギリギリと力を入れられる。親指と中指で挟まれているだけなのに無性に痛い。ひ弱な情報員には、戦闘員であるスティーブンに太刀打ちできるはずがない。ちょっとした冗談なのにここまで起こるなんて、加齢を気にしているんだろうか。今のライブラで一番の年長だからなあ。ギルベルトさんは除く。

「や、でもまじな話、慰めとか甘やかしはいいです。でないとなんのためにここにいるのかわかんないでしょ」

「一途だねえ」

「一途なんですかね? ただ単に――」

嫌だと、思っただけだ。あの空間にいることが、嫌だった。自分ではない誰かを抱く姿を見るのも、あいつではない誰かを抱くのも。嫌だったし、無理だった。それだけだ。
黙り込んだなまえの頭をスティーブンは優しく撫でた。それを振り払うように頭を軽く振ると、スティーブンの手は容易く離れた。

「仕事、辞めるか?」

「え?」

「今の、潜入。誰かを抱くのも無理だろ、そんな様子じゃ」

「い、や――大丈夫です。続けます」

私情に振り回されている場合じゃない。この変動するヘルサレムズ・ロットで、情報は命だ。なまえはスティーブンたちのように、特殊な戦闘術を取得している訳ではない。舌先三寸と機転だけで生きてきた。そうしてようやく苦労して中堅クラスまで辿りついたのだ。今更他の人間に勤まる訳でもなし、やり遂げて見せる。
仕事は、仕事だ。割り切れる、はずだ。

「自信がないならやめておけ。僕はお前を亡くしたくない」

「――でも、」

「なまえ。自分の命を惜しめ。自分を過信するな」

思わず言葉を失う。
けれど、だったら。どうしろっていうんだ。今更おれは、何にもなれやしないのに。
嗚呼、ほんとうに。恋ってやつは、どうしようもない。こんなのは自分じゃない。こんなものに、振り回されたくないのに。

「今のお前は危うい。考えておいてくれ」

これは、甘やかしに入るんだろうか。
だとしたらスティーブンさん。すごい見当違いだ。だって今、おれは自分のアイデンティティを壊されかけてる。

スティーブンがデスクに戻るのを感じながら、なまえはソファに横になり、丸くなって目を瞑った。
何も、考えたくなかった。


夢を見た。
真っ白の世界で、たった二人きり。なんにもねーな、なんて笑いながら、二人、手を繋いでいた。一歩歩く度に波紋が生まれる。それが楽しくて、足先を遊ばせながら、光の射す方へと足を進める。その先に、素晴らしい未来があるのだと、どうしてか信じていた。

そんなこと、あるはずがないのに。


目を覚ますとライブラの一室で、なまえは何かに包まれて寝ていた。ふわりと香るのはスティーブンの香水だ。あのままソファで眠ってしまったらしい。デスクにはスティーブンはおらず、彼のジャケットだけがなまえの傍にあった。
スティーブンの香りに包まれていたのに、見たのはあいつの――ザップの、夢だ。ほんとうにどうしようもない。

「ばっかみてえ……」

どうしようもなく、報われない恋だと自覚している。
ザップはヘテロセクシャルで、どうしようもない女好きで。自分もそうだと思っていたのに、現状、自分が好きなのはザップで。どう足掻いたってこの恋が成就することなんてない。嫌悪されこそすれ、受け入れられることなど絶対にない。
だから、隠そうと思った。隠せると思った。でも、無理だった。初めての感情に振り回されている。同じ部屋で、好きなひとが自分ではない人間とセックスしていることが、あれほど苦痛なのだと初めて知った。それでもなまえが数度でもザップとヤリ部屋で情婦とセックスできたのは、ザップがいたからだ。彼のセックスを盗み見て、興奮していた。どんな風にセックスするんだろうなんて、想像するまでもなく、知っていた。好きになってから改めて思い知った。彼がどんな風に抱き、どんな風に喘ぎ、どんな風に感じているのかを。

感じたのは、絶望だ。
なまえは決してザップに抱かれることはないし、決してザップを抱けることはない。この想いは宙ぶらりんのまま、腐らせていくしかないのだ。
けれど、生まれたばかりの恋情は瑞々しく、腐るには早すぎた。次第に耐えられなくなった。吐き気さえ覚えて、なまえは自らの限界を知った。
だから、スティーブンの言葉を否定できない。なまえは今不安定で、このままでは自分の身だけでなく、ライブラさえ危険な目に遭わせてしまう可能性がある。その前に雲隠れ形なんなりすべきなのだと、気づいている。

けど、でも。
離れたくないと、愚かな恋心が悲鳴を上げている。

「なまえ」

「え?」

不意に声をかけられて振り向く。
振り向いた先には、見覚えのある銀色があって。

「――んだよ、それ」

「え、は?」

「なんなんだよ……っ!」

胸倉を掴まれて体を無理やり起こされる。どうしてだか、激怒しているザップが目の前にいる。

(夢か、これ……?)

先ほどの夢の余韻が消えていないのだろうか。それにしてもリアルすぎる。怒ったザップの視線は、なまえの首元だ。何なのかとザップの手を外そうともがきながら自分でなんとか見下ろすと、何故か肌蹴たシャツの下に、無数のキスマークがあって――

「げ、なんだこれ」

見覚えのないキスマークに、思わず眉を寄せる。思いつくとすれば、スティーブンのいたずらだ。随分たちの悪いいたずらだな、と普段は決してしない行為に首を傾げるなまえと反して、ザップの怒りはさらに燃え上がるかのようだった。

「なんだもクソもあるかよ、お前!」

「いや、なんでお前がそんなキレてんの? は? え?」

現状を把握できないなまえに、何故だかひたすら怒るザップ。なんだなんだと混乱する中で、なまえはザップの瞳の中に激情を見た。その激情に――期待してしまうのは、どうしてなのか。

ああ、ザップ。
お前が、おれのところまで落ちてきてくれたらいいのに。
そうしたら。そうしたら、おれは――

腹の底から、じわりのせり上がってくる熱はなんだろう。
恋というには、あまりにも熱く、生臭く、どろりとした感情だった。



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